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本尊開眼、父の供養を僧侶の方にお願いしたいです。

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有り難し有り難し 17

父の法要の際、ある事情で僧侶を呼んで葬儀を執り行えず、また仏壇の本尊を新調する際、僧侶を呼んで開眼供養を行えませんでした。数年経ってからおかしなことが起こり、非常に今苦しんでおります。

現在の宗派を辞めて、平安時代の伝統仏教に入信して、修行を積んだ僧侶の方に、父の供養を執り行っていただきたいと、切に望んでおります。

しかし、親戚に現在の宗派の盲目的信者がおりまして、やめようとするならば、私ではなく、私の母を責めます。母は、何も悪くありません。
むしろ、献身的に家族、親類に尽くしてくれました。母を苦境に立たせたくありません。

しかし、現状のまま仏壇の本尊を開眼供養せず、亡き父も僧侶に供養していただかないと、あの世で浮かばれずに苦しんでいると、視える方に言われました。

最初は、別の困り事で相談したのですが、何をしても解決せず困り果てて、藁にもすがる思いで偶然相談に乗っていただいた方の話によりますと、原因が本尊の開眼供養をしていない、僧侶を呼んで法要を執り行っていないことなどを告げられ、宗旨変えするしかない状況ですが、親類のからみもあり、うかつに行動に移せません。

私は真言宗に変えたいのですが、ご祈祷で親類と争い事無く、開眼供養のない本尊の危険性を伝え、理解して欲しいのですが、凝り固まってしまって理解させるのは到底無理だと思います。

密教の縁切り術で親類との縁を切ろうかとも思いましたが、母はそれも
心苦しいと縁切りも拒みます。

普通の話し合いが通用する連中ではありません。

父を救うために僧侶の方に供養してもらう、その為には宗旨替えを行う必要があります。

また、本尊の開眼供養を行わないと、様々な問題が起きてくるので早目に手を打ったほうが良いとも言われました。(私はうつ病の手前にいると言われました。)

密教の縁切りに頼る私は親戚に対して薄情で、仏教の慈悲の心から、掛け離れているのでしょうか。考え方が安易なのでしょうか。私なりに半年以上考えぬき、苦しんで考え抜いた結果です。

朝から晩までこの事ばかり考えてしまい、頭がおかしくなりそうです。

できれば、真言宗、天台宗の僧侶の方に、回答して頂きたいと思います。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

密教の加持祈祷

hannnyasinngyouさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺、觀音寺 中村太釈です。

高野山真言宗の寺院として回答いたします。

hannnyasinngyouさんが困っていることをまとめてみると、
1.仏壇の開眼供養ならびに亡き父の供養をしたい
2.親戚に某宗派の盲目的信者がいて、宗旨替えができない
3.できることなら密教の縁切りをしたい
4.縁切りすることは薄情で慈悲のないことなのか
となります。

私が感じたところでは、亡きお父さまの供養をしたいと言うことですね。それには開眼供養がどうしても必要だと、hannnyasinngyouさんが考えておられるのですね。
視えると言う方のコメントも気にかかります。仏教は、本来安心を説くものです。相談者を不安にさせるようなコメントは、どうなのでしょうか。
開眼は、御本尊の眼を開くだけでなく、拝む者の眼を開くという意味も込められています。開眼供養したからといって、ほったらかし(口の悪い人は、仏さんならぬ「ほっとけさん」と言います)では何の意味もありません。逆に、開眼供養しなくてもhannnyasinngyouさんが手を合わせ続けることによって、御本尊の眼は開かれていくものです。

hannnyasinngyouさんは親戚の対応に苦慮されておられるようですね。
縁切りを含む密教の加持祈祷は、呪術ではありません。信者の願いと仏さまの願い、宇宙の願いが重なったときに願いが成就するものです。

結論として、hannnyasinngyouさんが心静かにお父さまの供養をされることを祈念しております。hannnyasinngyouさんが、仏壇の御本尊に毎日手を合わせ、心を込めていってください。

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有り難し
おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...
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お盆でお忙しいようですので

こんにちは。
宗派の隔てや宗派根性無しに仏教を語っている丹下と申します。('◇')ゞ
うちの宗祖の道元さんも自分の死後、隔ての無い宗派を設立したのだから自分の死後は曹洞宗とも呼ぶなとで説いておられた、ただの僧でしたから、別に私自身も曹洞宗だとも思っていませんのであしからず。別の宗派野郎が回答してきた思われてしまうかもしれませんが、ただの一人間としてお節介ながら一言申し上げます。
ウチは親戚はそれぞれ別宗派、別々のお寺です。
それでいいんじゃないでしょうか。
あなたの家はあなたの家の宗派でいいのだと思います。
お墓も今や個別墓時代ですし。
あなたが単にその親戚さんに押されてしまっているだけではないでしょうか。
改修されるとその親戚さんにとって「都合が悪い」というだけではないでしょうか?
都合は宗教ではありません。思想です。
今や宗教を語った実質平和を阻害するへんてこ思想もあちこちにありますから、あまりそういうたぐいなのは表面的な付き合いだけにして、深く関わらない方がいいでしょう。
開眼等の問題抜きにして、あなたは心が迷いの状態にある事は事実です。
親族を問題にされたり、お母さまを案じられたり、さまざまな不幸を問題にされるなど、大変であろうと思います。ですが、それらを問題になされているのが、自分の心ひとつであると思ってみてはいかがでしょうか。
そのあらゆる出来事を問題視、問題化する、我がこころに目が向いて、そこに問題の根源ありと見極められ、その迷いから覚める心の目を持つことをこそ、本来、本当の開眼ともうします。ご参考までに。
あの人が、アイツが、あれが、あそこが、というの此処でござる。
此処とは、自己、自分の心でござる。
そこに目を向けて頂ければ、あらゆる問題も宗派の隔てを起こすのもみな一心であることに眼が開かれてきます。
真言宗天台宗のお坊様方のご回答をお待ちください。失礼しました。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

安穏寺様 丹下覚元様
ご回答、誠にありがとうございました。確かに親戚に押され、私どもが改宗すると親戚は都合が悪くなるだけです。とにかく難解な仏法用語でまくしたててくるのですが、その様子はもはや仏法ではなく、ご指摘の通り思想に凝り固まっているとしか言えません。確かに己の心の有り様で、問題の捉え方も変わってきますし、囚われからも開放されるかもしれません。それが本尊よりも私自身の開眼ということにつながってきますし、本来その為に仏法が確立されてきたのかと考えが改まりました。
今、質問の内容を読み返してみますと、かなり切羽詰まっており、真言宗、天台宗の僧侶の方~と
指名したのは、それこそ宗派に囚われており、浅はかなことであったと、恥ずかしく思います。
見方を変える良い機会を与えて下さったことに感謝いたします。ありがとうございました。

觀音寺様 中村太釈様
ご回答いただきまして、誠にありがとうございました。
仏壇、本尊の開眼を行い、亡き父の供養を執り行いたい。これが私の願いなのですが、親戚への
対応に苦慮しております。

視える方も僧侶の方ですが、電話で私が相談しようとした内容を、こちらが何も伝えていないのに、次々に言い当てられ、実際にお会いしてからも一切伝えていないことを次々に言い当てられたものですから、確かに視えているとは思います。但し、不安を煽る言い方は腑に落ちない部分もございました。困り事の原因が、本尊の開眼、及び、父が僧侶によって供養されていないということでしたので、思わぬ事態に発展してきたという訳であります。

親戚とは穏便に話を進めたいのですが、話を切り出せばどういう事態になるか想像がつかないため、密教による縁切りも視野に入れて考えたわけですが、本尊の開眼に囚われて、本来の目的である父の供養が疎かになっては、本末転倒ですし、やはり私自身が落ち着きを取り戻し、心静かに
父の供養を続けていこうと考え直しました。一歩間違えば私自身が閉眼するところでした。
この度は、お忙しい中ご回答して頂きまして誠にありがとうございました。

「供養全般」問答一覧

深い懺悔と感謝

いつもありがとうございます。三月の桃の節句も過ぎ、お彼岸が近づいてきました。hasunohaの皆様におかれましては日々、健やかにお過ごしのことと思います。 一時期、私は人生をひっくり返すほどの思いに駆られたこともありました。今年のバレンタインを過ぎた頃から、今は家族のありがたみを強く感じるようになり、毎日思いやりに支えられ、相変わらず週7日休み無しで外での仕事に励んでいる今日この頃です。 毎日が平和で穏やかな落ち着いた空気、他愛もなく些細なことの積み重ねですが、それらすべてが本当に、職場も家庭も、そして治療院にも、良い人たちにご縁があったこと、ひとつひとつに感謝です。これからも日々の幸せを大切に育んでいくことが、ご先祖様への恩返しにも繋がる明るい人生への道標なのかなと有難く思います。 お世話になった治療家の先生に、しばらくお休みすることを伝えました。その節は本当に、この上なく尽くしてくれたことに深謝の限りです。つい先生の優しさに甘えてしまい、助けたい側と助けられる側の引き合う力がぐいぐい強くなりすぎてしまった節がありました。徐々に私の感情が不安定になり、体調も崩れてしまい、元の近所に戻しました。いろんな人に打ち明けた昨年から年末年始と引き換えに、この春先は自分自身とひとりで向き合う修正が必要になったこと…あらためて自己成長へと繋げる良いきっかけになりました。 今でも毎日、先生のことが心に浮かんできます。それだけ特別な存在であることには変わりありません。頂いた思い出、温かい言葉の数々が、前向きに仕事に取り組む原動力となってくれます。2月といえば、確定申告に自動車免許の更新の時期。両方ともクリアでき、特に下がると思っていた年収が微々たる上昇していました。驚きを隠せず、念願の学びのための貯金も着実に増えていること、とても有り難く思います。 他の先生からみても親しくなりすぎた故に、遠慮もなくなり、お互い言いたい放題で喧嘩状態にもなりました。本音を明かした(ぶつけ合った)ことは、それだけ相手を強く思うからでもあり、アンビバレントそのものでした。ひと月近く、間を空けた今、直筆の手紙で、お詫びとお礼、そして相手の未来の幸せを願う想いを伝えたいです。 共に成長しあえる良い関係でいられるよう、しっかりとした自分となるために、アドバイスいただけましたら幸いです。

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