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主人のことで悩んでます

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有り難し有り難し 33

主人のことで相談いたします。
半年前、うつになり 休職しています。
体調もほぼ回復してきたので、以前の会社に復職しようと、準備しておりましたが、上司と人事の方に現職は主人にとって適正ではないと思う【営業職で、ここ1,2年成績があまり良くなかったのとスキル不足を指摘された】
復職しても、また体を壊すだろうと退職を打診されました。
精神科の先生にも、今の会社に戻るのはあまりおすすめしないとの回答がありました。
本人はすっかり気落ちしてしまい、今は自分はなにが向いてるか
どんなしごとがしたいのかも判断が難しいようです
転職活動は少しずつ初めていますが、年齢も43歳ですし、難しいで
す。子供もいるし住宅ローンもあるし、正直早く働いてもらいたいです。私自身もそんな主人にため息ばかりで、いやになります。
今後、前向きにいきていくために、アドバイスおねがいします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご主人の辛い気持ちを受け止めて下さい。

ご主人が復職出来なかったのは、残念な事ですが.....
職場の方や先生がおっしゃる通り、ご主人のためには復職されないでいた方が、むしろ良かったかも知れません。
体を壊す原因を作った場所だからです。
再び体を壊されれば、今よりももっと苦しい状況になられていたかも知れません。

ご本人は、自信を失くし酷く落ち込んでおられます。
ここは奥様として、早く次の仕事を見つけるよう叱咤激励するのではなく、辛い気持ちを受け止めてあげていただきたいと私は思います。

確かに現実的に生活の事を考えると、のんびりしていられないのも事実ですが、ご主人は今、心底お疲れになられています。

あなたも確かに疲れておられます。
そかし、ここはご主人に寄り添い心のケアに努められる時ではないでしょうか。

「がんばれ」とか「なんとか元気になって」という言葉は本人を余計に心理的に追い詰めてしまいます。
そうではなく、生活の事で焦る気持ちや、イライラする気持ちをご主人に悟られず、すべてひっくるめて認めてあげて下さい。
繰り返しますが、ご主人に寄り添えるのは、妻であるふくさんしかいません。

ご主人も余裕が出てくれば、次の段階に進みやすくなるでしょう。
そのような環境作りに取り組んでいただければと思います。

しんどい時こそ、救いあえるのが家族ではないでしょうか。

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有り難し
おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいったい何か?と、考えています。 僧侶としての根本は、朝のお勤めだと考えております。 週に2回、お寺で空手教室を開いております。 近隣の子供たちに、礼儀作法を伝える。 これも寺院の持つ役割である、地域貢献に繋がると、少なくとも私はそう思い、精進しております。

あなたで安心してもらうにはあなたを怖がらせない 

あなたの態度ひとつでご主人は大きく勇気づけられ、元気づけられ、立ち直れるのですが。
これは豆知識程度に聞きとどめてください。
男性が一番怖れるのは職場よりも奧様です。
これは世の男性の多くは認めません。
プライドがあるからです。ですが、会社・職場は24時間いる必要がありません。
伴侶のいる家庭はある意味24時間ずっと一緒に一つ屋根の下で暮らしています。
一日一日、パートナーを意識しない日はありません。
あなたを畏れさせないでください。
私があなただったらこう考えます。
|д゚;)「…旦那が一番恐れているのは…わたし…?」
そして、自分自身に対するあらゆる気遣いや配慮を無くさせてご主人の中から自分に対する不安や恐怖を一切取り除くようにやさしく、全て心を開かせて吐き出させます。
そして自分自身が完全に夫の見方であり、何があっても離婚しない、全力でサポートすることを表明して、真実の関係を構築する事でありましょう。

👉引用させていただきます。
「子供もいるし住宅ローンもあるし、正直早く働いてもらいたいです。私自身もそんな主人にため息ばかりで、いやになります。 」
もし、このフレーズを世の中の夫が目にした時、ご主人と同じ境遇にあられる男性たちが感じることは、おそらく…、いや、いうまい。
あなたの態度ひとつでご主人は大きく勇気づけられ、元気づけられ、立ち直れるのですが。
自分に対してもう少し、支えて欲しいという気持ちが沸くと思います。
まるで自分を理解してくれていないと、生きる気力さえ失う人もいると思います。
直接的には記しませんでしたが、男性というものは弱い時にはものすごく弱いのです。
それを理解してげて下さい。
「アナンダや、水を汲んできておくれ…」「この当たりの水はのめません」
「アナンダや、水を汲んできておくれ…」「身体を壊してしまってはいけません」
「アナンダや、水を汲んできておくれ…」「…」
お釈迦様のお弟子さまアナンダ尊者はお釈迦様から3度同じことを言われたのですが、全く違う聞き方をしていたそうです。
あなたの態度ひとつでご主人は大きく勇気づけられ、元気づけられ、立ち直れるのですが。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

コメントありがとうございます。
私の心も疲れており、余裕がなく、主人を追い詰めてしまっているところもあると思います。
この悪循環を断ち切れるよう、気持ちに寄り添えるよう、努めたいとおもいます。

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