お坊さんの健康を願う祈願
身体の痛み、不調がある知り合いがいます。
病気を治してほしいとはいいませんが、その方が自分のやりたいことを十分できるように、お寺での祈願をしたいと思っています。
その方はお坊さんなのですが、他の宗派のお寺で祈願されたり、そもそも自分が祈願の対象となることは、不愉快なものなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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釈尊の涅槃の予告とアーナンダ尊者
つっち様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
仏道修行の妨げとして、四魔(煩悩魔、陰魔、死魔、天子魔)というものがございますが、その中の陰魔というものが、まさに体調の不良により、修行を進めなくさせてしまう魔となります。
その方は、まさにその陰魔にあられるのかもしれません。
魔を退けるには、それぞれに祈願法もあるかとは存じます。
また、例えば、チベット仏教においては、「永らくこの世に留まって、有り難く尊い仏法を説いて、私たちをお導き下さい」と、高僧に対して、弟子や在家信徒一般の者たちが祈願、懇願することはよくございます。
このように、高僧に対して長寿、延命を祈願するのは、実は、お釈迦様の涅槃時におけるアーナンダ尊者の誤りを犯さないようにとのこともございます。
釈尊が涅槃に入られる前に、自らの涅槃を弟子のアーナンダ尊者に予告されます。
「ヴェーサリーは楽しい。いろいろな霊樹の地は楽しい。修業を完成した人(如来)は、四つの大きな霊力を修したので、もし望むなら寿命のある限りこの世にとどまるであろうし、あるいはそれよりも長くとどまることもできるだろう。若い弟子アーナンダは、仏陀がこのようにほのめかしたのに、その意味を洞察することができず、仏陀に寿命のある限りこの世にとどまって欲しいと懇請しなかったのです。仏陀はおなじことを三度アーナンダに告げるが、アーナンダは三度とも、仏陀に寿命のある限りこの世にとどまって欲しいと懇請しなかったのです。」大パリニッバーナ経・中村元先生訳
釈尊は、まだまだこの世に留まることができるとおっしゃられていたものの、アーナンダ尊者に魔が差していたのか、留まることを釈尊に懇願しなかったのであります。そのため、釈尊は、涅槃に入られることになってしまわれた、ということが通説としてございます。
この故事を受けて、高僧に対して、「どうか法をまだまだお説き下さい、そのためにもこの世にお留まり下さい」とお願いすることが、弟子や信徒たちにとっても大切なことになっております。
どうぞ、御祈願をなさられて頂けましたらと存じます。ただ、可能であれば、その僧侶の宗旨における長寿・延命祈願、同宗旨のお寺・僧侶による祈願である方が良いかもしれません。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
早速お答えいただき、ありがとうございました。
おかげさまで、不安を持つことなく、お寺で祈願していただくことができます。
そのような通説があったということも、教えていただき、ありがとうございます。仏教について不勉強なまま過ごしてきました。「信仰を持つ、持たない」ということとは別に、お話を伺うことができ、大変ありがたく思います。