皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

葬儀などでお経を上げお布施を受け取ること

お忙しい中、申し訳ありません。

お釈迦様本来の教えに最も近いと言われる最古のお経の中には、
お釈迦様は、何がしかの行為を行った場合にお布施を受け取ることを拒否された、
と書かれていると聞きます。
またお釈迦様は、死者に念仏のようなものを唱えることは意味がない、と説かれたとも。

お釈迦様が対機説法を用いられたと言われていることを少しは存じておりますが、
お釈迦様の教えを学び実践する目的は、たった一つしかないと思っています。

現代のお坊さまの方々は、葬儀などでお経を上げお布施を受け取ることを、どのように考えておられるのでしょうか?

お坊さん
有り難し 41
回答 4
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。
回答僧

大慈

日本仏教最大級の問題はコミュニケーション不足

最古層の経典に「対価を受け取ってはならない」とする教えがあるのは事実です。しかしその一方で、出家者に布施をしなさいという教えも繰り返し繰り返し、何度も何度も説かれています。この手の話を好んで広める人は、お釈迦さまの教えを自分に都合が良いようにパッチワークする不誠実な人間がほとんどです。また、情報の出処をたどると新興宗教に行き着くことも少なくありませんのでご注意下さい。20世紀にスタートした新興宗教が信者を獲得するには、檀家制度を崩す必要があったのです。

あとは1ヶ寺1ヶ寺、あるいはお寺とお檀家さん1対1の関係でお布施がお布施になっているかという問題です。ぶっちゃけ私はお坊さんをお金でしか見れない人は、その程度の人だと思ってそれなりのお付き合いに止めています。もちろん、だからと言って法事やお葬式、法話に手は抜きませんし、説明して聞いてくださる人かどうかの見極めもします。

あるいは世の中にはお寺の総代会(檀信徒さん側の運営委員会のようなもの)から、定額化してほしいと要請される事例も少なからずあります。この手のニーズは潜在的にかなり増えています。
しかしながら今の日本では「出家者がお金の話題をするのは生臭い気がする」「でも納得できないことはしたくない」という、やり辛いことこの上ない固定観念が染み付いています。この悪循環から地道に取り組み、1つ1つ説明していかねば誰も得をしない未来しか残されないでしょう。キムコさまも葬儀はいったん置いておいて、布施とは何かご質問いただければ回答僧のモチベーションも上がると思います。

お葬式は念仏をする儀式ではありません。読経はしますが、読経がメインでもありません。この辺は前提知識から積み重ね型で学ばないとスッキリし難い所です。
来世や死後、輪廻といった話題の解釈についても宗派や各僧侶で360度、間がないほど様々な見解があります。

仏教の目的は心の平穏を得ることです。悟りは限りなく目的に近い手段です。その上での四大テーマが生老病死です。お葬式はその生老病死が集約される、人生最大級の節目です。一般の方ならともかく、宗教家や宗教学者で「お坊さんは葬儀をすべきではない」と真顔で言っている人は、正直、宗教家としてセンスが無いと思います。

本当は、順を追って正しく理解すれば、仏教2500年の歴史が違う見え方になるのです…

回答僧

鳳林寺

光禪

お布施はお経の対価ではない

こんばんは。

 お布施は、何かの料金ではなく、自分の持っている物欲を無くすために布施をさせて頂く、というのが本来となります。お布施はあなた自身の修行行為といえます。

 つまりお布施は「お経代」としていただいている訳ではありません。

 尚、お布施は全額お寺の会計に入り、そのほとんどがお寺の維持管理などに当てられます。僧侶はその一部をお給料というかたちでわけていただきます。(お坊さんはお金もちのイメージがありますが、多くのお寺さんがギリギリの生活をしている(僧侶の4割が年収300万円以下というデータもある)事を付け加えておきます)それに対しきちんと所得税も納めますし、住民税なども納めています。

お金は有難いです。が、しかし

拝読させて頂きました。あなたのおっしゃることもわかります。
何の為にお経をおとなえしているか?お金をもらう為にしているとも言えますよね。そういうお坊さんもたくさんいらっしゃったと思いますし、今でもそうかと思います。
私はお勤めさせて頂いている時には一切振り返りません。ただただひたすらに正面に仏様と観音菩薩勢至菩薩そしてお亡くなりになられた方に向かってお経をおとなえさせて頂き、仏様にどうかその方を正しくお導きなさってくださいます様にとただ一向にお念仏おとなえさせて頂き仏様にお願いさせて頂きます。
そして参列された全ての方々にしっかりと仏様やお亡くなりになられた親しい方にお向き合い頂き、真心込めてご供養頂きます様にとお願い致します。
それ以上でもそれ以下でもなくただひたすらに亡くなられた方が仏様のもとに生まれ変わり心から安らかになられます様にとお願いするお念仏おとなえするだけです。
私はその思いは必ずや仏様に届き、亡くなられた方は間違いなく仏様のお導きをお受けなさることと信じております。親しい方々が心から念じる思いやお念仏も同様に必ず仏様に届きます。
大切なことはその様なことかと私は思います。

死んで何にも私達は持っていくことはできません、お金も財産も大切な家族もそして自分の肉体も全て残して旅立っていかなくてはならないですからね。
であるならばお金はこの世の中の道具でしかありません。生きていく為に必要なものを得る為の道具でしかありません。

人間ですから物欲にかられ金銭欲や権力欲や名誉欲にもかられてお金を必要とするかもしれませんが、本当は其れ程大切なものではありません。

生きていくことが大切ですからその為に必要なものなだけです。

ついつい人間がお金に左右されてその虜となってしまいますから本当に気をつけたいですね!

あなたのこれからの人生が我欲や執着に出来るだけ囚われることなく、心からお健やかに生きて頂きます様にと心から仏様にご祈念申し上げます。

お坊さんが葬儀でお経を読むのは、ご遺族の方々や参列されている方々に仏法を説くためであります。
親しい人の死に対してどのように受け止めたら良いのかを説くのです。
これも布施です。
法施及び無畏施といいます。

また信者がお金を本尊様やお坊さんに渡すことも布施で、財施といいます。
財施はこの場合に限らず、お金や物などを必要としている方々に差し出すことも含まれます。例えば募金や寄付、あるいはボランティアも労力を差し出したことになります。
この布施の報いを自らが受けることを望めば、自らの喜びになりますし、亡き人が受け取ることを願えば、亡き人の喜びとなります。
全ての人々に振り向けば、全ての人々の喜びになります。

お釈迦様が布施を受け取らなかった話は知らないのですが、餓鬼事経には受け取った様子も書いてます。また発句経には、物惜みは恵み与える人の汚れである、とか、人は信ずるところに従って清き喜びに従って施しをなす、とあるので布施自体は推奨していたと思います。

ただ、餓鬼事経には、布施を受け取るに相応しい者(僧侶)に布施をしなければ、その報いは得られないという話があります。
ですから、私達僧侶が布施を受け取るに相応しい僧侶となるよう、あなたが布施をしたいと思うくらいの僧侶になれるよう、精進していきたいと思います。

追記
宗派によっても違いますが、浄土宗で読むお経には死をどう受け止めるのかが書かれているのです。なので葬儀で読経するのです。ただ漢文なので聞いても意味が分かりませんよね。なので私は法事の際にお経の内容について解説したりします。時には書き下し文という意味の分かりやすい日本語で読経することもあります。

また、お釈迦様は死後のことは無記とよく言われますが、そうでもありません。例えばお釈迦様が口伝で残された法句経には、「悪しき事を作す者は、ここに憂い、かしこに憂い、二つながら共に憂う。己れの汚れたるふるまいを見て、彼は憂い、彼は悩む。善き事を作す者は、ここに喜び、かしこに喜び、二つながら共に喜ぶ。己れの清らかなるふるまいを見て、彼は楽しみ、彼は喜ぶ。」とあります。「ここ」とは現世の事、「かしこ」とは来世の事と解釈されています。お釈迦様の人々を導く為の方便かもしれませんが、お釈迦様の方便なら素直に従ってもいいかなと、私は思いますね。


質問者からの有り難し - お礼

光禪さま

ご返答して頂き誠にありがたうございます。

お布施とは無償の施しとしてお納めするものだと思い込んでいましたが、
「お布施」を検索すると、「お布施とはお礼です。」書かれているお寺さんがとてもとても沢山在ることに驚きました。
もっとも私のような凡夫は、お坊様にお布施を預ける時に感謝の気持ちが無いかと問われれば、ありますという答えになります。

お布施とは三施であると言って間違いないと思いますが、見返りを求めてはいけないのが三施大前提であります。
読経も三施の中の法施ですから、
見返りを求めない法施に見返りを求めない財施を施すことは見返りを与えること(謝礼)です。
と言われると、頭がぐるぐる回るってしまいます。

もちろん、光禪さまは「そんなこと言ってねーよ!」と仰られると信じています。

大変申し訳ないことですが、
>自分の持っている物欲を無くすために布施をさせて頂く
私はこれを否定します。
それは、「財産を全て布施しなければ貴方は救われません、不幸になります。」などと言う宗教に通じるからです。
煩悩は無くすのではなく、煩悩を知ることが悟りです。
と仰られるお方の方を私は信じます。

失礼な事ばかり書いてしまいましたが、お寺さんに寄付することを否定するつもりはありません。
凡夫の戯言ですからどうかお許しください。
死者にお経をあげることについてもお伺いしたかったのですが、残念です。

大慈さま

ご返答して頂き誠にありがたうございます。

>お釈迦さまの教えを自分に都合が良いようにパッチワークする不誠実な人間
最近話題の教団の教祖様のことかな? と思ってしまいましたが、対価として目の玉が飛び出すくらいの金額を提示してそれをお布施と言ってますから、違うのでしょうね。

私がこのような質問をしたのは、上記のような教団と既存の仏教の違いを知りたいと思ったからです。

この歳なので葬儀には幾度の参列されて頂きましたが、お坊様の教えを少し拝聴できたのは一度きりでした。

宗教間で自浄作用を持つことは、大変難しいことであり時には危険なことでもあります。
しかし自浄作用が無ければ、人々の信仰心が薄れるのは仕方がないと思います。

kousyo Kuuyo Azumaさま

ご返答して頂き誠にありがたうございます。

お坊様が一生懸命お祈りしてくださっていると言う事が良く分かりました、
ありがとうございます。

聖章さま

ご返答して頂き誠にありがたうございます。

>お坊さんが葬儀でお経を読むのは、ご遺族の方々や参列されている方々に仏法を説くためであります。
私もそのように考えています。
しかし、なぜ教えを説かれるのではなく読経されるのか? という疑問に至ってしまいます。

>お釈迦様が布施を受け取らなかった話は知らないのですが
お釈迦様がお布施を受け取らなかったとは言ってません。
教えを説くなどの法施をした際にお礼を受け取ってしまっては、見返りを求めないことには成らない。という意味だと思います。

経典の数は膨大でありますから、私は余りにも無知でございます。
千差万別のお考えを否定するつもりではありませんが、
私は、「お釈迦様は死後のことについて言及されなかった。」という説を支持しています。
死後のことは本当に死んだ者にしか知りうることは出来ませんから、
私は死後のことについて議論しないことにしています。

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