hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

働くのがつらくてしかたないです

回答数回答 2
有り難し有り難し 38

私は今21歳で18歳のときから仕事をしていますが
どんな仕事をしても上手く行かず
向いてないのではないかと思って仕事を転々としています。

毎日8時間拘束されることがつらいです。毎日たくさん楽しいことをしたいのに長い時間机に向かって楽しくないことをしていることが本当に悲しく毎日仕事しながら泣いてしまいます。

こんなに苦しいのに仕事をしなければ生きていけないならいっそ死んでしまいたいと思います。

恋人と一緒に過ごす時間はとても幸せなものでしたが、最近はそんな幸せな時間さえ仕事のことで頭がいっぱいで楽しめません。

仕事をせず、苦しい事を避けて生きていきたいと思ってしまいます。
そんなことは可能なのでしょうか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仕事に見せかけた苦痛の行がある。もし、それなら辞めましょう。

自分に向いてる仕事に出会ったら「絵に描いたように」楽しくなるもんですよ。
企業のブラックは元々ブラックな企業があるというより、マトモな会社でも日々ブラックなことがどこかで起こっているのです。もっと言えば、ブラックとはその人の心の中で起こることであって、残虐な人が上司・同僚であれば第三者から観ればブラックであっても黙殺されてしまうものなのです。
僧侶の大半は坊さんになろうと思って坊さんになった訳じゃなく、気が付いたらそこが寺だった人も多いです。
本当に坊さんが嫌な人は辞めてます。
自分の意志の無い人は惰性で坊さんの真似事で食べていけるからコスプレ僧侶してるだけで本当は坊さんじゃなくポクポク屋なのです。
坊さんやっててよかったなと思う時もあれば、あー、坊さんって嫌だなぁと思う時だってみんなあるのです。
同じように仕事も、それが向いてなければたとえば警察官であっても、惰性でそれをやっている人は警察官というラベルがついているだけで警察官ではなくて、それをイヤイヤ仕方なくやってるコスプレ警官なのです。
あなたも企業戦士コスプレイヤーOR向かないと思ったら、意識か職場を変えることです。
仕事とあなたの本心が上手にリンクしなければ、嫌な仕事なんて誰もやりたくありません。
さて、冒頭の「自分に向いてる仕事に出会う」為の方法があります。
文字で書ききれないので電話してもらえると話が早いです。ヒマな時にかけてみてください。
企業の大半は実質ブラック企業であったりします。
人の善意がそこに無い企業なんて実質ブラック企業です。
会社は自社がブラックだとバレるとビジネスにならないので、隠しているだけでどんな大手にもブラックな場所、はきだめみたいなところはあるのです。
私が修行した道場にもそういう所がありました。巡り合わせで生まれる悲運。同期の一人はそれで自殺しました。
だから私は彼の供養のためにも地獄やブラックを転ずる活動をしています。
それによって地獄も変わる。あなたも変われる。
その為には自分の地獄は自分で変える!と奮起するべきです。
変える気が沸いたらいくらでも変えるお手伝いします。
あなたを助けてくれる善意ある人間のいない所など、あなたから捨ててしまいなさい。
地獄・ブラックを作る人間たちは自分達が今、何をしているか知らないのです。自分を観る眼すらないのです。
地獄は離れましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

やめるのも一つ

どんなお仕事をしているのでしょうか。遊びたい気持ちがありすぎて、仕事中も遊びのことを考え、その遊びの邪魔になるから嫌なのか。
仕事自体に問題があり、嫌なのか。

やめて解決できることならやめるのも道。しかし、あなたが今、気持ちが最優先して、目の前のことができない。気持ちばかりを常に掴み、地に足がつかない状態ならば、あなた自身のありようを学ぶ必要がある。
人間とはなんなのか。生きるとはどういうことか。その真理を学ぶのです。

禅の実践を正しく行うために、お寺に来て学んでください。それが一番良さそうです。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

丹下 覚元さま
自分に向いている仕事であれば楽しくなるということばですこし気が楽になりました。
いろいろためして、本当に自分に楽しいと思える仕事があるか不安ですが…
でも、このまま苦しい気持ちでずっと過ごすよりもっといろんな世界を見たいという気持ちがわきました。
自分の職場の人は皆親切ですが、残虐な上司たちに苦しんでいる人たちが少しでも減るといいなと思いました。
回答いただきありがとうございました。
のちほどお電話させていただきます🙇

邦元さま
仕事そのものがつらいのか、怠けたいからつらいのか、仕事をしないことによってしたいことって何なのだろうとか、自分でもあまりよくわかっておらずおっしゃるとおり地に足がついていないかもしれません。
正直専業主婦の人がうらやましいです(専業主婦が楽というわけではないこともわかっていますが)
生きるとはどういうことか…その答えに近づくヒントがあるのならお寺で学ぶことも本気で考えてみようと思います。
ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ