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怖いと思うことが増えました。

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有り難し有り難し 19

好きなことを仕事にし、仕事も大好きで、プライベートも楽しんできましたが、この2年くらい、漠然とした恐れや怖さを感じて消極的になっているのでそれを変えたいです。

ちょうど転職をし、新しいことを始めていましたが、なかなか仕事にも自信がもてず、どちらかというと守りの姿勢になっています。

結婚や出産も縁がなく、焦っているのもあると思いますが、一生これをやっていきたいと思えるものが見つかっていないのも不安です。やってみたいという気持ちよりも、条件や費やす時間を気にしている気がします。

現在の年齢と自分の理想にズレが生じていることに不安を感じているのでしょうか。心の持ちようと思いながらも不安になります。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

恐怖 は 無明より生まれる

怖いという事は知らないのです。
よく分かっていないのです。
そのものの実物の姿、本当の姿を勝手に推測しているから怖いのです。
この世に世界が二つあるとします。
一つは現実の世界。
一つは思いの世界。
(^<^)おそらくあなたが向き合っているのは、思いの世界です。
現実を相手にしなくなってきている。
それが、あなたを世界から遠ざけている。
しかも、有りもしないことを誇大妄想であれこれ考えて、妄想という猛獣を大きくしている。
だから怖れているのは、自分の思いです。
自分の思いなのだという所まで今日中に見抜いてください。
何故なら、あなたが思い描いた、その恐ろしい世界が、現実の目の前にあるのでしょうか。
無いはずです。
だからそれはあなたが作り出した、何年も先の事を、今この瞬間に生み出した「念」なのです。
念とは、「今」と「心」と記します。
たった今の思いでしかないのです。
思いは幻です。
有ると思ったら掴んでみてください。一休さんがトラを屏風体してみてくださいと言ったように、机の上にでも出してみてください。
恐怖とは、無いものを有ると思うこと、そうでないことを、今の内からそうであると思いこむ、自分自身の思い込みなのです。
思いの世界で泳いで溺れるよりも、
現実の世界でどんどん実行しましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

あなたは、満ち足りた存在です。ご安心ください。

不安や恐れはなぜ起きるのかに気づくと安心した生活が送れるのではないでしょうか。

物事を捉える時に、人と比べたり、自分の理想を人や自分の現実に押し付けたりすると、そこでギャップが生まれた時に不安も生まれます。

あなたとは、今のあなたであるはず。常にあなたはあなた。誰かと比べたり、理想がくっついた存在ではありません。過去のあなたでもありません。

ご自分を、勝手な解釈で評価し、将来を気にしたりするのでしょう。今は満ち足りているはずなのに、欲しているのです。それは自分勝手な評価をしているからです。

今のあなたをじっくり見てください。理想なんかなくてもしっかり存在し、生かされているでしょう。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

自分を偽らない。 ちゃんと弱音を吐く

salasalaさん

あなたの生活は満たされている
しかし、実のところ何も満足していない

あなたが心の奥底に抱えている欲求に向き合わず
仕事も大好き、プライベートも楽しんできたと
自分を偽っているから不安なのだと思います。

“結婚や出産も縁がなく、焦っているのもあると思いますが、一生これをやっていきたいと思えるものが見つかっていないのも不安です。”

仕事もプライベートも満足できていない

まず自分を偽らない。
ちゃんと弱音を吐く

自分がどういうことをしている時に
幸せを感じて安心できるのか
どう生きて行きたいのか
間違えながら、試しながら
求めていくことだと思います。

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有り難し
おきもち

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ