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死後の世界について

回答数回答 3
有り難し有り難し 35

過去に似た質問があったらすみません。
こんにちは、私は27歳の一児の母です。
私は高校生くらいのときから、
寝る前に、自分が死んだ後の世界について
考えて、怖くて眠れなくなることが
よくあります。寝室で、恐怖で叫んでしまうこともあります。私達は、
当たり前に回っている地球の、ほんの
一瞬を生きているだけで、私が死んでも
世界は回って、過ぎていきます。
何が言いたいかというと、つまり
死ぬのが怖いのです。人が死んだら、
どうなるのですか?
魂と肉体が、とか言いますが、
脳の働きで精神と自我があるだけですよね。
死んだら無に還るのですか?
お坊さんだからこそ、
お聞きしたいです。
よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

空間としての私

自我=私です。ですが仏教では、無我を説きます。私はない。

わたしとは、コップみたいなものだと思います。「器」。ですが、自我は「私あります!中身入ってます!中身が私です!」と主張します。ですが無我です。空なんです。あるのは「空間」だけです。

死ぬというのは、器が無くなるだけです。入れ物が朽ちてなくなるだけ。中にあった「空間」が器の外に、全体の「空間」に溶け込むような感じなのかなと思います。空間が空間に溶け込む…。

死ぬのを怖がっているのは自我です。生きている間に自我としての私だけでなく、「空間」としての私に気付くことを仏教は勧めているのだと思います。私は今のところそう考えております。

追伸

わかりにくかったですね(^^;すみません。
魂というと梅干しの種みたいに一人一人の中にあるイメージですよね?そういうものではないです。
あるお坊さんが私たちを波と水に喩えてます。
私たちは、自分を波だと思って生きています。小さい波大きい波、速い波遅い波、お互い比べながらそれぞれの波を生きています。別なものとして。ですが、水面下では同じ「水」として繋がっています。波が終わるとわかります。全て同じ水に帰る。そしてそこからまた波が生まれる。

考えるとややこしくなるのだと思います。思考は白か黒かはっきりさせたがります。あるかないか。生か死か。
そんな頭にわかりやすいように情報化された概念的なものではなく、もっと自然なものだと思います。人間もザ自然です。

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有り難し
おきもち

若輩者ですが、宜しくお願い致します。
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死んでも無にはならないです

拝読させて頂きました。あなたのおっしゃる思いはもっともです。
死ぬのは怖いですからね。それは誰だってそうです。

死んだら私達は全て残していかなくてはならないです。
私達はその後でさまようことになりますが、仏様はその様な私達を導いてくださいますからね。

仏様にどうか私を仏様のもとに導いて頂きます様に、そして仏様のもとに生まれさせて頂き親しい方々に再び巡り会わせてくださいと心から仏様にお願いなさってお念仏おとなえすれば間違いなく仏様は私達を導いてくださいます。
そして仏様のもとにて私達は親しい方々に再び巡り会うことができるのです。
あなたもどうか心から仏様にお願いなさって頂きお念仏おとなえなさってくださいね。
南無阿弥陀仏

あなたがこれからの人生をお健やかに生きていかれ、そしてそのその生命を全うなさる時には必ずや仏様にお導きお受け頂き、仏様のもとに生まれ変わり心から安らかになられます様にとお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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心相続

あおちゃんママ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

死しても「これが自分です」と言えるような永久永遠に変わらない独立自存の何か実体的なものがあるわけではないのですが、かといって、何もかもが無くなり、虚無・絶無となるわけでもありません。

では何があり得ることになるかと申しますと、この今あるような粗い肉体や粗い意識に左右されるようなことのない、微細な意識の連続体が存続していく(心相続)ものであると考えることになります。

この心相続上における過去世・今世の業・カルマの因縁(原因と条件)により、いずれの死後の赴きもやがて決まっていくことになります。

できる限り仏教を学び修することにて、業・カルマをより善い因縁に調えていくことによって、より善い赴きへと向かって参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

川口様
早速のお答え、誠にありがとうございます。
前世や、カルマについては、
川口様の仰る心相続という考え方が
前世の存在を肯定しているように感じます。
今世のカルマを見極めて生きていきます。

Kousyo様
お答えありがとうございます。
生まれ変わることが前提であると
解釈し、中間生記憶の話を
思い出しました。死後は
仏様にお会いできる存在に
なりたいものです。

宗像様
お答えありがとうございます。
自我とは何か、というお話で、
死とは自我の終了であると感じました。
空間としての、のお話は少し
難しかったのですが、魂とは
ちがうのでしょうか?

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

虫の知らせ

こんにちは、お世話になっております。 今回は私が過去に経験した不思議な体験について、お坊様方から見るとどのように感じるのか知りたく、投稿させていただきます。 1年ほど前の話となります。 私の家には父方の祖父母が買ってくれた、鮮やかな森の中を夫婦が寄り添って歩いている素敵な絵が飾ってあります。 ある日の夜、その絵が気になってみたところ、何となく男性が薄く見えました。 元よりほんの少し霊感のようなものがある私は、そのことを母に伝えようか迷ったのですが、気のせい。 気にし過ぎだと思ってその日は寝てしまいました。 ところが次の日、父に大事な話があると言われ聞いてみると、昨日の夜祖父が家で倒れ救急車で運ばれたとの事でした。 病院での検査の結果、祖父はガンにかかっていました。 前日の夜、夫婦の絵に違和感を感じたのは虫の知らせのようなものだったのでしょうか。 ちなみにその後祖父は約1年の闘病の末亡くなりました。 その間に一緒に散歩したり、旅行したりと沢山思い出を作ることが出来ました。 偶然と言われてしまえば、それまでではありますがこのような虫の知らせというものは、本当にあるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

死について考えすぎる

昔から死や、明確でない死後の世界に対する恐怖心、不安感に襲われ日常生活でも情緒不安定な生活を度々してきました。 最近昔よりも少し大人になったためもっと複雑に考えてしまい苦しくなっています。 また私は小さな命を3度産む選択が出来なかった時があり 自分自身軽率な行動を取ってしまったために命を産むことが出来なかった。 その命は幸せに過ごして欲しい。 今一緒にいる3人の子ども達も幸せに過ごして欲しい。 死についての恐怖を抱いたまま大人になってほしくない。 でも私は死んだ後も地獄にいって苦しむかもしれない。 でも苦しいのや痛いのは嫌だ。と考えてしまいます。 今とても幸せなんだと感じながら生活しながらそれよりも死に対する恐怖心、不安感の方が強く楽しく日常生活を送ることが難しいです。 来世も人間になりたいと欲がありながら そんなことじゃ生まれ変われないかもしれないと思ってしまったりして 心が苦しいです。 この先死について考えることは無くならないと思いますが 今生きているこの瞬間をどうやったら恐怖心よりも楽しく幸せに過ごせるか、前向きに生きていくためにどうしたらいいか教えていただきたいです。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ