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近所の座禅会に行くのが怖い。

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有り難し有り難し 16

田舎なので、あまり寺の活動は少なく、積極的にやっているのは、近所の実は中学の部活の先輩の弟さんが住職のお寺。病気持ち(精神疾患)だし、なにか知られると恥ずかしい気がします。
よそを探しても、病気の悩みだけは相談できないです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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そこのお寺でなくてもお坊さんは話を聞いてくれますし、守秘義務は守ってくれるはず、もし心配ならすべて打ち明ける前に確認してみてください。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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うつは治る

うちにはウツの人も時おり参加されます。
病名がなんであれこちらは問題にしませんがな。
坐禅を通してうつが治ってしまう人もケッコーいます。
それは坐禅で治ったちゅうより、本人が心の闇雲から抜け出すことができたちゅうことです。
それがうちの坐禅会のメインですわ。ぶっちゃけウチのメインは坐禅なんてほとんどしません。ざっくり20分です。それも坐禅中に心の在り方について話をしますので、正味10分です。足も楽に伸ばして頂いております。寝てたって構いません(笑)。
その後でお話を通して、どういう心であればいいかを私が話します。
そしてそこで参加者の方が各自、自分の心の周波数をうつで無い処、安らぎの周波数に合わせて頂きます。
何故なら、人間は本質を生きている時は病名なんてありゃしません。
心の病気というラベルは一時的ラベルです。
雲やけむりが形のある時だけ雲とかけむりと呼んでいますが、やがてその形が変われば雲でも煙でもうつではありません。
心をある一定の状態に停滞させないことが大切です。
貴女は今、これをご覧になられていた時、自分がうつであったなんて忘れていたでしょう。
今の時間をみてください。時間だって忘れていたでしょう。
時計なんて時計を見た時だけしか思い起こされません。そんなもんでいいのです。
自分が今、うつ何時何分うつだなんて、顧みなくていいのです。
忘れている時ゃうつなんて問題になってもいません。
お薬に頼らないぞ!という決意が沸いたらうちの坐禅会にお越しください。
全然厳しくない、日本一ユルイ坐禅会です。
うつは治ります。
考えの世界の住人から、事実の世界の住人になることで治ります。
それがどういうことかはこの1000字以内では説明できまへんので、ヒマな時に来て送んなまし。近くにウマいうどん、そば屋の敦平ちゅうお店があります。
それを食べにくるついでに寄るべぇ、みたいな感覚でお越しやす。(^<^)

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おきもち

質問者からのお礼

お坊さんて、悩みを聞いてくださるんですね。私の母の実家のお寺は、まともにいくらかかるか聞くと、とん
でもない額を言ってくるそうで、土地持ちだと思っていた叔父もまともには支払えないそうなので、いろいろなお坊さんがいらっしゃるんだなあと、感じました。邦元僧侶は本当に人のことを考えていらっしゃるのですね。こういうインターネットという通信を介してですが、良い出会いができたとうれしく思っています。ありがとうございます。お身体に気を付けて。また、よろしく(笑)

ご回答ありがとうございます。でも、私は直るウツではなくて双極性障害なのです。だから、ウツと書かずに精神疾患と書きました。20年、重いウツで悩みましたが、まさか「治った!」と、思ったら次の治りにくい精神疾患が与えられるなんて夢にも思いませんでした。ほかにも統合失調症など、大変な方々もたくさんいます。ただ、外見普通なので、健康そうに見え、悩みを軽く扱われることがあります。それは、とてもつらいです。
いろいろありがとうございました。

「坐禅について」問答一覧

アドラー心理学と禅

法律事務所を経営しています。 顧客も案件もたくさんあるのですが、儲からず忙しいばかり。儲からない案件もお金を取らないで受けてしまうからです。 結果、大量の仕事に追われ、催促の電話に怯え、無力感や罪悪感で死にたくなる毎日です。月に1~2回、本当に自殺しそうになって思いとどまるようなことが1年くらい続いててかなりツラいです。 そんなときに、ベストセラーになった「嫌われる勇気」(アドラー心理学の本)を読みました。そのなかに、 「自分がした善行に相手の配慮を期待するのは筋違い」 「受けた善行に返報しないことに罪悪感を覚えるのも筋違い」 「助けを求められてそれに応えないことに、罪悪感を覚えるのも筋違い」 「自分が何をすべきかは「自分の課題」であり、それを相手がどう感じてどう対応するかは「相手の課題」だから」 「自分の課題と相手の課題を混同してはいけない。相手の課題を勝手に自分の課題にするから苦しくなる」 というようなことが書かれてました。 自分は誰かの役に立つことは好きなのですが、そのことでお金を請求するのが苦手です。一方で、役に立つことをしてるのに相手から配慮して貰えないと苛立ったりします。また、何かを頼まれて断ることに罪悪感を覚えます。断ったら「嫌なヤツ」と思われるかもしれないという恐怖もあります。 アドラーの指摘するように、自分の課題と相手の課題を切り分け、「お金を請求して、支払うかどうかは相手の課題だから、気にせず請求すればいい」「相手の役に立つことをしても、それにどう応じるかは相手の課題だから、相手の配慮を期待するほうがおかしい」「頼まれ事を断ったとして、それをどう感じるかは相手の課題だから、どう思われようと気にすることはない」と考えれば確かに楽なんですが、お坊さん的にはこうした考え方ってどうなんでしょうか? そう考えると楽なのは分かるんですが、なんとなく腑に落ちないのです。 以前聞きかじった禅の思想(教え?)で、「一時の結果や他人の評価など気にしても仕方ない(どうせ本来無一物/諸行無常)」「自分は自分。他人は他人(主人公)」みたいなのがあった気がします。うろ覚えですが。 禅にも似ている考え方があるんじゃないかと思い質問してみました。 実は人に相談するのもとても苦手です。 ご回答頂ければとても嬉しいです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ