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父がきょうだいから実家と仏壇を奪いました

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有り難し有り難し 12

私の父が今、手術後に肺炎をおこし生死が五分五分の状態です。
母が看病していて、かなり憔悴しています。
私は父の最期について、ある「宿題」を抱えています。

父は、私の祖父がなくなったとき、遺産を3人のおば(妹)と争い、おばたちと私の祖母との仲が良くないと決めつけ、最終的におばたちから実家と畑とお墓を奪って長男独り占めの状態を作り、縁も切りました。
そのトラブルは、基本的に父によってお酒の力を借りて強引に、支離滅裂に進められました。私も当時(15歳)、虫の居所の悪い父に部屋をめちゃめちゃに荒らされたことがありました。
私は、自分の人生が父に壊される可能性を恐れて、地元の大学は落ちたが遠くの滑り止めだけ受かったという状況を計画的に作り入学し、卒業後最終的に実家から500キロ以上離れた場所に嫁ぎました。
 
私は、私の父がしたことを思うと、おばたちが好きだったのでとても罪悪感がありました。父がこの世を去るときに、私の母は義妹の誰も頼れないこと、奪った実家の問題がまた出てくるであろうということ。これは私の宿題として人生に残り続けました。

私は結婚した時も、出産したときも、内緒で夫や赤ちゃんを見せにおばの家に行きました。おばは夫に、「狸田羊は昔から性格がさっぱりしていて大好きだ」と言い、同じようにさっぱりと「でもあなたのお父さんは許せない、あなたのお母さんも間に入ってくれなかった、あなたには悪いけど、実家をとられて許せない」と言いました。

私は、自分も実家と距離をとって幸せになる作戦で生きているので、おばたちが祖母と離れて暮らしたことが悪いとは思えないし、そのことで実家に立ち入る権利すら奪われたことは間違っていると思います。
仏様や死んだ祖父母が悲しむことを、私の両親がしてきた気がするのです。

私は、おばたちに、両親の仏壇なのに手も合わせられないように父がこじらせてごめんなさいと正直に言いたい。お仏壇を正しく開放したい。
だけど、母が、私の気持ちを聞いて、「あんたの気持ちは、おばあちゃんを看取った実の親より縁の切れたおばたちの方にあったのか、裏切り者」というショックを受けないだろうか。
母は、義妹の実家でもある家を、今後もぶんどったまま(別荘として。両親の住まいはもとからちゃんとある)生きていくのだろうか。

仏教的に、好ましい行動はこの場合なんなのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それぞれの立場から、見える景色も異なり言動も異なります

 お父様の病状がかなり厳しい状況の中で、「宿題」を抱えておられる訳ですね。御質問を拝読して、狸田羊さんなりに我が身を守るために苦心されて来られた様子が理解できます。また、叔母さんたちに対しても出来る範囲で礼を尽くしてこられたのですね。ご苦労様です。

 「父は、私の祖父がなくなったとき、遺産を3人のおば(妹)と争い、おばたちと私の祖母との仲が良くないと決めつけ、最終的におばたちから実家と畑とお墓を奪って長男独り占めの状態を作り、縁も切りました。 」
この件ですが、御質問の文章からでは、祖父祖母の晩年をどのように看病介護し、畑やお墓を管理して来られたのか、少々曖昧です。狸田羊さんはお父様が身勝手な言い分を押し通したように受け止めて居られるようですが、お母さまから当時の状況を詳しく確認された方が良いと思います。他家に嫁いだ後も実家のために心砕いてくれる御親族も多いですが、面倒なことは実家を守る兄弟にまかせっきりで、たまに来て文句だけ言ったり相続上の権利の主張だけをしたりという場合も多いのです。限られた情報だけで判断すると、全体像を見誤ることがありますので、ご注意ください。

 お父様と叔母さんたちとの関係は、事此処に至っては修復しようが無いでしょう。問題は今後、お母さまと羊さんが叔母さんたちとどのように接していくかだと思います。仮にお父様が亡くなられた場合、喪主となるのはお母さまであると思います。お実家のお仏壇を見ていくのは当面はお母さまだと思います。お母さまの意向を尊重しながら、叔母さんたちとの修復の可能性を模索していくしかないと思います。「仏様や死んだ祖父母が悲し」まないよう、心を配り、穏やかな話し合いが出来るよう努めてください。

  編集 追記
 事情が十分理解できてない中で、回答が隔靴掻痒なものとなりましたことをお詫び申し上げます。
 「羊さんの御両親が共稼ぎなので、叔母さんのお世話になったこと」をお母さまと再確認しながら、叔母さんに感謝の気持ちを今まで同様に示して行きましょう。現時点で直ちに修復できれば良いでしょうけど、焦らないことです。お母さまの心や体の調子を考慮しながら、家族の歴史を整理して話し合って見ましょう。そして、あなたが皆を大事にしたい気持ちを、お母さまにも叔母さんたちにもゆっくり伝えていきましょう。

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おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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ご先祖様は

拝読させて頂きました。
あなたのお悩みを読ませて頂きました。あなたのそのお気持ちを心よりお察し申し上げます。

あなたはあなたのご先祖様が今の状況をどう思うか冷静に考えてみてはいかがでしょうか。

ご先祖様が望まれるお喜びなさるあり方や供養をあなたもお母様も皆さんが考えて頂きたいと思います。

はっきり申し上げますとご家族やご親戚の皆さんが我欲の為に争うことを何よりご先祖様は悲しまれると思います。

そうしないことそして皆さんが仲良くご先祖様をご供養なさることが正しいことです。

それにはどうすることが望ましいのかを皆さんが本心から噓いつわりなく考えて相談し判断なさってくださいね。

いついかなる時もあなたやご家族やご親戚の皆さんをご先祖様はかたときも忘れずに見守ってくださっておられますからね。

悩んだらしっかりと仏壇に手を合わせてご先祖様にお向き合いくださいね!

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

質問に回答していただくご縁があって、大変ありがたく思っております。
kousyo Kuuyo Azuma 様 
ご回答ありがとうございます。
私の悩みの本質を指摘していただいたと思います。
私の恐れの源は、「親のしたことは間違っていたんじゃないかと思っていた自分の本心を、親自身(母)に打ち明けること」です。「おじいちゃんやおばあちゃんがこんなことで喜んでると思う?おばちゃんの実家はおばちゃんに返そうよ」と母に言うとしたら、自分の言葉で疲れた母を傷つけるのではないかということです。
父にも、もし余命が僅かなら、心やすらかでいてほしい。おばたちにもそう願います。
今、彼らの実家のことを親族間で持ち出すことは、果たして「やすらか」なのか。
逆に、今動かなければ、一生後悔することなのか。
亡くなった祖父母の心はどうか。これ以上争ってほしくない、孫娘やもう蒸し返すなと私に言っているのか。今一度孫娘に蒸し返してほしい、この問題を子供たちに考えてほしいと願っているのか。
胃がきりきりとするほど、私の心は闇の中というか、迷いの中にいます。

まずは帰省してお仏壇とお墓のお参りに行きます。
光を見つけたいけれど、ほんとうにわかりません。

吉田俊英様
ご回答ありがとうございます。
時数の制限もあり、詳しく書けなかったのですが、祖父母はどちらも、ピンピンコロリとした死に方をしていて、介護ということはありませんでした。
私の両親は、私と妹を、おば(既婚)の一人に預けて共働きをしていて、家もおばの近所に引っ越し、農作業もおば一家とうちの家族とで実家を手伝いながらまわしていて、祖父が亡くなるまでは結束が固かったのです。
ただ、未婚のおばが二人いて、祖父が急死したとき、長男対妹3人で敵対してしまいました。父に、男尊女卑的な考えがあったことも要因です。
おばたちが自分たちの実家や親に孝行する前に祖父が急死したとして、そのとき兄である父とこじれて実家の出入りを禁止にされたまま、今度は祖母がなくなったとして、それは私の両親が実家を独り占めする根拠になるのか?長男が、妹3人から実家を取り上げ縁を切れる根拠がどこにあるのか?私はそう思うと、自分の両親の当時の決断が正しかったのかわからないのです。何より、妹との話し合いに常に飲んで泥酔してから出向いた父(近所だから)を自分が覚えているのです。

泥酔した父にしょっちゅう家に来られ、実家にもっとサービスするべきだったと絡まれ、「あなたたちの子の面倒を毎日見たでしょう、それでもそんなことをいうの」と泣いたおばを思うと、もう、私の父が死にそうだからと言って、おばの生活を乱してはいけないのではないかと思えてきました。
今が宿題の期限だと思って、焦ってはいけないのかもしれませんよね。
慎重に考えます。ありがとうございます。

追記までいただいてありがとうございます。字数の関係で、どうして私がおばに思い入れがあるのか肝心なことが質問のところに書けませんでした。
おばの一人は私を日中預かって育ててくれていたので、母に準じる存在だった時期がありました。だからなおさら、私ならおばとコンタクトをとっても大丈夫なような気持ちになってしまうのです。
でもやはり、今は平穏に暮らしているであろう相手にいきなり飛び込んで嫌なことを思い出させるようではいけないと、ハスノハに投稿するまで見えなかったところが今は見えてきた思いです。
ありがとうございます。

「父親のこと」問答一覧

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愚かさで父の寿命を縮めてしまった

 コロナ前のことで、父は神経難病末期で、何度目かの誤嚥性肺炎で入院しました。療養型病院なので積極的な対応はあまりなく、嚥下困難で食事に時間のかかる父の希望で、食事介助に行っていました。 そして家にいる時と同様に、あるビタミン剤を飲ませていました。 医者にはいい顔はされないと思ったので、独断でこっそりと。 1か月ほどして、主治医から呼ばれ、体の全部が機能しなくなっているので、と暗に覚悟をするよう言われました。ここでようやくビタミン剤を飲ませるのを止めました。 その後しばらくして容態が急変し、このままここで治療するか、急性期病院に転院するか尋ねられた時、一瞬頭をよぎったのが、ビタミン剤のせいかも、急性期病院で詳しく検査して、状態の悪い父に勝手に飲ませていたのがわかったら非難される、ということでした。すぐに母が父の負担を考えて転院を否定したのと、主治医から治療そのものはここでも特に変わらない、と聞いたので、どこかホッとして転院しないことを決め、父はその後亡くなりました。 後に主治医にビタミン剤を飲ませていたことを告げましたが、特に父の病状には関係なかったとの返答でした。 しかし、飲ませたことも愚かでしたが、転院に躊躇したのは、自分の保身とエゴです。あの時、急性期病院で積極的な治療をしていたら、もう一度持ち直したかもしれない、と今更になって毎日悔やんでいます。 父は嚥下困難でも何とか食事を口にしようと懸命で、全部機能していないと言われる体であっても、必死で自力でトイレに行こうとしていました。 そんな父の命の瀬戸際に、母が希望しなかったのをいいことに、己のエゴで父の寿命を縮めてしまいました。  自責の念と後悔で、胸が苦しいです。正直、死んで詫びたい気持ちですが、残される母のことは心配するな、と最後に父に約束したので、今はそれは出来ません。母には経緯をすべて話しました。母は父の状態からあまり積極的な治療を望んでいなかったようです。しかし、父自身は一日でも長く生きたいという強い思いがあった気がします。  この罪の償い方をお教えください。

有り難し有り難し 3
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父の変化は私のせいなのかもしれない

いつもありがとうございます。 また、父のことで相談させていただきます。 母が亡くなり、施設にお世話になっているのですが、最近は時々妄想のようなことを口にしているようです。 若い時から、思い込みなのか常識から外れたことを口にすることがありました。 またお父さんの妄想が始まったとあまり関りを持ってはいませんでした。 母がそばにいたので母が常にたしなめていたようです。 今現在母もいなくなり、寂しい思いをしているとは思います。 私は月に3から4回は父に会うようにはしているのですが、歩くのがおぼつかなくなってきており、一人では外に出ないようにさせています。 もっと自由にさせていたほうが、父は元気でいたのではないかと最近考えています。 施設のほうからの依頼もあり、一人での外出をさせないようにする選択をしたために父の元気を奪ってしまったのではないかと考え始めました。 歳をとり仕方のないことだとはわかっておりますが、父に対して申し訳ないような気持ちになり、心の整理がつきません。 本当にいつも愚痴のような相談になり、申し訳ないのですが、父の老いをきちんと納得でき、私自身の心の整理ができるようにお言葉をもらえればと思います。 お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 19
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父親を憎いが放っておけません

一昨年母が亡くなり、父と主人と私の3人で暮らしています。 母が亡くなりしばらくしてから父は引きこもりになり早1年半がたちます。 小さいですが会社の社長をしていますが仕事のこともほぼ放置し社員に丸投げしている状態です。私も事務をしています。  私が過去にうつ病になった時に「俺から言わせりゃ仮病、そんな辛いなら死ねばいい」と言われました。 そんな父の近くにいたら治らないと思い、家を出て一人暮らしをし、結婚して、15年ほどたちましたが母が亡くなり結局は父を放っておけず実家で暮らしています。 やはり父の性格は変わるはずがなく、私がやる事は父にとっては全て当たり前のようです。「ありがとう」「ご馳走さま」「お願いね」などの言葉は一切なく、それどころか文句を言われます。 機嫌が悪いと明らかに表情もムスっとしており、指摘したら「こういう性格だ」と言われました。それ以外にも気に入らない事があると物に当たったり大きな声で怒鳴ります。 私ももう耐えられなくなったので「住むところが見つかったら家を出ていく」と言うと物を投げつけ怒鳴られ、しまいに自分の手の甲にボールペンを何度も刺して「死んでやる」と暴れていました。完全に病気だと思いますが病院にも行ってくれません。 離れて暮らすのが1番だと思いますが何故か放っておけません。このままでは私が病んでしまいそうです。 現場へ行かなくてもせめて事務所には行ってほしいですし、暴れるのをやめてほしいです。自分だけが辛いという考えはやめてほしいです。1番辛かった時に「死ねばいい」と娘に言う事も信じられません。 私がしていることも全て当たり前ではないことを分かってほしいです。会社のことがあるから家を出ることも躊躇しているし、やはり放っておけない気持ちも消えません。 それでも家を出れば良いでしょうか?それとも私がもっと頑張って嫌な態度や言葉はスルーして賢く接するのが良いのでしょうか?後者ができればとてもラクだと思いますが許せない気持ちも消えません。でも放っておけない気持ちも消えません…。毎日その繰り返しで苦しいです。 何か良い方法はないでしょうか。 どうか宜しくお願い致します。

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入院中の父が転院せず退院を希望しています

病院嫌いの父(79)が救急車で運ばれ、初めて入院しました。 付き添った母の話だと、病院の方からは疑いのある病名も聞かされていないのですが、ウイルス性の肺炎だけでなさそうなので、専門の科があるところに転院して検査・手術を検討したほうが良い。 ただ、またコロナが増えてきて転院先がなかなか見つからない。 見つからない時はこの病院でできる治療をして様子を見ます。とのことでした。 入院3日目、母に会って父の様子等の話を聞き『早く元気になって また遊ぼうね じぃじ がんばれ!』というメッセージと、子供達の写真を載せたカードを「明日渡しといて」と託して別れました。 その日の夜、父から着信がありました。 「俺、退院しようかと思って。 治るかもわからないのに、転院してまた検査で痛い思いをしたくない。 テレビもないし、お粥も頑張って食べても半分くらいしか喉を通らないし、動けないし、このままじゃどんどん弱っていってしまう」 私は泣きながら 「病院嫌いのお父さんが初めての入院だから、気が弱ってるのもあるんだよ。 子供達も『じぃじ、じぃじ』ってお父さんのことが大好きなんだし、頑張ってほしい。 七五三やランドセル背負った姿も見てもらいたいし、まだまだ長生きしてほしい」と伝えました。 すると父から「だからこそ元気なうちに退院して、孫達と遊んであげたい。 もうここまで生きたんだし、その時はその時だ。 まぁ、そんな相談をお母さんにしようと思ったんだけど、電話が繋がらないんだ」 その後、父と話したらしく母から着信がありました。 「『◯◯(私)は何て言ってた?』って聞いたら『お父さんの好きにしたら?って言ってた』って聞いたよ。だから『先生に退院したいって伝えてみたら?』って言ったんだ」 私の気持ちを伝えても、父は母に嘘をついたようです。 私が伝えた言葉を話すと 「検査がよっぽど辛かったんじゃない? お父さんの好きなようにさせてあげようよ。 今すぐ亡くなるって決まってる訳じゃないんだし、好きな物食べて飲んで、足は達者な人だから散歩して。 孫達と遊んでたら、入院中の今より元気になるかもよ」とのことでした。 父や母の思いもわからなくもない気持ちと、検査を頑張ってもらって、長生きしてほしいという自分の気持ちがせめぎ合っています。 退院してきたら今まで通り接することができるか自信がありません。

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