後悔
2/16日に一度相談させて頂きました。
同じ内容で引き続き相談させてもらうことは可能でしょうか?
回答を頂いて、頭では理解するのですが心がついていきません。
苦しくて苦しくてたまりません。夜も眠れません。どうしたらいいかわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
過去を切り捨てる覚悟
自分で移動願いを出しておいて今さらまた戻りたいんですとは言いずらいですよね…。
自分で「今の自分」を知ることは大事だとおもいます。どこにいるか。そしてどこに向かうか。
自分の現在地も分からず目的地も分からないで、ただ「ここが嫌だ!」という思いだけでいきなり歩きだすのは…、もしかしたら目的地から遠ざかっていくことになるかもしれません。
後悔ばかりするとのことですが、今から逃げる癖だと思います。思い通りにならないことってたくさんありますが、その度に過去の記憶を引っ張り出して「あのときは良かった」とか「あのときああしていたら…」と頭の中に逃げ込む。
過去はただの記憶です。しかも、記憶は頭の中に「ある」のではなく、頭の中で「作り上げている」のです。
今の状況がつらくて逃げたいのは分かりますが、その、逃げたい、と「今」に「抵抗」していることが苦しみの原因だと思います。今に抵抗することが、後悔だと思います。
選択肢はいくらでもあります。なにが正しくてなにが間違いかなんてないです。必要なのは、自分でこっちと決めたら、それを受容する覚悟です。今より後ろはないんです。もどれないんです。過去は今に活かすもの。合掌
因果の道理
前回のご相談の問答ならびにお礼コメントと併せて拝読しました。
苦しみから楽になる方法ですが、仏教は因果を説く教えです。苦しみから解放されるには苦しみの原因と向き合わなければいけません。原因に関係のないもので苦しみを紛らわそうとしてもそれは一種の「気晴らし」であって本質的な解決とはなりません。
さて、現在の苦しみの原因は「現在の部署の仕事内容と労働環境」でありましょう。それの起因となった「移動願い」は既に済んだ変えられない過去であり、また現在の苦しみは「現在の部署の仕事内容と労働環境」によるものであって「移動願い」ではありません。「移動願い」を後悔することでは苦しみは解決しないのです。
また「荒行」などでもしも心を楽にさせる方法があったとしても、それはその時の爽快感や満足感からくるものであり、根本の原因が変わっていない限り出勤すれば元通りです。
つまり、何よりの修行は「現在の部署の仕事内容と労働環境」と向き合うことです。苦しみの原因と向き合うこと。これが仏教の説く道理です。
人間関係の苦しみを避けて赴いた新天地。しかしそこでは新たな別の苦しみが待っていた。苦しみは避けられないということです。本当の「楽」とは逃げる・避けることでなく「苦と向き合うこと」です。どんな苦しみが生じようと引き受けて生きていけるという事です。どこにも逃げも隠れもせず、私を偽らず生きていけるという事です。
では現在の苦しみについてですが、労働環境については法令順守がされていないようであればしかるべき窓口や機関に相談しましょう。そして仕事内容については厳しいようですが「嫌な事・苦手な事」もしなければならないのが仕事です。色んな部署があり、人も限られている以上は誰かがその仕事をしなければなりません。周りの方を頼りにしながら覚えていくしかないのでしょう。石の上にも三年です。継続は力なりです。
しかしどうしても合わない、どうにもこの苦しみに耐えられないというのなら転職・退職というカードに頼らざるを得ません。あるいは再び上司に対して異動を相談する手もあるでしょう。
とにかく、仏教は苦しみをごまかす教えでも、そこから逃げる教えでもありません。苦の原因をつきつめ、それと向き合う教えです。
こぼれてしまったミルクについて嘆いても無駄だ
おはようございます。
同じ内容の引き続き相談でもかまいませんよ。
さて私が高校生の頃、「英語の構文150」という本を授業で使用し、この中の例文を暗記させられたものでした。私と年齢が同じくらいのようなので、ご存じかもしれませんね。
その中の例文のひとつに
It is no use crying over spilt milk.
という例文がありました。
「こぼれてしまったミルクについて嘆いても無駄だ」という意味です。
日本にも「覆水盆に返らず」ということわざがあります。お盆からこぼれたお水はお盆にはもどりません。
ミルクや水がこぼれてしまったらどうしますか?
「あーあ、こぼしちゃった」とオロオロしていても仕方がありません。それが今のあなたの状態です。
こぼしちゃったミルクや水は速やかに雑巾で拭き、あたらしくミルクやお水を入れる必要があります。
もうひとつ。
仏教の時間のとらえ方として、アニメーションのように細かい一瞬一瞬が「今」で、その前もその後も「今」ではないという考え方があります。炭が燃えて灰になるのではない。炭は炭、灰は灰なのです。ですから、過去はなく、もう最初からこの仕事だった、という考え方になります。
失ったものはしかたがない。今の状況を受け入れ、その中でいかに上手に行動するか、そこひとつだと思います。
どうしてもダメだったら、「やっぱり元の仕事に」とお願いするのも悪い事ではないと思いますよ。
質問者からのお礼
こんなにもたくさんのご回答を頂いて、ありがとうございます。本当に感謝します。
こんな私ごときの小さな悩み事にも、お忙しいお坊さん方が目を向けて下さり、親身に回答してくださり…本当にありがたいです。(涙)
本当に心のよりどころとなりました。すくわれます。
お坊さん方の教えは、本当によく分かります。
その通りだとおもいます。
何度も読み返しているうちに、少しづつですが、心にも浸透してきます。
「今」から逃げる、目を反らすのではなく、苦しみと向き合うのですね。。。
考えるだけでも憂鬱になりますが、私の苦しみはそこですものね。
今は、仕事も出来ずミス連続、時間ばかりかかり、仕事が溜まる一方。
自分でも、なんでこんなに出来ないんだと、へこむばかり。
初めての仕事じゃないだけに、周りの評価も冷ややか。
本当に逃げ出したい一心ですが、ここをしっかり出来るようにならないと苦しみから解放されませんね。
少しづつ前向きに頑張ってみます。
前の職場が良かったと考えてしまう時は、お坊さん方の教えを思い出しながら、少しづつでもその思いを払拭していきたいと思います。
本当にありがとうございました。