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立場の弱い者の苦しみ

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いつもお世話になります。

立場の弱い者の苦しみ…というとおおげさかもしれませんが、それに近い状況なので相談させて下さい。

私は非正規職員で仕事をしています。
今多い、仕事は正規職員並みに待遇は非正規職員という感じでしょうか。

その仕事内容は割り切って我慢しておりますが、先日以下のことを頼まれました。

時期的に閑散期になると私の課が職場施設の施錠をやることになっておりますが、正規職員の仕事をする事務所のブラインド閉めとお客様窓口のカーテン閉め二カ所です。

仕事内容的に面倒はないのですが、心情的に苦痛です。

私が閉める時間は夕方6時過ぎ、日暮れは5時前でその部屋で早い退勤の人は5時に帰ります。

その帰る人が閉めるのが当たり前だと思います。
なのになんで私が関係ない部署の机の合間を縫って入って閉めるのか?

単なるブラインド閉めとカーテン閉めですから、その部屋を使っている職員が閉めるべきなのに、なんでわざわざ関係ない私がやらなければいけないのか!と思っています。

そして、そんな単純なことも出来ない正規職員に苛立ちを感じています。

こんなどうしようもない話ですが、どのように考えて仕事をやっていくべきでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

頼まれてやる仕事はこの世に存在しない。

たとえがたとえが過激で申し訳ないですが、殺人を依頼されて殺人をしたとします。
もし、あなたが「頼まれて」やったとします。
もちろん殺人はいけないことことです。
それでも「頼まれたから」やったとします。
しらずに「やってしまった」とします。
水をかけるドッキリだと思ってVXガスの液体を渡されて「やってしまった」とします。
Q「さて、だれが直接、殺人行為をしたでしょうか。」
誰かに言われたにせよ、頼まれたにせよ、騙されたにせよ、お金をもらったからにせよ、その相手がテロリストであって、その人を殺さないと1000000人の命が失われるからやったにせよ、どんな理由であっても、それを実行してしまったのは「実行者」なのです。
つまり、理由が何であれ、本質的行為は人間の条件付けを超えてなされているという事です。
行為の本質は、頼まれても、頼まれていなくても、その人がやっていることなのです。
「人から頼まれてやっていることは存在しない」という公案です。

「おーーーい、クワを持ってきてくれないか。」
「はーい。」
クワを持ってきてくれました。
「お前は、なぜ何の為にこれを持ってきた?頼まれたからか?金の為か?私の為か?自分の為か?理由なしにか?さぁ、言ってみろ。」
「う…。(-_-;)?」
そのクワを持ってきてくれた人は、理由付けがあったからやったにせよ、本当は、理由を飛び越えて「只・ただ・何の為でもなく」やれていたという姿があることを明らめなさいという教えです。
あなたが施錠しながら見極めてみることです。
「オレは、誰の為に?何の為に?やっているのか?いや、何かの為にやっているワケじゃないかも?何で鍵かけだけ特別なものだと考えてしまうのだろうか?たかが、手で鍵をかけるという実に簡単な行為なのに…何故こんなに不自由に…」

釈尊「アナンダよ、鍵をかけておくれ。」
阿難「お釈迦様。わたしは正社員ではありません。」
釈尊「アナンダよ、鍵をかけておくれ。」
阿難「お釈迦様。わたしは非正規社員なので鍵をかけられません。」
釈尊「アナンダよ、鍵をかけておくれ。」
阿難「…。」
アナンダが、渋々ながらも鍵をかけた時、先ほどまで自分を縛っていた理由付け・条件付けはすでに離れて「ただ」それがなされたのでした。
人から頼まれても頼まれなくても、理由条件なんぞなしにそれを為せる無為自在の人たれ。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

仕事とは任務分担です

ひでさんのご質問を読ませていただきました。ブラインド閉めとカーテン閉は一つの例としてあげられているのだと思います。組織というのは規模によって仕事内容の分担が決まってくるものです。例えば私のお寺ですと、私と坊守(住職の配偶者)しかいませんので、境内の掃き掃除、庫裏の掃除、トイレの清掃、本堂のお荘厳、カーテンの開け閉めなど全部二人でやります。他にやる人がいないのと、二人でも出来る量の仕事だからです。
私が勤めていた職場は、県内に事務所が三か所あり私の所属していた事務所は、20名ほどの職場でした。朝は少し早く来て事務所のカギを開け、みんなの机を拭くという仕事が当番制になっていましたし、すべての雑用も自分たちでやっていました。36年間勤めて退職するときは、全国規模の組織になり、仕事は細かく分業されるようになっていました。仕事内容は同じなのに、給与の安い臨職や派遣の方のほうが多くなり、清掃やシステム管理などアウトソーシングが増えていました。雇用構造の問題にについてはここでは控えます。
なぜそうなったかというと、今の世の中は全てが効率化、合理化を優先しており、仕事の分担の仕方を変えて、より儲かるにはどうすればいいかと考えた結果なのだと思います。ひでさんがおっしゃるように、帰る人が閉めれば済むことですがそういう意識すらない人を育てているということです。今はコンビニでもスーパーでも全部自動ドアになっていますので、たまにそうでない店があると、自分で開けずに立ち止まっている人を見かけます。

ひでさんは仕事の内容を自分の価値感だけで見ておられませんか?心情的に苦痛なのはそのためではありませんか。仕事自体には何の価値もないと思います。仕事の結果、人の役にたったり、喜ばれたり、スムーズに流れたりすることで価値が生まれるのではないでしょうか。お仏壇でも朝、とびらを開き手を合わせ、夜手を合わせたあと扉を閉めるというのは一日のけじめとして大切な作法です。

組織が少しでも大きくなると、任務分担という区割りが始まります。総務や庶務的な部署というのはどこにも当てはまらないようなところを受け持つことになります。私も総務にいたころ全館の蛍光灯の交換をやっていました。ひでさんも仕事は単なる任務分担と考え、価値は自分で作り上げて下さい。ご活躍を念じます。合掌

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個別相談可能
鳥取市にある浄土真宗のお寺の住職です。36年間のサラリーマン生活を経て2008年より専従住職をしています。金融・保険、ホテル、冠婚葬祭互助会などの勤務経験があります。営業、広告宣伝、総務、経理、ITなどの職種を経験しています。今年73歳になる年男ですが、比較的若い回答僧侶が多い中、老僧としてhasunohaにかかわりたいと思っています。
基本的に午前中はお受け出来ません。午後2時から午後8時に対応させていただきます。お寺ですので、急な法務が入りお約束の時間を変更させていただく場合がありますことをご了解下さい。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。

どうせやるなら頼まれたからやる!のではなくもっと大きな心と気持ちで気持ちよくやれるようにしていきたいと思います。

時間はかかるかもしれないのですが卑屈にならず意固地にならず、生きていきたいと思いました。

りゅうよう和尚様

ご回答ありがとうございました。
組織から見た人員の役割、組織とは、なんとなく理解出来ました。

そして、単純に仕事は任務分担と考えて、意識の薄い方はそういう方なのだと割り切って自分の価値観をもっていきたいと思います。

ありがとうございました。

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