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葬儀などでお経を上げお布施を受け取ること

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お忙しい中、申し訳ありません。

お釈迦様本来の教えに最も近いと言われる最古のお経の中には、
お釈迦様は、何がしかの行為を行った場合にお布施を受け取ることを拒否された、
と書かれていると聞きます。
またお釈迦様は、死者に念仏のようなものを唱えることは意味がない、と説かれたとも。

お釈迦様が対機説法を用いられたと言われていることを少しは存じておりますが、
お釈迦様の教えを学び実践する目的は、たった一つしかないと思っています。

現代のお坊さまの方々は、葬儀などでお経を上げお布施を受け取ることを、どのように考えておられるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

日本仏教最大級の問題はコミュニケーション不足

最古層の経典に「対価を受け取ってはならない」とする教えがあるのは事実です。しかしその一方で、出家者に布施をしなさいという教えも繰り返し繰り返し、何度も何度も説かれています。この手の話を好んで広める人は、お釈迦さまの教えを自分に都合が良いようにパッチワークする不誠実な人間がほとんどです。また、情報の出処をたどると新興宗教に行き着くことも少なくありませんのでご注意下さい。20世紀にスタートした新興宗教が信者を獲得するには、檀家制度を崩す必要があったのです。

あとは1ヶ寺1ヶ寺、あるいはお寺とお檀家さん1対1の関係でお布施がお布施になっているかという問題です。ぶっちゃけ私はお坊さんをお金でしか見れない人は、その程度の人だと思ってそれなりのお付き合いに止めています。もちろん、だからと言って法事やお葬式、法話に手は抜きませんし、説明して聞いてくださる人かどうかの見極めもします。

あるいは世の中にはお寺の総代会(檀信徒さん側の運営委員会のようなもの)から、定額化してほしいと要請される事例も少なからずあります。この手のニーズは潜在的にかなり増えています。
しかしながら今の日本では「出家者がお金の話題をするのは生臭い気がする」「でも納得できないことはしたくない」という、やり辛いことこの上ない固定観念が染み付いています。この悪循環から地道に取り組み、1つ1つ説明していかねば誰も得をしない未来しか残されないでしょう。キムコさまも葬儀はいったん置いておいて、布施とは何かご質問いただければ回答僧のモチベーションも上がると思います。

お葬式は念仏をする儀式ではありません。読経はしますが、読経がメインでもありません。この辺は前提知識から積み重ね型で学ばないとスッキリし難い所です。
来世や死後、輪廻といった話題の解釈についても宗派や各僧侶で360度、間がないほど様々な見解があります。

仏教の目的は心の平穏を得ることです。悟りは限りなく目的に近い手段です。その上での四大テーマが生老病死です。お葬式はその生老病死が集約される、人生最大級の節目です。一般の方ならともかく、宗教家や宗教学者で「お坊さんは葬儀をすべきではない」と真顔で言っている人は、正直、宗教家としてセンスが無いと思います。

本当は、順を追って正しく理解すれば、仏教2500年の歴史が違う見え方になるのです…

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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お布施はお経の対価ではない

こんばんは。

 お布施は、何かの料金ではなく、自分の持っている物欲を無くすために布施をさせて頂く、というのが本来となります。お布施はあなた自身の修行行為といえます。

 つまりお布施は「お経代」としていただいている訳ではありません。

 尚、お布施は全額お寺の会計に入り、そのほとんどがお寺の維持管理などに当てられます。僧侶はその一部をお給料というかたちでわけていただきます。(お坊さんはお金もちのイメージがありますが、多くのお寺さんがギリギリの生活をしている(僧侶の4割が年収300万円以下というデータもある)事を付け加えておきます)それに対しきちんと所得税も納めますし、住民税なども納めています。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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お金は有難いです。が、しかし

拝読させて頂きました。あなたのおっしゃることもわかります。
何の為にお経をおとなえしているか?お金をもらう為にしているとも言えますよね。そういうお坊さんもたくさんいらっしゃったと思いますし、今でもそうかと思います。
私はお勤めさせて頂いている時には一切振り返りません。ただただひたすらに正面に仏様と観音菩薩勢至菩薩そしてお亡くなりになられた方に向かってお経をおとなえさせて頂き、仏様にどうかその方を正しくお導きなさってくださいます様にとただ一向にお念仏おとなえさせて頂き仏様にお願いさせて頂きます。
そして参列された全ての方々にしっかりと仏様やお亡くなりになられた親しい方にお向き合い頂き、真心込めてご供養頂きます様にとお願い致します。
それ以上でもそれ以下でもなくただひたすらに亡くなられた方が仏様のもとに生まれ変わり心から安らかになられます様にとお願いするお念仏おとなえするだけです。
私はその思いは必ずや仏様に届き、亡くなられた方は間違いなく仏様のお導きをお受けなさることと信じております。親しい方々が心から念じる思いやお念仏も同様に必ず仏様に届きます。
大切なことはその様なことかと私は思います。

死んで何にも私達は持っていくことはできません、お金も財産も大切な家族もそして自分の肉体も全て残して旅立っていかなくてはならないですからね。
であるならばお金はこの世の中の道具でしかありません。生きていく為に必要なものを得る為の道具でしかありません。

人間ですから物欲にかられ金銭欲や権力欲や名誉欲にもかられてお金を必要とするかもしれませんが、本当は其れ程大切なものではありません。

生きていくことが大切ですからその為に必要なものなだけです。

ついつい人間がお金に左右されてその虜となってしまいますから本当に気をつけたいですね!

あなたのこれからの人生が我欲や執着に出来るだけ囚われることなく、心からお健やかに生きて頂きます様にと心から仏様にご祈念申し上げます。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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お坊さんが葬儀でお経を読むのは、ご遺族の方々や参列されている方々に仏法を説くためであります。
親しい人の死に対してどのように受け止めたら良いのかを説くのです。
これも布施です。
法施及び無畏施といいます。

また信者がお金を本尊様やお坊さんに渡すことも布施で、財施といいます。
財施はこの場合に限らず、お金や物などを必要としている方々に差し出すことも含まれます。例えば募金や寄付、あるいはボランティアも労力を差し出したことになります。
この布施の報いを自らが受けることを望めば、自らの喜びになりますし、亡き人が受け取ることを願えば、亡き人の喜びとなります。
全ての人々に振り向けば、全ての人々の喜びになります。

お釈迦様が布施を受け取らなかった話は知らないのですが、餓鬼事経には受け取った様子も書いてます。また発句経には、物惜みは恵み与える人の汚れである、とか、人は信ずるところに従って清き喜びに従って施しをなす、とあるので布施自体は推奨していたと思います。

ただ、餓鬼事経には、布施を受け取るに相応しい者(僧侶)に布施をしなければ、その報いは得られないという話があります。
ですから、私達僧侶が布施を受け取るに相応しい僧侶となるよう、あなたが布施をしたいと思うくらいの僧侶になれるよう、精進していきたいと思います。

追記
宗派によっても違いますが、浄土宗で読むお経には死をどう受け止めるのかが書かれているのです。なので葬儀で読経するのです。ただ漢文なので聞いても意味が分かりませんよね。なので私は法事の際にお経の内容について解説したりします。時には書き下し文という意味の分かりやすい日本語で読経することもあります。

また、お釈迦様は死後のことは無記とよく言われますが、そうでもありません。例えばお釈迦様が口伝で残された法句経には、「悪しき事を作す者は、ここに憂い、かしこに憂い、二つながら共に憂う。己れの汚れたるふるまいを見て、彼は憂い、彼は悩む。善き事を作す者は、ここに喜び、かしこに喜び、二つながら共に喜ぶ。己れの清らかなるふるまいを見て、彼は楽しみ、彼は喜ぶ。」とあります。「ここ」とは現世の事、「かしこ」とは来世の事と解釈されています。お釈迦様の人々を導く為の方便かもしれませんが、お釈迦様の方便なら素直に従ってもいいかなと、私は思いますね。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

光禪さま

ご返答して頂き誠にありがたうございます。

お布施とは無償の施しとしてお納めするものだと思い込んでいましたが、
「お布施」を検索すると、「お布施とはお礼です。」書かれているお寺さんがとてもとても沢山在ることに驚きました。
もっとも私のような凡夫は、お坊様にお布施を預ける時に感謝の気持ちが無いかと問われれば、ありますという答えになります。

お布施とは三施であると言って間違いないと思いますが、見返りを求めてはいけないのが三施大前提であります。
読経も三施の中の法施ですから、
見返りを求めない法施に見返りを求めない財施を施すことは見返りを与えること(謝礼)です。
と言われると、頭がぐるぐる回るってしまいます。

もちろん、光禪さまは「そんなこと言ってねーよ!」と仰られると信じています。

大変申し訳ないことですが、
>自分の持っている物欲を無くすために布施をさせて頂く
私はこれを否定します。
それは、「財産を全て布施しなければ貴方は救われません、不幸になります。」などと言う宗教に通じるからです。
煩悩は無くすのではなく、煩悩を知ることが悟りです。
と仰られるお方の方を私は信じます。

失礼な事ばかり書いてしまいましたが、お寺さんに寄付することを否定するつもりはありません。
凡夫の戯言ですからどうかお許しください。
死者にお経をあげることについてもお伺いしたかったのですが、残念です。

大慈さま

ご返答して頂き誠にありがたうございます。

>お釈迦さまの教えを自分に都合が良いようにパッチワークする不誠実な人間
最近話題の教団の教祖様のことかな? と思ってしまいましたが、対価として目の玉が飛び出すくらいの金額を提示してそれをお布施と言ってますから、違うのでしょうね。

私がこのような質問をしたのは、上記のような教団と既存の仏教の違いを知りたいと思ったからです。

この歳なので葬儀には幾度の参列されて頂きましたが、お坊様の教えを少し拝聴できたのは一度きりでした。

宗教間で自浄作用を持つことは、大変難しいことであり時には危険なことでもあります。
しかし自浄作用が無ければ、人々の信仰心が薄れるのは仕方がないと思います。

kousyo Kuuyo Azumaさま

ご返答して頂き誠にありがたうございます。

お坊様が一生懸命お祈りしてくださっていると言う事が良く分かりました、
ありがとうございます。

聖章さま

ご返答して頂き誠にありがたうございます。

>お坊さんが葬儀でお経を読むのは、ご遺族の方々や参列されている方々に仏法を説くためであります。
私もそのように考えています。
しかし、なぜ教えを説かれるのではなく読経されるのか? という疑問に至ってしまいます。

>お釈迦様が布施を受け取らなかった話は知らないのですが
お釈迦様がお布施を受け取らなかったとは言ってません。
教えを説くなどの法施をした際にお礼を受け取ってしまっては、見返りを求めないことには成らない。という意味だと思います。

経典の数は膨大でありますから、私は余りにも無知でございます。
千差万別のお考えを否定するつもりではありませんが、
私は、「お釈迦様は死後のことについて言及されなかった。」という説を支持しています。
死後のことは本当に死んだ者にしか知りうることは出来ませんから、
私は死後のことについて議論しないことにしています。

「お布施について」問答一覧

お葬式で渡す、お寺様への金額について

よろしくお願い致します。 先日祖父が亡くなりました。 葬儀の手続き等をしていくうちにお寺さんへお渡しするお金(戒名料や読経料等全て含む)についてのお話しになりました。 正直、お寺さんにお支払いする金額は気持ちとしてこちらが決めた額をお渡しするものだと思っていたのですが、不安だった部分もあり直接菩提寺(曹洞宗でお墓の数は300~400基くらいのお寺)に問い合わせた所、100万円という答えが返ってきました。 金額の高さにも驚いたのですが、まさかお坊さんから具体的な数字が返ってくるとは思いませんでした。 正直、そういった部分は「お気持ちで」等の返事が来ると思ったからです。 以前からその菩提寺は事ある事に改修をし、それ必要?と思うようなもの「ゴジラの大きい石像や、キャラクターの石像」を建て、 法要で家にお越しいただいた際は仏様のお話しをする前に寄付のお話しばかりされる方で、正直不信感をもち、苦手意識がありました。 そういった経緯もあり高いと感じてしまっているのかもしれませんが、この金額は妥当なのでしょうか? そして、戒名にもランク?があり、院をつけたりすると高くなると伺ったのですが、院とつけることで亡くなった祖父には何か良いことがあるのでしょうか? 教えていただければ幸いです。 よろしくお願い致します。

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お布施が上がるのはよくあることですか

先日母を亡くし、10年前に亡くなった父と同じお寺にお世話になりました。 うちはそのお寺の檀家ではありませんが、父の本家が檀家になっており、本家の叔父からお寺へ繫いで貰いました。 父の時の記録を基にお布施など心積りしておりましたが、母の葬儀をお願いした時に改めてお布施の金額をお伺いしたところ、10万円も上がっていて少し驚きました。 父の時から10年も経ち、物価も値上りしているので、驚きはしたもののそういうものかと思い言われた額をお包みしました。 父の時は母の希望で葬儀後も三七日・五七日・七七日(四十九日)・百箇日・一周忌と続けて法要を行いましたので、同じ様に供養すべく先程三七日法要のお願いをしたのですが、今度はお布施が父の時の倍額を提示されて戸惑っています。 父と同じ様に母を供養したいと思っているのですが、この先四十九日・百箇日・一周忌は更に父の時の倍額以上は提示されるものと予想しています。 お恥ずかしながら、私は独身かつ長らく病気で働けていない為、それ程経済的にゆとりがない状況です。 父の時の記録を基に心積りしていたのが良くなかったのでしょうか。 父の時の金額は、一般的な相場と言われているよりは安く提示されていたようです。 ただ、数年でお布施の金額が変わるのはよくあることなのでしょうか。。 こちらからお伺いして金額を提示して頂いた以上、それよりも少ない金額をお包みするのはやはり失礼にあたるでしょうか。 母の葬儀は父よりも小規模にしたものの、お布施は父より高くなってしまうことが気掛かりです。

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お布施の記録はどのようになさいますか

実家の菩提寺に、お盆のお布施を送金しました。おととしまでは行事に参加していたのですが、コロナのため、遠方からの参加は見合わせてほしいということになり、昨年からそうしています。寺域にお墓のある人は、行事終了後、それぞれの墓地にお坊様が卒塔婆を持って行ってくださることになっていました。お供物(お菓子など)は後日郵送してくださるのですが、今回、卒塔婆も一緒に郵送されてきてしまいました。電話してみましたら、電話に出た方が「寺にお墓はありますか?」と。寺域の外にある場合は卒塔婆は自分で供えることになっているのでそう言われたのですが、毎年のことなのに、なぜ今年はそのような行き違いが起きたのだろうと疑問に思いました。あとから住職さんが電話口に出てこられ、「名簿にお墓の番号が振ってなかったのでそうなりました」とのこと。父が亡くなり、そのあと母が亡くなってからすでに8年が経ち、今まで毎年お布施等、欠かしたこともなかったのに、なぜそういうことになったのだろうと。お墓は弟が代表で跡を継いでおり、そちらのほうは番号が振ってあったようです。嫁いで姓も変わった人間は、実家の墓など構わなくてよいのだと言われたように感じ、とても寂しく思いました。お墓参りはしたいと思いますが、彼岸のお布施等、もう、よしましょうか・・・という気持ちにもなりました。卒塔婆は向こうで新しく作って供えてくださることになりましたが、電話の最後、向こうから叩き切るような切り方で、後味が悪いです。代替わりのときの儀式費用も、戒名のランクに合わせた金額を、弟も出しましたが私も出しております。もしかしたら、跡継ぎの弟だけが出せばよかったのかもしれない、と思ってしまいました。 お寺様では、お布施の記録というのはどのようにされているものなのでしょうか。 また、嫁いで姓の変わった人間は、実家のお寺とのお付き合いはどの程度するものなのでしょうか。 お考えをお聞かせいただけたら幸いです。

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お布施の額について

このたび家族が亡くなり菩提寺ができました。本家からのご縁のあるお寺さんで、宗派は真言宗です。 お墓を建てた際にお祓いにきていただきましたがそれ以降は法事もなく、檀家にはまだ入っておりませんでしたので深いお付き合いとなるのは今回が初めてです。 昨今の時代もあるのでしょう、お葬式の際はそれぞれのはっきりした金額をお寺さんよりご提示いただきました。お布施のみお気持ちでとのことでしたが、初めてのことでわからなかったため正直に相場をお伺いしました。 必ずその金額でなくともいいですよとのことでしたのでご提示の相場より少々落とした金額でお包みする予定でしたが、私共の故人を供養してあげたい気持ちが強く、お布施をけちけちしてしまうことは故人への供養の気持ちを自ら汚しているような気がして気が晴れず最終的にお寺さんがご提示された相場の金額でお包みさせていただきました。 しかし近所の檀家さんは「あのお寺は何かにつけてお布施の要請があり、それも高額なのでお金がかかって困っている」と仰っておられ、これから長い間お付き合いをさせていただくのに少々不安が残ります。 やはりお布施は私たちにとっては高額で経済的に痛手ともなりますので、できることなら身の丈に合う金額でお願いしたい。しかし小さな集落でとにかく右に倣えの風習があり、本来他の檀家さんと同じようにしておくのが間違いないところを相場以下または大きく下回る金額ですとお寺さんの印象もよくなくなり故人の供養、今後お世話になる後続の家族の供養に差し障りがあるのではと悩ましく思っております。 お布施の額で対応が変わったり、故人の供養に影響したり、また今後私共がお世話になる際にあの家はたいしてお布施をくれないから手を抜こうなどと思われたりされないでしょうか。 どこに相談すればよいのかわからずただ悩んでおりましたため、こちらでお教えいただけましたら幸いです。

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何故お布施の額は寺院により違うのですか?

よろしくお願い申し上げます。 先日、父親の葬儀を無事終えました。 浄土真宗です。 いくつか疑問に思ったので質問致します。私の勉強不足で失礼な物言いになってしまっていましたら申し訳ありません。 葬儀の打ち合わせをした際、直接お寺さんにお布施をどれくらいにするかをお聞きしました。 お車代1万(片道車で30分)精進落としは辞退(つまりお膳代1万) 法名付けて30万で結構ですよ。 と仰いました。 結構ですよという文言が気になりました。 お布施は阿弥陀仏に捧げるものなので、金額に不満ということではありません。 全国のお寺さんは集めたお布施をどのくらいご自身の生活に使われて、どのくらいを修繕維持費や拡張費、又は広告費や檀家接待費に割り当てているのでしょうか?それはお寺によりまちまちですという回答はお控えください。どうあるべきかを教えてください。 私個人としてはお布施に各寺院による金額差が出ている時点でおかしいと思っています。 例えば30万のうち20万はどこのお寺さんでも阿弥陀仏に必ずこの額のお気持ちを捧げますという意味で本山などへ送金し、残った10万はお経、説法の勤めと維持費に使いますという約束が欲しいのです。 先日では通夜葬儀含め1時間もいらっしゃったかどうか。荼毘に伏す前にお帰りでした。 葬儀社の方もそれが一般的と仰っておりました。一般的ってなんなのでしょう。 葬儀に伴い、初七日を式の日に合わせて行うことが多いそうですが、言い方がわるいですが、いい加減だなあという印象です。 どうしても仕事が外せないとか、遠方で行けないとかということで日にちを改める事を遺族から伝えることは致し方ないことと思いますが、葬儀社やお寺さんがまとめて法要をすることを勧めたりというのは如何なことなのでしょうか? 不勉強ですが私は霊的にちゃんと日を数えることに意味があると思うのですが、大事なことはそこではないのでしょうか。 四十九日がお盆になるということでその日はずらしましょうと言われました。 宗教は眼に見えず、なかなか体験し難く、自分なりの解釈を得るまでむずかしいですね。 私は無宗派ですが、神仏を習慣ではなくて本質的に大事にしたいと思っておりますので、尚更疑問に思っております。システム化して商売っ気を持ち込んで来ているように思えるお寺さんに対し虚しくなります。 皆様どうお考えですか?

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お布施をお渡しする気持ちがわきません

先日、祖母が亡くなりました。 葬儀会社は決まっていたので葬儀の予定は滞りなく決まったのですが、菩提寺にお渡しするお布施が高く、どうしたらいいのかと悩んでいます。 自宅は千葉、お寺は東京にあるので、電話でお話をしました。 失礼かと思いましたがどのくらいお布施をお渡ししたらよいか分からなかったのでお伺いしたところ135万円と言われました。 思っていた金額よりかなり上でした。 こちらに余裕がある生活をしていればご縁もあってのことですしそのままお願いするかもしれませんが、お恥ずかしい話そのような経済状況ではないもので、そのむね事情を伝えさせて頂き、一括でのお支払はできませんが何度かに分けてなどはできないものかとご相談もしたのですが、今まで分割で支払いをうけたこともないしこれが最低ラインです、と。 どうぞ135万円お包み頂いてお越し下さい、と言われました。 それくらいだすのが当然ですよと、言わんばかりの雰囲気でした。 高額なのとお寺の電話での話ぶりと、気持ちがつりあわなくて、こんなことを思う私が悪いのか、でもどうにも金額が高いのではないのかと、そんなことばかり考えてしまって元々の祖母をきちんと送りだしたい気持ちよりお金の事が頭をしめてしまっています。 ちなみにもし自宅の方で火葬まですませて、戒名だけとなったらいかがでしょうかと尋ねたら、それでも同じ金額です、とおっしゃっていました。 なんとかその金額を準備しても、葬儀代も納骨もまだいろいろあります。正直生活がままならなくなってしまいます。 お布施とはそんな気持ちで納めるものなのかと。 なにもお渡ししないまま戒名をつけて頂きたいなんてそんな事は思ってはいません。できるところまでは感謝の気持ちでお布施できればと考えています。 ですがご提示の金額は高すぎるのではないかと。 その金額は相談できないものなのでしょうか? 戒名だけつけて頂くのも同じ金額とは、そのようなものなのでしょうか? わざわざ東京から来て頂いかなくてよい分お布施の金額をおさえてお渡しすることは失礼でしょうか?それはこちらの勝手な言い分なのでしょうか? 長文、乱文で申し訳ありません。 ですが、どこで、どなたに相談したらよいものかもわからずネットで検索していたところこちらを見つけて、もうここしかないと… よろしくお願いします。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ