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夫と実母の関係

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有り難し有り難し 4

夫が春から移動で激務の為、イライラし発言が自己中心にかわる。家も引越しました
以前は家族との関係も問題なく同居もうまくいっていました
勤務が変わってからは家で寝る時間も少なく、子供とも遊べない為イライラしています。
家が手狭な為、母に実家に帰ってもらい家族3人だけで暮らしたいと言われました。
以前、子供が大病になり夫が母を呼び寄せたのですがそんな事は忘れています。私はどうすべきか迷っています。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

旦那さんを気遣ってあげてください

ご質問で書かれておられる状況だけでは解らない部分も多いのですが、
参考になればと思い少しだけ書かせて頂きますね。

旦那さんが仕事の状況が変わり睡眠時間すらあまり取れておらず、イライラしておられるとのことですが、
もしかして、旦那さんからのSOSの可能性があります。

貴女のお母様にも気遣えるだけの体力も精神力も無いのではないでしょうか?
お母様とて、そのような状況で同居は心休まらない事と思います。

大事なのは、まず貴女が正確に旦那様の状況を把握して差し上げて
優しさを持って気遣って差し上げる事だと思います。

旦那様が仕事の激務で体調を崩して倒れられたり、うつ病になる可能性だってあると思うのです。
そうなれば、貴女やお子様の生活がままならないのではないでしょうか?

旦那様はそういった責任感から、少しでも自分の精神的な負担を軽減するためにお母様に実家に帰って頂きたいと仰ったのかもしれません。

旦那さんの仕事には悩み虫さん一家の生活がかかっています。
無理を承知でも旦那様は言われた仕事を進めなければ成らない状況もあるかもしれません。

お母様に恩があると言うのも解りますが、今はそういった事よりも、別の生活の危機があるやもしれません。違えば良いのですが…。

とにかく、貴女は旦那様の体調や状況を良く把握してさしあげてはいかがかと思います。

私の言葉でもし心を害されたらお許しください。

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個別相談可能
仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さんだと思っております。 法昌という法名で、和歌山県の高野山の西禅院が所属寺院ですが、 普段は東京都町田市のマンションで手作りの密壇でひたすら修行を続けている  はぐれ行者です。 伝法灌頂も中院流の一流伝授も授了させていただいております。 娘を持つ母であり、一家の主婦でもあり、親の介護もあったりします。 エッセイや文章、そして漫画家として漫画も描いております。 イーハトーブクリニック萩原医師の指導をいただきヒプノセラピスト(催眠療法士)でもあります。 基本的に隣のおばちゃん的な、でも変わった尼僧です。
ご相談可能な時間はその日ごとに違うので、いくつかご都合を書いてくださいね。 人生で悩んだ時に、最善の答えを与えてくださるご神仏と、あなたは心の奥で必ず繋がっています。ご自身の心の中からご神仏のお答えが受けられるようにアドバイスをさせて頂きます。 ◆著書:「神さま仏さまがこっそり教えてくれたこと」「迷いをすっきり消す方法」「幸せを呼ぶ仏像巡り」

自分の人間性を高める

妻・母の為のアンガーマネージメント
1事のなりゆきを見届ける
いつもイライラする所は富士山でいう五号目。
今日から六合目までは見届けて、七合目で褒めましょう。
2自分の理想を押し付けない
怒りの原因はマイルールの押しつけです。
3主人公過ぎない
夫は夫。姑は夫の母。子供は子供が主人公。あなたが主人公過ぎると思いませんか?
4期待しない 求めない
相手に高い人間性を求め過ぎることが苦しみの原因です。
5子供は育てない。育つものだと捉える。
子供を育てようとすると盆栽のように小さくなる。
むしろ自由にさせてあげる事。
6夫はあなたじゃない
夫を自分尾フィールドに取り込み過ぎていませんか?
夫は夫で別人格、別存在、別行動な人間なのです。頼りすぎることが苦しみになります。
7原因を人に求めない。
アイツがどうした、夫がどうした、姑がどうしたと言っているのは誰なのか?
アイツが、あそこがという此処。此処という己。
8思い越しに観ない
事実は一つ。解釈は無限。
人が怒るのは物事っ悪く解釈しているから。
9自分濃度を下げる
自分が自分が、自分の自分の、自分にとって、自分にとって、という気持ちを無くすことです。我が子であっても、自分「の」ではありません。
10自分を生きる
一生自分のことだけしかありません。姑、夫にイラつくのも自分。
自分の向上なしに人生に幸せは訪れません。
人の事を問題にして苦しんでいるのは誰でしょうか?誰の人生でしょうか?
あの人があの人が、ではありません。
兄人を問題にする自分の心を問題にするのが仏道です。
総じて「自分で何とかする」しかない。
人の力を借りても、自分で何とかするしかないのですから。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

とても参考になりました
何を優先すべきか解ったような気がします。ありがとうございました。

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