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ちゃんと供養出来ている?見返りを求めていることになる?

お坊さんのご意見をお聞かせ下さい。

数年前に祖父が亡くなり、親戚のおばちゃんと話していた時のことです。
そのおばちゃんは、「自分自身もいつかあの世に旅立つ時が来る。その後も残った家族にしっかり見てもらいたい(供養してもらいたい)から、今しっかりとご先祖様の供養をしている」と言っていました。

それを聞いた私は、独身で結婚の予定も全くありませんし、このまま天涯孤独になる可能性もないとは言えません。なので、例え自分が独りで息絶えたとしても、「その後を姪たちに見てもらえたら・・・」「供養するという姿勢をしっかり見て覚えて欲しい」と同居こそしていませんが少しでもその姿勢を見せたいと毎朝のお仏壇にご飯を供えることを買って出ました。
もちろん母の家事を軽減させたいという理由もあります。

うっかり寝坊してしまった時や、家の別の用事をする時などは母と交代してやっています。ご飯が残っていたとしても、毎日お供えする分だけのお米を研がないといけないので、体調が優れない時は正直なところ、面倒だなと思ってしまうこともあります。ですが、私が今存在するのはご先祖様があってこそ。自分だって毎日お腹を空かせて食事をするわけなのだから、ご先祖様だって同じと言い聞かせ、今も続けています。ちゃんとやっているでしょ!と、つけ上がっているつもりは一切ありません。

もちろん、日々見守って頂いているという感謝もありますが、既にお話した通り、将来自分が生命を全うした後、残った家族に見てもらいたいという気持ちがあるのも事実です。
果たしてこれは見返りを求めているということになるのでしょうか?
ちゃんと供養出来ているのか心配になってきました。
どうかご見解をお聞かせ下さい。

供養
有り難し 19
回答 2
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

そこに菩提心の無い供養は供養にならない。

※これはあなたに申しあげるお話と言うより、供養を誤解されておられる方々への一つのお話です。
供養とは何でしょうか。
皆さんで今一度考えてみましょう。
お坊さんを招いて法事をすればよいのでしょうか?
それとも仏壇にお供えをすればよいのでしょうか?
このように現代人の大半の方々はお考えになっているようですが、それはとんでもない間違いであると私は個人的に感じています。
なぜでしょうか。
その供養する心に宗教心が無かったら供養にはならないからです。
ご理解いただくための過激なたとえばなしですが、よくお考えください。
供養とはただ自分の親たちを供養していればよい、そういう事ではいけない、ということ少しでもご理解いただけると思います。
たとえば、これは仮に、仮にのお話ですが、
💀イスラム国の兵士が自分の両親の供養を毎日欠かさず一生懸命やっていたと仮定します。
今日も誰かを殺したり、女性を暴行したり、残虐非道な行為をしたとします。
残虐非道な行為を終えた後で、今日も熱心にご両親や先祖の供養をポクポクしていたとします。
それは供養にならないというのがお分かりいただけると思います。
「自分のことしかない」からです。
自分の行ないを顧みようとしないからです。
それはいくら毎日供養をしたとしても供養ですらない。仏教ですらないのです。
仏心、道心がないからです。
そもそも先祖、先亡供養をしていればOKというのは仏教ではありません。
仏教でなくても他の新興宗教でも先祖供養はするではありませんか?
では、本当に供養になるにはどうすればいいのか。
そこに自分自身をみつめ、自我・エゴを離れる心、菩提心、仏心、宗教心=世の中の善玉菌となる活動・精神があってこそ初めて供養になるのです。
もっと分かりやすく言えば、暴力団やマフィアの大ボスがお金にものを言わせてどんなに高いお布施を積んで偉いお坊さんを呼んでご供養を勤めたとしても、本人たちにエゴ・悪行や非道を改める心がなければ、供養にならないという事です。
一般の私どもであれば、ただただ自分の親をポクポクして供養すればよいと思ったり、Amazonの僧侶派遣という宗教心ばなれした非正規・非法な供養をいくら安いからといって供養しても、自分たちの利便・都合がいいようにしたいという欲をやっているだけですから、今だ自分のエゴを離れる行、供養にはならないのです。

供養は思いやりの気持ち

「親の背を 洗うがごとく 墓洗う」
なんて川柳もありますが、供養の基本は「居ますがごとく」
両親も、祖父母も、そのまた上のご先祖様も、死んだらおしまい、ハイ!それまでよってわけじゃない。
お仏壇の中に、あるいはお墓の中に、またあるときは草葉の陰から私たちを見守って下さっているんだと心に念じて、感謝の心でもって手を合わせるのが大事なのです。

毎日のお供えを欠かさず続けるのはしんどいことかもしれませんが、尊い行いです。
その姿を見た子供達には、きっと優しい心が芽生え、おもいやりのある大人に育ってくれるはず。

その頃には、らき丸さんの考えている「見返りを求めているのか云々」なんてのは、もうどうでもよくなっているはず。
思いやりの気持ちがあれば、それでいいんです。

合掌(>人<)


質問者からの有り難し - お礼

遅くなり申し訳ございません。

日々のお供えを尊い行いだと言って頂き、とてもほっとしました。
自分も同じようにしてほしいと考えるより、ご先祖を敬う気持ちを大きくしていこうと思います。
本当にありがとうございました。

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