就活することが虚しいです。
家庭環境からか生来のものか、やりたい事がありません。年頃の娘が気にする容姿も服も恋愛もスポーツも興味なし寧ろ苦の部類(親にこの事は度々批難され、母はこれを矯正しようとしています)、人付き合いも苦しく、結婚も老後にも望むことは無い。
収入の事情から就活に進路を進めることになったのですが、始めてから暫くし、働く事含めて全てが虚しくなりました。
追われるように「志望動機」を探し、会社や社会に貢献する事を目指して口上を捲し立てる。
何ヶ月これをやったとしても、親に連られて見てきた「所謂1握りの世界の人達の世界」に触れることすら100年身を粉にして働いたとしても不可能な領域であると察してしまいました。
私に技術とセンスはありませんでした。ただ、受験で大失敗する程度の頭が、それでも嘗ては自慢に思っていたはずの頭脳があるだけです。これは其処では役に立ちそうに無いです。
自分の器を受け入れて身分相応の会社で働けば良いのかもしれませんが、親兄弟への劣等感と、もうその世界を見ることは出来ない事(社会人の大人が関係もないのに親の職場に付いていくのは不自然でしょう)、そして働いた先には私の求めるものは無い事が虚しさを増大させます。
家庭を作る幸せも、自分磨きも、老後の幸せも私の中ではどうでもいいのです。何よりもゆったりとした時間と時間と少しの楽しい贅沢が欲しい。
金を積み上げても時間がなければ何も出来ません。時間を削って仕事に没頭して、エリートになって、それを道具にするなりその事自体で幸せを得られるなら良いのですが、私の価値観では得られるようには思えません。
(どうしても親は「やりがいある仕事」に「身を捧げ」て欲しい様ですが)
就活は続けてはいますが、働く事に対し、余暇を楽しむための単なる金稼ぎ以上の価値が見いだせず、志望動機は嘘八百。現在の経済、社会を考えるときっと予想より劣悪な環境も多い。楽しむ余暇が無く、永遠と時間に追われるくらいならば仕事も何もかもやめて死んでしまおうかとも思う程です。
社会不適合者。自己分析をして出た結論はこれに終着しました。
こんな社会不適合者は何処で何を指針にすれば生きていけるのでしょう。生きる意味もないかもしれませんが。
空っぽな頭のまま、「就職活動」を走り続けています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
やり甲斐よりもまずは生き甲斐を。
お金があっても時間がなければ何も出来ない。
これね私も同じ意見です。
お悩み拝見しましたところ、何となくなりたい自分が有るように思います。
私もお金も時間もバランスよく生活したいと思います。
お金がいっぱいあっても時間がなければ、家族との大切な時間、特に子どもの成長を見たり、妻との大切な時間を過ごせないですし、
逆に時間だけあっても家族を養えないです。
これは結婚していてもしていなくても、それぞれ悩む事だと思います。
私は、どう生きたいか、それを第一に考えます。
そしてそれに合った仕事を選びます。
生活する為だけの理由では選ばないようにしています。
生活する為だけの仕事から、生き甲斐が見つかる事もあるでしょうけど、私にはそれがなかなか見えなかったんです。
ただ辛く感じました。
そんな時に教えてもらったのが、優先順位を変える事でした。
どう生きたい?じゃあどうしていく?じゃあこうして行こう。
この「こうして行こう」が仕事なんです。
自分らしくいたいから、楽しく生きたいから、そうなれるよう今頑張っています。
私にとって宗教家でいる事、家族と共に生きる事は生き甲斐です。
私が選んだお寺以外の仕事は、なりたい自分へ近づく為の一つの手段。そう考えています。
桂咲さんも優先順位を変えてみませんか?
センスもスキルも後からついてくる事があると思いますよ^_^
というより、お悩み拝見して、桂咲さんの文面には凄く表現力があるなと私は感じました^_^
気持ちが凄く伝わるんです。
それも一つのスキルですよね^_^凄いことです。
焦らず、どう生きたいか、まずはご自身と改めて向き合ってみませんか^_^
こだわりを手放す
はじめはそれでいいのです。
夢や希望を持って、仕事に従事できる人はそんなに多くないと思いますよ。はじめはお金のため、生活のためでもいいでしょう。しかし、5年10年続けている中で、こだわりが取れてきて、やりがいも出てくるものです。
仕事をすると結果としてお金をいただけるというように、同じことをしていても気持ちよく生活できるようになります。
全て邪魔をしているのは、あなたのこだわりです。
自分の価値観を理解してもらいたいというこだわり。そんなもんはすべて捨てて、軽やかに生きる道を選択しませんか?
ぜひ禅の道を学び生活の中で実践していただきたいです。
もうそろそろ親離れしてはどうですか?
親には親の役割があり、あなたにはあなたの役割がある。
同じ仕事をする必要はありません。
親から巣立つ時です。
自信を失う必要はありませんよ。
あなたの知能や体はお父さんとお母さんによって作られたのです。あなたが親と同じ仕事につけないのは、あなた個人の原因ではなく、お父さんとお母さんの原因でもあるのです。
仏教とは、お釈迦様の教えとは、結果には原因がある、ということ。
あなたの苦しみの原因は学力が無かったことではありません。
親の仕事こそ価値のある仕事だと思い込んでいることです。その原因は、おそらく幼少の頃からの経験や環境によって自然に刷り込まれたのでしょう。
もしあなたが、親と同じ仕事をすることで社会に貢献したいと願うなら、もう一度勉強し直してその道を目指してもいい。
例えば私の大学時代の先輩は、大学を卒業した後で医師になりたいと思い、再度医学部を受験し合格して医師になりました。
しかし、そのような強い願いすら持てないのなら、どんな仕事でもいい、あなたにできる仕事を探して、それに打ち込んでください。
地方の中小企業でもかまいません。
仕事というのは、どのような仕事であれ、回り回って誰かの生活を支えているのです。
なお志望動機には嘘を書く必要はありません。
あなたは毎日命を頂いて生きていますね。
食事の時に、いただきます、と言いますね。それは、命をいただくという意味です。
つまり、あなたはこれまで数えきれない程の多くの命と人々の支え、そしてそれを取り巻く社会に恩があるのです。
ですから、恩返ししましょう。
恩返しすること、それが社会に貢献するということです。
少しでもそのことが分かるのなら、志望動機には、何か仕事して社会に貢献したい、と書けばいいのですよ。面接で堂々と言えばいいのですよ。
社会不適合者とは、他者を私欲で傷つける者のことです。あなたはそうではありません。
今はまだ分かりませんが、この社会において、あなたにはあなたの役割があるのだと思います。
あなたの今後の行動という良い原因が、この社会において、やがて良い結果を生み出すことを願っています。