祖母が亡くなって
数週間前に祖母が亡くなりました。私の誕生日のことでした。
生前同居していたにも関わらず、私は孫として祖母に冷たい態度ばかり取っていました。
元気だから大丈夫、どこかで過信があったのも確かです。
突然亡くなってしまったことの悲しみ、家族として優しく接することができなかったことへの後悔、自己嫌悪が消えません。
今後どのように心を、人生と向き合えばよいのでしょうか。
アドバイスがあればお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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供養とは善い行いを追加していくこと
かいぺさん、はじめまして。質問を拝読いたしました。
かいぺさんのおばあさまが亡くなられたのですね。お悔やみ申し上げます。
かいぺさんがおばあさまと同居していたにもかかわらず、孫として冷たい態度しか取れなかったのですね。そして、おばあさまが突然亡くなってしまい、かいぺさんの態度に対して後悔と自己嫌悪の念があるのですね。
おばあさまが亡くなり、かいぺさんは供養をしていくことになります。
供養とは何でしょうか。
供養とは正式には「追善供養(ついぜんくよう)」と言います。善を追加できると書きます。おばあさまの生前にかいべさんが善(よ)い行いができなかったとしても、今からかいぺさんが善(よ)い行いを亡くなったおばあさんのために追加していくことができるのです。
懺悔するとは、行いと、言葉と、心持ちによって作られた罪を意識することです。
過去をふり返り、今までできなかったことを悔やむより、これから善を追加して追善供養をしていくことで、かいべさんの罪の意識は薄れていくことでしょう。
かいぺさんが、追善供養によりおばあさまに対して、善い行いをしていくことができますよう祈念しております。
あなたは成長するのです
拝読させて頂きました。お祖母様がお亡くなりになり今深く悲しまれ後悔なさっておられるのでしょうね。
人が亡くなることは誰もが知っていることではありますが、自分の身近な方や大切な家族の死が訪れるとやはり信じられない、受け入れることができないと思うのは誰しもがそうです。
そして亡くなる前にゆっくりと会いたかった、もっと大切にしてあげたかったと悔やんでも悔やみきれない思いにさいなまれてしまいます。
それはやむを得ないことです。
お祖母さんは仏様に導かれて仏様のもとに生まれ心安らかになられます。
私もお祖母さんが仏様のもとに往生なさり安心なさりますようにとお念仏おとなえさせて頂き仏様にお願いさせて頂きます。
南無阿弥陀仏
あなたも仏様にお祖母さんを正しくお導き頂きますようにと願いお念仏おとなえなさってくださいね。
必ず仏様はお祖母さんを正しくお導きなさり仏様のもとにてたくさんの親しい方々やご先祖様に巡り会わせて頂きます。そしてたくさんの方々と共に安心してご成仏なさりあなたやご家族の皆さんをお見守りなさってくださいます。
悲しみや後悔はなかなか尽きないでしょうがどうかこれからお祖母様へ真心込めてご供養なさってくださいね。
あなたとお祖母様とのご縁はこれから先もずっと続いて参ります。いつ如何なる時でもどこにいてもどんな状況であってもお祖母様はあなたを守り導いてくださいます。
あなたの人生はこれからもお祖母様に支えられているのです。
どうかそのことを信じて自信を持ってくださいね。
あなたが素直なお気持ちでお祖母様に思いを馳せて語りかけて笑いかけたならばお祖母様はきっと心の声で笑いかけお話なさってくださいます。
あなたはこれからも成長なさっていかれます。お祖母様や皆さんから愛情を受けてどうかこれからの未来心も身体も健やかに素直なお気持ちで充実した毎日を送ってくださいね。きっと何よりお祖母様があなたの成長なさった姿をお喜びなさってくださいますからね。
質問者からのお礼
観音寺 中村太釈様
早々にお返事いただき誠にありがとうございます。
祖母が亡くなって以降泣いてばかりの日々ですが、
お言葉通り、一生をかけてしっかり追善供養していきたいと思います。
ありがとうございました。
一向寺 kousyo Kuuyo Azuma様
この度は返信いただき、誠にありがとうございます。
祖母に見守られているということを忘れず、
成長した姿を見せられるように、頑張って生きていきたいと思います。
ありがとうございました。