お坊さんになりたい
私は今24歳の会社員ですが、昔から生きづらさと仏教への関心が
あり、お坊さんになりたいと思い続けています。
経済的な面、在家という面で、簡単な事ではないという事はわかって
いるつもりですが、どうしてもなりたいのです。在家でお坊さんになれるものなのかと、お坊さんになるという事についてどう思われるかご教示下さい。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
sakumadaiさん
sakumadaiさん
こんにちは。
年齢が近いので私が思うところを書かせて下さい。
「僧侶になりたい」というお言葉、とても尊敬致します。
私は実家が寺院でして、17歳でお得度のご縁を頂き今に至ります。
いま、当時を振り返ってみると「作業」になっていたのではないかなと思います。「後継ぎだから得度しないと!!」という思いで焦っていて、学校の試験前同様に暗記シートでお経を頭にたたきこみ・・・
今思えば、あれほど充実し勉強できた環境でなんと勿体ない事をしたのだろうと後悔をしております。
読ませて頂き、私のような後悔をsakumadaiさんはされないと思います。
お得度に向けて頑張って下さい。
まずは 今の生活の中で、仏教に触れていかれてはどうでしょうか
仏教とは、仏となる教え。この世で迷い続けている私たちにとって、大きな拠り所となる教えであり、知る学ぶということは、とても素晴らしいことです。救いは皆 平等にあるのですから。
しかし、出家し 僧になるというのは、大変な道でもあります。
まずは 今の生活の中で、仏教に触れていかれてはどうでしょうか。
わたくしの宗旨は、浄土真宗本願寺派で 、ご本尊は 阿弥陀如来です。本派では、身近に 仏教に触れ、み教えを学べる 中央仏教学院(通信教育もあり)があります。それぞれにあったコースがありますし、毎年 たくさんの方が、学ばれています。そこから僧侶になる道もあります。また、お寺での聴聞も とても有難いものであります。
関心がおありでしたら、是非 調べてみては?
http://www.chubutsu.jp/index.html
各宗旨によっても、様々です。自分は、どの 教えを拠り所とし、生き抜くのか。まずは、自分を知ることが大事です。
私も在家出身です
sakumadaiさん
hasunohaには以前にも数度、僧侶になりたいというご質問がありました。
その中でもsakumadaiさんは、以前から関心があり、僧侶になる事を思い続けている、という純粋で強いお気持ちがある方と感じました。
具体的な方法については、以下リンクにたくさんの回答がありますので、ご覧になってみて下さい。
「お坊さんになるには」という問いの、増田俊康師の回答が非常に具体的だと思います。
http://hasunoha.jp/questions?tag=僧侶になる方法
ちなみに、私も在家出身ですが(とは言っても親戚がお寺だったのが縁ですが)、在家出身の僧侶が少しずつ増えているように感じます。。
sakumadaiさん
在家でもお坊さんになる道はあります。
そして、志ある仲間が増えることを、嬉しいと思います。
「なりたい」という“意欲”が大切です。
sakumadai様、はじめまして。増田と申します。私も在家、一般の家庭から僧侶にさせていただきました。
私もなりたいという意欲だけで今も精進させていただいているような感じが致します。私も僧侶にさせていただくとき大変不安でした。一般の方にはわからない世界ですから、sakumadai様と同じように経済面、生活面とても不安でした。しかしなんとか20年ほど僧侶を続けさせていただいております。
僧侶になるにはまず、天台宗、真言宗等の宗派というものによって変わってくるかとは思いますが、お師匠さんを見つける事が大切です。「私はお坊さんです」といって衣などを身にまとっても所属していなければそれはただのコスプレです。きちんと宗派というのに属すためにもまずお師匠さんを探すことが大事だと思います。
私は、“お師匠さんのようになりたい”と思って、僧侶になりました。なのでまず“人生のお師匠さん”を探すことで、僧侶の道は開けてくるのではと思います。
「出離」と「菩提心」
sakumadai様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。
「出離」のお心がおありでございますこと、誠に仏道へ入るに際して尊い大切なことであるかと存じております。
この輪廻する中においては、決して真なる安楽は得られないと気づくことによって、心からこの輪廻を厭い、何とかしてでも離れたい、解放されたいと強く思うことが「出離」となります。
更には、この輪廻において、悶え苦しんでいるのは自分だけではない、皆一様に苦しんでいることにも気づくことで、大いに皆のその苦しみについても悲しみ(大悲)の心を起こして、そして、様々に縁ありて存在している全ての衆生たちを何とかしてでも救い助けたいとしての慈しみ(大慈)の心を起こすことで、「出離」の次に「菩提心」を発することが望まれることとなります。
「出離」・「菩提心」を確かに起こすこと、これが「お坊さん」となるための最初にして重要な条件ではないかと考えております。
例え在家にあろうとも、出家にあろうとも、この「出離」・「菩提心」を堅固に保ち続けて、善徳なる行いに精進していくことが何よりも望まれることであるのではないかとは存じております。そして、やがて機縁が熟すれば、僧侶への道を正式に歩まれることもあるでしょうし、例え僧侶となる機縁には恵まれずに在家のままにあろうとも、必ず善徳行精進による資糧が、確かなる仏道への導きとして、きっとこれから先、また後生においても大いに利益(りやく)を致すことになるのではないかと存じております。
以下の引用はチベット仏教からのものとなってしまいますが、是非、この機会にご参照して頂きまして、「出離」・「菩提心」について更にお考えを賜われることとなりましたら幸いでございます。
「縁起賛」・「ラムツォ ナムスム(道の三要訣)」・「四つの捕われから離れる秘訣」ツォンカパ大師
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/044d3b0d3e30e86e9a94bdc7b5d51266
ラムツォ・ナムスム(道の三要訣)より・・
「清浄なる出離がなければ、輪廻の苦海に幸福の果実を追い続け、それを鎮める方便(手段)はない。輪廻に愛着する煩悩で、有情(あらゆる生き物)らは悉く束縛されているため、最初に出離を追求すべきだ。」
川口英俊 合掌
お坊さんになって何をしたいのですか?
それによって在家のまま、出家するなどいろいろな道があると思います。
また宗派によってその形はまた違ってきます。
しかし肝心なのはその気持ちと思います。
お坊さんになって何をしたいのでしょうか?
それはお坊さんにならなければ駄目なのでしょうか?
でも、どうしてもお坊さんになりたい!
そこに確かな強い意志があれば道は自ずから開かれてくると思います。
ぜひなられてください
sakumadai様へ
震災以来在家にて僧侶になられる方が増えているというニュースを見ました。
大変素晴らしい志であると思います。
なりたいという思いがあれば通じると思います。
またそのような気持ちを持った方が増えることによって
仏教界もさらなる発展、変化をすることができるかもしれません。
合掌