hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

お坊さんの健康を願う祈願

回答数回答 1
有り難し有り難し 5

身体の痛み、不調がある知り合いがいます。
病気を治してほしいとはいいませんが、その方が自分のやりたいことを十分できるように、お寺での祈願をしたいと思っています。

その方はお坊さんなのですが、他の宗派のお寺で祈願されたり、そもそも自分が祈願の対象となることは、不愉快なものなのでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

釈尊の涅槃の予告とアーナンダ尊者

つっち様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏道修行の妨げとして、四魔(煩悩魔、陰魔、死魔、天子魔)というものがございますが、その中の陰魔というものが、まさに体調の不良により、修行を進めなくさせてしまう魔となります。

その方は、まさにその陰魔にあられるのかもしれません。

魔を退けるには、それぞれに祈願法もあるかとは存じます。

また、例えば、チベット仏教においては、「永らくこの世に留まって、有り難く尊い仏法を説いて、私たちをお導き下さい」と、高僧に対して、弟子や在家信徒一般の者たちが祈願、懇願することはよくございます。

このように、高僧に対して長寿、延命を祈願するのは、実は、お釈迦様の涅槃時におけるアーナンダ尊者の誤りを犯さないようにとのこともございます。

釈尊が涅槃に入られる前に、自らの涅槃を弟子のアーナンダ尊者に予告されます。

「ヴェーサリーは楽しい。いろいろな霊樹の地は楽しい。修業を完成した人(如来)は、四つの大きな霊力を修したので、もし望むなら寿命のある限りこの世にとどまるであろうし、あるいはそれよりも長くとどまることもできるだろう。若い弟子アーナンダは、仏陀がこのようにほのめかしたのに、その意味を洞察することができず、仏陀に寿命のある限りこの世にとどまって欲しいと懇請しなかったのです。仏陀はおなじことを三度アーナンダに告げるが、アーナンダは三度とも、仏陀に寿命のある限りこの世にとどまって欲しいと懇請しなかったのです。」大パリニッバーナ経・中村元先生訳

釈尊は、まだまだこの世に留まることができるとおっしゃられていたものの、アーナンダ尊者に魔が差していたのか、留まることを釈尊に懇願しなかったのであります。そのため、釈尊は、涅槃に入られることになってしまわれた、ということが通説としてございます。

この故事を受けて、高僧に対して、「どうか法をまだまだお説き下さい、そのためにもこの世にお留まり下さい」とお願いすることが、弟子や信徒たちにとっても大切なことになっております。

どうぞ、御祈願をなさられて頂けましたらと存じます。ただ、可能であれば、その僧侶の宗旨における長寿・延命祈願、同宗旨のお寺・僧侶による祈願である方が良いかもしれません。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

早速お答えいただき、ありがとうございました。
おかげさまで、不安を持つことなく、お寺で祈願していただくことができます。

そのような通説があったということも、教えていただき、ありがとうございます。仏教について不勉強なまま過ごしてきました。「信仰を持つ、持たない」ということとは別に、お話を伺うことができ、大変ありがたく思います。

「お守り・お札・護符」問答一覧

お寺の御札/お守り等の授与物について

私は千葉県の在住です。成人です。 観音様への関心が強まりまして、 毎月・朔日/月初にお参りに通うなら在住市内に在るお寺の方が良いかなとも考え、検索して近所に見つけましたが、お寺って、中規模以上くらいにならないと、御札等がある程度の種類の取り扱いが無いところが多いな…と思いまして。 自宅の神棚にお祀りして毎朝お祈り/祈願したいのです。 それで、例えば、東京浅草の浅草寺は生まれてから2~3度お邪魔した事はあるのですが、 遠くはないが、行きたい時に難無く赴けるほど近くはない距離感で、郵送での購入を検討していますが、 「Q:普段から正月のお参りやある程度定期的にお詣りして馴染みがある訳でもないのに、御札やお守りだけを頂く事でも本尊様方のご利益に与れるものだろうか?と思いました。」 そこまで考えるのは少し考え過ぎかどうか…。 自宅近所に見つけた車で5分程度の同じ市内のお寺も聖観世音菩薩を御本尊として、他にも不動明王様もいるお寺で行き付けにしているのですが、浅草寺様と同じ観音様だから関連している…と考えて良いものか、と。 普段現地に顔を見せないのに御札だけねだられても…とは浅草寺の観音様も思わないんでしょうけど…。 或いは、その発見した近所のお寺にお参り時に、同等の金額を浄財としてお布施すれば意義的には同じなのかな…とも一縷考えましたが。 ※勿論、一番良いのは直接その場で授与していただける事、何か御祈願したい時にいつでもお参りできる事だとは承知はしているのですが…。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

聖天様のお守りと参拝について

夫婦関係に悩み、初めてのお寺に観音様の参拝に伺いました。事前にHPを拝見し、聖天様と浴油祈祷の記載もありましたが、何のことか私には理解できない事だと思い、観音様の参拝にと伺いました。 参拝後、本堂横の授与所で、あるお守りに惹かれましたが、お寺の方に"観音様ではなく聖天様ですが宜しいですか?"と2度念をおされ、意味はわからないまま"一旦考えさせて下さい"とその場を離れました。 そして聖天様について携帯で調べると、安易に拝むべきでない、信仰するなら一生、辞めると怖い等の情報を目にしました。 その後別の授与所で、お寺の方に"本堂で念を押された意味は何なのか、聖天様が怖い神様だと目にしたこと、私は一生信仰はできないだろうし、お守りを一度も粗末なく扱えると言い切れないので私が授かって良いのか迷っていること"を尋ねました。すると"確かに聖天様は神様なので私達の様な者に対して何をしてるんだ!と気づかせるイタズラはされます。でも一般の方にはないと思いますし、イタズラもせいぜい転ぶ程度です(私が心配する様な一生を左右するような罰はない)。一生信仰できなくても、綺麗に終われば良いです。願いが叶ったらお供えでも浄財でも構わないのでお持ちし、心を込めて感謝すれば大丈夫です。惹かれたということは心が呼ばれているということなのでお求めになれば如何ですか"と言われ、悩んだ挙げ句、"予め聖天様に、もし失礼があったら申し訳ないのですがお守りに惹かれ授からせてくださいとお参りしても良いですか"と聞くと、"良い事だと思います"と言って頂き、何の作法も知らずただ聖天様に手を合わせ、家庭の状況・観音様の参拝に伺ったがお守りに惹かれ授かりたいこと、もし粗相があったら申し訳ありませんと伝えお守りと共に帰宅しました。 その際はとても心強い安心した温かい気持ちになったのですが、その後も聖天様について調べてしまい、怖い気持ちが肥大し、そう思う事自体失礼で申し訳ない様な、でも分不相応な事に手を出してしまったような恐れを抱き質問致しました(以前の問答を読んだ上でまだ恐れてしまう自分がいます)。 お寺の方のお話をただ信じ、聖天様を触らぬ神に祟りなしと恐れず、他の仏様やお守りと同じ様に考えて良いのでしょうか?そもそも一生信仰とは何を指すのでしょうか?聖天様にお願いをしたら別の神様に同じお願いをしてはいけないのも本当ですか?

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ