母が否定的でつらい…
先程はご回答いただきありがとうございました。
解決し、前進する予定でしたが、ついさっき母から電話があり、話し合いました。
私が仕事で悩んでいて、辞めるかどうかを考えているという相談を前日にしていました。
しかし、私の意見を全て否定で返し、最終的には「もう知らん。あなたと話していたら怒られるから話したくない」と投げられました。
いつも母はこんな感じです。
毎回そんな言い方はやめてほしいと伝えているのに、私を追い詰めてきます。
さっきの電話も職場から心配して電話をかけてくれました。
でも、その好意が裏目に出ます。
言葉一つ一つが私を責めてきます。
そして最後には投げます。
そんな母に怒って、癇癪起こす自分も嫌いです。
お互いに嫌なものを残して、時間が解決するのをいつも待っているので、母はいつも私がやめてと言っている言い方をやめてくれません。
とても辛いです。
いつも私だけ泣いて自己嫌悪しております。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
達人は、悪意のある言葉も慈悲を以って接する。
ちょっと難しい話をしますが、実はお母さんは否定していないのです。
まさかと思われるでしょうが、最後までゆっくりご一読頂き、真意を理解してください。
もちろん言葉としては否定、否定の連続でしょう。
世間としてもいわゆる「否定的」な言葉でありましょう。
ですが、その言葉をあなたが否定しているだけなのです。
達人はそのお母さんの暴投を打ち返しません。
禅をまなぶとよいでしょう。
まずボールをよく観る。
その言葉は誰も傷つけていない。
そこに勝手に傷ついた私がいただけだったと知る。
なぜ傷ついたのか。
それを否定と受け止めたからか。
それを自分が傷つけられたと錯覚したからか。
いずれにせよそこに「自分」を差し挟んでいるのです。
「私」を差し挟まずにみてください。
どんな嫌いなものでも、そこに批判する人がいなければ、山奥に書かれた差別用語のようなもの。
拾って問題にする人がいなければ、その言葉は誰からも拾い上げられることもなく、打ち返されることもなく、
【ただ 通り過ぎていく】のです。
今、もう一度、冷静にお母さんの言葉を「わたくし」せずにReplayしてみてください。
そこにあなたを傷つけるものはないはずです。
「ああ、わたしが一人で自爆(自縛)していたのか。」という事がわかるはずです。
あなたはおのれに負けてはいけない。
それがおかあさんと対等に接するための唯一のチカラです。
あなたを傷つけるのは本当は「あなた自身」なのです。
今からおかあさんと話す時。
そこに「わたし」を差し挟まずに「只」聴くのです。
何も否定されていないことを悟り、気がつけばお母さんと「話ができている」ことでしょう。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
一度目は難しいと感じました。
しかし、二度、三度と読み返すと言葉の真意がはっきりと見えてきました。
私は常に人生最大の敵は自分自身だと頭に置いているつもりでした。
でも、ここ数日は心が弱っていて、敵が誰なのかわからなくなっていました。
いつも心が弱った時に身近な母に相談し、言葉を真っ向から受けて傷ついていたのかもしれません。
しかし、折角頂いたお言葉ですが、すぐにはできそうにないです。
ですが、時間をかけてでも「只聴く」という境地に辿り着きたいと思います。