悪口
特に心がけていたわけでもないのですが、私は昔から、悪口や愚痴をまず言わないほうでした。
別に愚痴や悪口が悪いことだと思って敢えてそうしていたわけではなく、それが普通でした。
むしろ周囲に対して、ちょっと文句が多いんじゃないの。。と思うほうでした。あまり人間関係に関心がなかったといえば、そうかもしれません。(昔からの友達にも、私のいいところの一つは、人の悪口をいわないこと、と初めてこないだ言われて少し驚きました)
自分の母親が、愚痴や悪口をよく言う人で、父親は言わない人でした(そのかわり、母にはきつく当たっていたことはあります)。両親は離婚しています。
自分は愚痴や悪口をいう母親に向かって、私が仕事や人の悪口や愚痴を少しでも言うと、『あんただけじゃないのよ』『あんたはその職業になったことを後悔しているの。。。今までなんだったの、バカみたいね。。(と泣く)』という反応を見せていたので、私は自然と口をつぐむようになっていた気もします。離婚の原因は父の借金ですが、私たちのまで愚痴や悪口を言わない姿勢は、父のほうが上だったとその点は私は認められています。
話がそれてしまいましたが、若い頃は、それでも大丈夫でした。
人の悪口や愚痴をいわなくても、割とあっさりとやっていけました。
ただ、最近、自己を守る意識が高くなったのか、人への許容範囲が狭くなったのか。。
悪口や愚痴を思いっきり言ってしまいたい、という思いになることがあります。
悪口や愚痴はいけないこと、そういう観念はなんとなくはあります。(←これ自体、間違ってるかもしれません)
ただ、自然とわきあがるそういう気持ちを押さえ込むことが、健全なことなのでしょうか。
そういう気持ちを持つこと自体が、腹が立ったり、頭に来たりすることが、罪なのでしょうか。もちろん心のどこかでは、罪なんかではないと思います。
でもいっそ、人の悪口や愚痴など忘れ、いつも晴れやかに無邪気に振る舞える心を持てる快活さ100%、そんな人間に、なれるものならなったほうがいいのではないかと思ってしまいます。特に最近メディアで『愛される女性』などのところに、『人の悪口を言わない』『愚痴をいわない』といったことも多く見られます。そんな天使、愛されて当然ですが、日々いろんなことがあるのに、そんな天使を一方的に求められるのは、人間は本心では苦ではないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悪口や愚痴は言わない方がいいです。
苦しみの原因になりますからね。
ただ、言わないように我慢すればいいのかと言えば、そうではありません。
大切なことは、あなたも書いてあるような悪口や愚痴を言いたくなる原因を取り除かなければならないということです。
自分を守ろうとする意識高いこと、他者に対して許容範囲が狭いこと、あるいは、自分こそが正しいという思い込み、あるいは、他者が間違っているという思い込み、などを捨てましょう。
また、他者が何かミスしても、その人を責めるのではなく、その人を取り巻くミスを生んだ様々な原因に着目して、その人と一緒に対策を立て実行することが大切です。
そうすれば自然に悪口や愚痴は無くなり、あなたも自然に天使になれると思いますよ。
とはいえストレスが溜まることもありますから、そんな時はスポーツやカラオケなどで発散してくださいね。
質問者からのお礼
お坊さま
思っていたよりずっと晴れやかなご回答をいただき、『そうか、こういった考え方か!』と驚くのと同時に、尊敬の念が生まれてしまいました(お会いしたこともないのに一方的にすみません笑)
なるほど大事なのは、悪口や愚痴の原因となっているものを取り除くこと。。ミスがあったとき、責め立てるのではなく、周囲環境とともにフォローしていくこと。。そうか、私にも天使になれる方法があるのですね。
実は最近ミスを連発し、落ち込んでいました。
天使になるなんてそんなの無理だよ、と切ってしまったほうが楽だったけど、どこか心で納得できていない感じがあって、でも今回ご回答いただき、すっと心に入ってきました。
我慢するのではなく、原因に対処すること。そうすれば、天使になるのも無理じゃないこと。実際にはなれないかもしれないけど、なる方向で目指していたほうが、心がなぜか楽ですよね。私が善人ぶりたいだけかもしれませんが笑
びっくりするほど、心の落ち着く答えをいただけました。
本当にありがとうございます。