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遺骨の収まるべき場所

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3回目の相談をさせてください。
2回目に実母の事でお言葉を頂きました。
いつも、有難うございます。

その実母が、先を考える…という時期が来たようです。

15年程前に近くの霊園にお墓を建てました。(子供に迷惑がかからないようにとの事)
病をきっかけに、昨年より私の家に同居。
亡くなった後の、お墓の事につき弟に確認。

弟➡自分達はお墓を持つつもりはない。
どっかに撒いてもらえばいいんじゃないか。

母➡私は、あなた達に迷惑かけないように建てた。でも、いいわよ、墓じまいして。

私は、永代供養墓がいいのではと思います。
ただ、自分で入ろうと思い購入した墓があるのに一度も入らずして墓じまいし永代供養墓に入るのはどうなんだろうという気持ちがあります。

⚫私達夫婦のどちらかが亡くなったら墓じまいをし、永代供養墓に納めさせていただくというのはどうだろうか。
⚫結局、永代供養墓に納めるなら、もう墓じまいをし最初から永代供養墓にする方がいいんだろうか。

決めかねています。

私達夫婦、子供達は義父母のお墓がとても近いことから盆暮れ関係なくお参りするという習慣があるので…お墓だろうが永代供養墓だろうが手を合わせることに何ら関係はないのですが。

お墓があるのに、という気持ちの問題だけだと思います。

後ひとつ…。
母が、40年位前から3ヶ月の赤ちゃんと同じ大きさというお人形を大事にしています。
季節毎に衣服も変えて。

亡くなったら、母の両親の写真と一緒にお人形も棺に入れてほしいとのこと。

このようなことはしてもいいことなのでしょうか?

お忙しいなか、アドバイスをよろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お骨をどこかに納めればそれでいいという感覚がすでに違うかと。

少々厳しいことを。散骨、樹木葬、墓、永代供養は、ある心のないままで供養をしても人間性が崩壊するだけです。お墓はケース、ハコではありません。ましてや骨を捲く=親・人間性を捨てる捨骨行為。
自分の母親でしょう。憎かれウソがあれ、亡くなられてゆく身。あなた方をこの世に誕生させてくれた存在。
宗教心の無いまま業者に乗せられて永代供養やお墓を求める。
それで供養になっていると思われますか?
姉弟ともに、その物質主義・都合主義的な人間性のままでいいのか?と自問自答しなければ解決しない問題です。
「どこかに捲けばいい。買ったからもったいない。どこかで永代供養してもらおう。」
そういうビジネス供養と「仏教の供養」とは次元が違うのです。
仏教徒でなくても供養はする。
失礼ですが、この問題はあなたと弟さんの宗教心、仏教心の無さ。
それがないまま体裁だけ調えても供養になるわけがない。
宗教心・仏教心の無い形だけの供養なら他に相談を。仮にお寺に立派なお墓を建てたり永代供養をしても供養にならない。意味がないのです。何故か。
あえて極端な話で説明いたします。
イスラム国やテロリストが自分の母親が死んで「どこに墓を建てるか」考えていたとします。とりあえずhasunohaというサイトの坊さんに相談を。
いい回答をもらった。
解決方法無料でGET!
おー、そりゃ都合いい。ナイスアイデア。
じゃ、お前、早くマザーの骨をそのナントカ墓にポイして手を合わせてポクポク供養してこい。
OK?明日からテロ行くぞ。
これで供養と言えましょうか。極端な喩えですが自身の人間性も顧みず、改めのない人間がいくらお寺で永代供養や法事をしてもカタチだけ。本人の精神的向上心がないから供養にならないということの説明です。
あなたのその話は世間のハコ供養の話。
業者の供養と仏教の供養と一緒にしてほしくありません。
この世の中を少しでも良くしようと、仏教的人間性向上機関であるお寺の活動・運営維持に貢献(布施)して。親の報恩の行として人間性向上の為に菩提心(墓)を立てる。菩薩の行をして世の善玉菌活性化につとめる志。
それが供養塔を建てることの本義です。業者、霊園の宗教心なき永代供養は布施ではなく料金。ビジネスです。宗教心の放棄につながります。
誰の何の為の仏教でしょう。人間性を高める心なき供養は供養にならないと思って頂ければ幸いです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

お墓があるなら

ポッキーさん、はじめまして。質問を拝読いたしました。

ポッキーさんのお母さまは、子供に迷惑がかからないようにと15年程前に近くの霊園にお墓を建てたのですね。病をきっかけに、昨年よりポッキーさん家に同居をはじめ、お墓について考えるようになったのですね。しかし、ポッキーさんと弟さんの意見が分かれ、どうしたらよいのか迷っているのですね。

私の意見ですが、お母さまが建てた生前墓があるのであれば、まず一度は納骨されたらどうでしょうか。お母さまは「墓じまいしてもいい」と言っておられるようですが、どこまでが本心なのでしょうか。墓じまいするためにお墓を建てたというのは矛盾があるようにおもいます。

ポッキーさんが考えておられるように、ポッキーさん夫婦のどちらかが亡くなったらお母さまの墓じまいをし、永代供養墓に納めるようにしたらいかがでしょうか。永代供養は、どうしてもお墓の維持ができなくなったときのためのものです。ポッキーさん、あるいは御主人が亡くなったときのために、永代供養を考えていけばいいと思います。

さて、お母さまが大事にしている人形についてです。
お母さまはお棺に一緒に入れてほしいと願っているのですね。これは、ご遺族の意向はもちろんですが、火葬場の事情もあります。ご遺体と一緒にいろいろなもの、例えば金属製のもの(例えばメガネなど)を入れて火葬した場合、熱による破裂を起こして火葬場の職員に危険が及ぶ恐れがあります。このため、お棺にはご遺体の他に花だけしか入れてはいけないというところもあるようです。

その時になってみないと分かりませんが、上記のような理由で人形を入れることができない場合があります。そのときは、別途、人形供養をされたらよいと思います。常時受け付けている寺院もありますので、探してみてください。

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有り難し
おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

質問者からのお礼

中村様、お答えを頂き有難うございます。
とてもわかりやすく説明していただき何か…気持ちがスッキリしました。

お墓は、そのままに。
お人形は、供養していただきます。

本当に、有り難うございました。

中村様、再度のお礼です。
今、母にお墓の事、人形の事、話しました。
お坊様のお言葉なので、私同様、潔く吹っ切れました。
とても、有り難がっております。

有り難うございました。

丹下様、お答え頂き有難うございます。
母の受診日だった為、お礼が遅くなりました。
この事で、考えが定まらずいる中、永代供養墓に納めさせていただくなら霊園よりお寺様がいいのではと…近くにあるのかしらと調べていました。
近くに永代供養墓を設けているお寺様があり、安行桜という早咲きの桜が綺麗なお寺様です。
花が大好きな母には、いい所なのでは。

ただ、母が購入したものとはいえ安い買い物ではない。
なので、もちろん勿体ない。
そして何より子供に迷惑がかからないようにと生前墓を建て、年数回掃除をしに行っていた気持ちを無にしていいのか。
という思いでした。

若い頃、福島から出てきて何十年。
田舎に住んでいた時とは違い、こちらでお寺様にという考えが及ばなかったのでは。
この辺りは、多数の霊園があるので、何の気なしに霊園にて建てたのでは。
と、思います。

弟は、どこまでの思いがあるかはわかりませんが。
私達夫婦、子供達は粗末にする/お墓もあるからちょうどいい/取り敢えず入れときゃいい、等の考えはないつもりで居ます。

新たにお寺様にお願いさせていただく財力が私達夫婦にはないので、その時期が来ましたら生前墓に納めさせていただき手を合わせていきたいと思います。

お坊様方にとっては、大変失礼にあたる相談内容だったのかと思っています。

お忙しい、大変申し訳ございませんでした。

丹下様、お答え頂き有難うございます。
母の受診日だった為、お礼が遅くなりました。
この事で、考えが定まらずいる中、永代供養墓に納めさせていただくなら霊園よりお寺様がいいのではと…近くにあるのかしらと調べていました。
近くに永代供養墓を設けているお寺様があり、安行桜という早咲きの桜が綺麗なお寺様です。
花が大好きな母には、いい所なのでは。

ただ、母が購入したものとはいえ安い買い物ではない。
なので、もちろん勿体ない。
そして何より子供に迷惑がかからないようにと生前墓を建て、年数回掃除をしに行っていた気持ちを無にしていいのか。
という思いでした。

若い頃、福島から出てきて何十年。
田舎に住んでいた時とは違い、こちらでお寺様にという考えが及ばなかったのでは。
この辺りは、多数の霊園があるので、何の気なしに霊園にて建てたのでは。
と、思います。

弟は、どこまでの思いがあるかはわかりませんが。
私達夫婦、子供達は粗末にする/お墓もあるからちょうどいい/取り敢えず入れときゃいい、等の考えはないつもりで居ます。

新たにお寺様にお願いさせていただく財力が私達夫婦にはないので、その時期が来ましたら生前墓に納めさせていただき手を合わせていきたいと思います。

お坊様方にとっては、大変失礼にあたる相談内容だったのかと思っています。

お忙しい中、大変申し訳ございませんでした。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ