つらい
小学校5年生の時に自分が使ってたお守りを他の人に、もう一年以上使ってると勘違いして、返納せず、あげてしまいました。
そしてそのあげた子がお守りの中身を出してしまいました。そして、返すと言ってきました。
僕はいらないと言ってその子とすこしケンカしました、最終的にそのお守りは先生に渡りました。その年は悪いことが多く起こりました
神経症にかかったりや誕生日の日に初めてテレビの占いで最下位になったりやいじめなどです。
その後も高校1年生の時にお守りをなくしてしま
い、悪いことが多く起こりました。
深刻な神経症や自分の誕生日に失恋してしまったりやあんまり友達ができないなどです。
もともとあんまり運がいいほうではないので嫌なことや神経症にかかることはなんどかありましたが、お守りをなくした年は特に深刻なのですが、たたりなのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ええい、お守り無しで生きることを決意しましょう。
お守りを友人にあげてトラブルになったり、無くしてしまったといったことがないようにする方法…それはお守りを持たないことです。私はこれを実践しているので、お守りトラブルは一切ありません…お勧めしますよ。
ただ、お守りを持たないとお守りが私を守ってくれることもないようです。でも、今まで50年以上生きてこられましたよ、いろんな試験にだって合格しましたし…その何倍か不合格にもなっていますが…。
結局、お守りを気にしない、当てにしないのが一番です。理に叶った生き方ですよ。
お守りという根拠の不確かなもの(効き目があると言い切ればそれまでですが、ならば100人定員の入学試験に150人がお守り持って臨んだらどうなるか…ということ)を頼りにしてしまうと、その根拠の不確かなものにずっと依存しなくてはならなくなります…それは実に不便です。
以前にも申しましたが「根拠のない安心は、すぐに根拠のない不安に変わる」のです。
ならば、根拠のあるものを依り処としましょう。
友達・恋人作りなら「笑顔」「優しさ」「勉強」「スポーツ」等々に頑張ることではないですか。これにはしかと根拠があります…お勧めですよ。
「運」も「たたり」も、信じる人には間違いなく存在し、「そんなの無い」と言い切る人には全くありません。その代わりそういったものを当てにもしません。
結局、自分で道を切り開いていくしかないんですよ…「たたり」だのの、ワケのわからないものに自分の人生左右されるよりはその方がまだマシじゃないでしょうか…。
お守り無しで生きてみる一年間…不安かも知れませんが、私やハスノハの御僧侶方が応援していますよ!
お守りにはそんな力ないです
お守りにはそんな力はありません。無くしたからといって自分にとって都合がいいこと悪いことがおこるなんてこともないです。
自分の都合のいいようになんか世の中なりません。たまたま、思ったようになることはあっても、必ずそうなるとか絶対にありません。
今雨が降っていますが私が「雨よやめ!」と願いお経をあげても止むことはないでしょう。
つまり人間の考えや思いとかけ離れた所で私たちはいきているのですよ。この命の働きは、生まれたことも知らず、考えや思いとは関係なく縁に触れて作用しているだけです。
お守りとは人のワガママを叶えるものでもないですし、勇気が出ない時に背中を押してくれるきっかけになる程度のものです。
深く考えず、地に足つけてしっかり生きてください。
仏教を心のお守りに
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
お守り云々よりも、是非、仏教を学ばれることをお勧め申し上げたくに存じます。
仏教を心のお守りに。。
仏教を学び進めて頂くにつれて、モノゴトの真理の見方を調えていくことにより、やがては迷い苦しむことも少しずつなくなっていくことになるかと存じます。
これを機縁として、是非に。。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます
おかげさまで元気が出てきました
これからもがんばっていきたいとおもいます
ほんとにありがとうございます