生きるのが苦しい
幼稚園の頃から軽いいじめのようなものにあってきました。
そのせいか「死」をいつも意識していました。
中学に入り、本格的ないじめが始まりました。
クラスの女の子からはある時、急に無視されました。
完全に無視してくれたら、まだ良かったのですが、横を通る時に「死んでも関係ないから」「遺書に名前書かれても反省しないから」「死ねば?」
などと言われ続けました。
その頃は死ぬことばかり考えて、成績も落ちてしまいました。
同時に家では兄から「お前みたいに家でも外でもおとなしい奴は犯罪者になるんだ」
と言われ、兄を殺そうかと本気で悩みました。
そして、今、子ども達が保育園に入ることになりました。
それと同時に昔の嫌な思い出が甦って来ました。
何をするにも無気力になり、子ども達の前では頑張って作り笑いをし、同居する母の顔色をうかがい生活していますが限界を感じています。
今日は何回か首吊りを試しましたが失敗。
誰か私を殺してくれないかと願う毎日です。
夫には死にたいと思っていることは伝えていますが、取り合ってくれません。
精神科に通院していますが、安定剤などは一時凌ぎに過ぎません。
もう何もかも捨てて一人でのたれ死にしたいとも考えています。
乱文になってしまいましたが、何か教えをいただけると幸いです。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
誰だって 嫌にもなるし、生きることをやめたくなるよね。
そぅ。。。そんなことがあって、ずっと苦しかったんだね。あなたの存在を否定するようなことを言われたら、誰だって 嫌にもなるし、生きることをやめたくなるよね。
ご主人は、ちゃんと あなたの気持ちに応えたいと思いながらも、どう答えていいのか 分からないんだと思うの。あなたのことが、嫌だからではないんだよ。
あなたは、子どもさんにとっても、大事な 必要な存在。あなたが向ける笑顔で、子どもさんは 愛されていると実感しているよ。
今日は、首を吊ろうとしたのね。それだけ苦しい日だったのね。生きるということは、しんどいよね。
あなたが、今こうして メッセージをくれたこと、繋がっていたいということ だと思うのよ。
だから、こうして、私は あなたと向き合っている。
また、どうしようもないとき、無気力になったとき、一緒に話そう。メールでもかまいませんよ。
そして、子どもさんの成長を 守っていこう。
あなたが、必要よ。
我から始まる間違い
拝読させて頂きました。
とても辛い思いをされてきたんですね。我慢して生きてこられたんですね。
ちぃさんの頭の中に辛い記憶としてしっかり残っているんだとは思いますが、その記憶と今のちぃさんは別ものです。違うんです。
仏教で「我」といいますが、これは「私の為に働く考え」です。私が幸せになりたい。苦しみたくない…。これは当たり前のことですが、同時に、「私の幸せを妨げるもの」「私を苦しめるもの」という敵を心の中に作ることになると思います。その敵に怯えながら、傷つけられまいと私を守りながら、「我」をどんどん肥大化させていくことになり、結果、「満たされない私」を作り上げてしまいます。
「我としての私」は私のために〰!っという余り、私を不幸にしてしまいます。「私」を固めて固めてどんどん大きくしてしまう。頭でっかちになって身動きが出来なくなってしまいます。何をするにも「私」が邪魔をする。過去が邪魔をする。
ですが仏教では、我に対して、「無我」と説きます。こっちが本来です。本当は無我なんです。
我なんてないんです。頭の中にしかない。考えるから出来上がるんです。考えなければない、ということは、事実としては「ない」ということです。事実として、いま、ここ、にはない。私も刻々と変化し続けてきました。今の私はそのときの私ではない。
脳だって、生命の進化としては一番最後の方じゃないでしょうか?液体、皮膚、内臓、骨や筋肉、等々…。脳も出来て、更に人間のような脳に進化したのは最後も最後です。そんな新米臓器に私を任せきってよいのでしょうか?乗っ取られてよいのでしょうか?疑ってみる価値は大いにあると思います。
ちぃ様
こんにちは。拝見させていただきました。
昔の嫌な事を思い出し、子供達の前では作り笑いをし、夫は話を聞いてくれず、母もわかってくれない。それはつらいですね。死にたくもなると思います。むしろよく子供さんを育ててやっていると思います。本当によくここまで頑張ってこられましたね。
私はちょっと嬉しかったのは「本気で殺そうかと悩んだ」という一文です。この本心をなかなか出せないのです。心の底にある押さえ込んだ憎しみ。「なぜ受け入れてくれないんだ」という憎しみと、もう一方で「見捨てられたくない、見捨てられたら居場所と価値がない」という恐怖。アクセル全開でブレーキ全開の生活なのかなと感じました。幼稚園の人達やお兄さんなど、「あなたを大切にしない」人達は、あなたが悪いから責めているわけではなく、大切に出来る能力を持たない人達だったのです。なぜならその人達もまわりの人に受け入れてくれる人がいなかったから。だから優しそうなあなたに「甘えて代役にした」のです。あなたは「思い込まされた」のです
叫んでも大丈夫な場所はありますか?なければカラオケBOXにいきましょう。クッションとタオルと輪ゴム(ひも)を持っていきます。うるさい歌を選曲して、バスタオルを筒状に巻いてゴムで固定します。クッションを憎い人に見立ててください。ドラえもんのスモールライトをご存知ですか?嫌いな人をイメージの中で小さくしてください。そうすると怖さが消えます。「私の人生は私が決めるよ!」「なんでわかってくれなかったんだ」と思いのたけを叫んでクッションをタオルで叩いてください。出来れば疲れるまで叫んでたたくこと。間違ってもBOXの器物を壊さないように。
一日一分で良いので深呼吸する。不安になったら深呼吸5回。鼻から息をすう3秒(綺麗な空気が身体のすみずみに届くイメージ)息をとめる5秒、口からゆっくり息を吐く8秒。(嫌な気持ちがすーっと出て行くイメージ)
ノートを書く。
② 気持ちを書き散らすこと。恨み辛みも書いてください。
②そのやった事を書く。出来たことを書くことです。掃除したとかご飯作ったなど出来たことを書いていく。
ちぃさんの「苦しみ」は憎しみと悲しみの裏返しだと思います。ここまでこれだけ一生懸命我慢して頑張ってきたのですもの。ちょっとはき出してみても良いのではないでしょうか。応援しております。合掌