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これはどうすればいいの、、

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3日前の夜中の1:45分に爆竹音がしました。
どうやら家に爆竹をなげこまれてるらしいです。
1ヶ月前くらいから1週間に3度くらい
のペースで、爆竹音がします。
今、友だちにはぶかれていて、、
たぶんそれが原因で、爆竹を投げ込まれるのだと思います。
なので、だいたいやってる人はわかります。
一応、警察にも通報しました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

警察に電話をしたことは、良かったと思います

これは、もう立派な犯罪ですよね。警察に連絡したということは良かったと思います。

犯人は学校などのお友達でしょうか?もし学校がかかわっているなら、先生や保護者にも連絡をしましょう。しかし、見てもないのにたぶんこいつに違いないといったことで決めつけてしまっては、まずいので、そこは落ち着いてくださいね。

もちろん、ご家族も分かってらっしゃるのでしょうが、多くの方の目で見ているということを伝えていくしかないでしょう。ビデオなどで撮影するなどして証拠を残すのも良いかもしれませんね。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

犯人を特定して記録しておく、証拠を取っておく。

いやがらせや、いじめをする人は、実はその人の精神状態こそが完全に病んでいます。その子の親も困って手を焼いていると思います。
いじめを黙認している周りの生徒は今度はそのターゲットにされることが怖いから黙っているから憶病な人たちです。
立ち向かおうとして、ここに相談に来てくれたあなたは少なくとも黙認者より勇気があると言えましょう。
その子はきっと家庭内でお父さんやお母さんが不仲だったり、親に不満があったりや身内からストレスを感じているか、その人が過去にどうしようもなく辛いことがあったので、それをどうにかしたいと思って他人に対して発散しているのでしょう。
される側のあなたとしてはたまったものじゃありませんよね。
でも「力」でかなわない場合があります。
三国志や戦国の時代でも、ただ力が強い猛者たちは天下は取れませんでした。
力や武力には知恵、智恵をもって対抗すればよいのです。
むしろかれらには、そういう暴圧的な武力や悪知恵しかないでしょうから、それを上回る悪を滅ぼす正義の智恵をもって対抗すればよいのです。
このサイト同様に匿名ワープロで、学校の学年主任や校長室宛てに匿名で通知をすれば一撃でおさまります。
「〇〇君たちが、現在クラスの〇〇君の家に爆竹を入れたり、嫌がらせをしていていますが、先生がいくら言っても取り合ってくれません。この問題をもし学校内で早急に解決して下さらないのであれば、知り合いの報道関係の方と警察にも相談をしようと思っています。」
学校は、TV沙汰、表ざたになることが一番困りますので、即日鎮火。
彼らや彼らの親は、彼らの内申、進路に響くことを恐れます。
もし確実に彼らであることが確定すれば、警察を通して学校側に報告されれば、志望先の高校の内申に響くことが一番怖いと思いますから、その旨を伝えてみるのも良いでしょう。
力に力で立ち向かってはいけません。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

はい。よくわかりました
学校がはじまりました。
卒業まで、180日くらいです。
耐えられる気がしません
でも、言われたように頑張ってみます!いつも丁寧にありがとうございます!

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