母に逢いたい
私は14年前、母を交通事故で亡くしました。
突然のことで、最後に話すこともできず
お別れしてしまいました。
亡くなってからしばらくして、母の夢をみました。
私が母を抱っこしたら骨になった…という夢で、
その日が四十九日の日でした。
それから14年、ずっと母の夢をみていません。
自分も病気をして1度命の危機を感じたとき
すごく母に逢いたいと思いました…。
思いついてお墓参りに行ったりしましたが
なんとなくすっきりせず…。
仏教的には
夢にみたり、逆に全然夢に見なくなったのは
何か意味があるのでしょうか?
気になります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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私の夢に対する思いですが
かーるさんこんにちは、夢に対するご質問について仏教の考えというよりは私の思いとして申し上げます。夢はその方のお心の想いが夢の中に出てくるともいわれます、私も夢の多くは寝る前のその方の意識や潜在心理が夢として表現されているものと思います。ただ、全てがそうではなく亡くなられた方の想いも含めそういった外部の想いや意思が夢に入り込んで来ることもあろうかと思います。浄土宗の宗祖法然上人は中国の善導大師いうお坊様の書物に書かれたお教えに感動され、南無阿弥陀仏のお念仏の救いを選ばれました。そしてその本のお教えに対する自分の解釈と理解が間違いでないことを夢の中に現れた善導大師に確認され浄土宗を開かれました。それは法然上人が自分も多くの人々も救われたいそのために是非とも確認させていただきたいとの想いに対し、遙か昔に亡くなられた善導大師が極楽浄土より法然上人の元にお越しになられ夢を通してお答えいただいたものとされております。私はあまり夢を観なく観ても忘れることが多いのですが、お檀家さんのご婦人のお話にこんなものがあります「主人が亡くなられて孫や娘達はなくなったその主人が出てくるそうですが、自分は全然出てきてくれない。私は毎日仏壇で手を合わせ話しかけてるのに、住職さんどうしてですか?」それに対してこう答えました、ご主人は毎日仏壇の前で奥さんと話しをされているし、きっと照れくさいのですよと。夢に出て来なくても確かに千の風ともなって今もここに寄り添っていてくれてますよと。その後日が経ち奥さんが秋の彼岸の数日前に手に怪我をされたのですが、その彼岸の初日に「夢の中で見守っていてくれるご主人が居りました」とうれしげに話しをされた奥さんでした。私はご主人が心配なさり夢に中に出てきてくれたのですねとお話しすると奥さんはうれしげでした。かーるさんのお母さんは夢の中に出てこなくてもあなたの傍で見守ってくださってます、なぜならあなたがお母さんのことを想っていてくださるから、お母様もあなたを想っていてくださるから、ですからお母さんの心とあなたの心は繋がっておられますから。大事なことは夢に出てくる出てこないより、お互いの心が繋がっていることではないでしょうか。でも夢でいいから会いたいですよね、それもよく判ります。会えるように私も祈らせていただきます。南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
ありがとうございます。
母のこと思っていきます。
いつか夢で会えるように。