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自意識過剰なおしたい

回答数回答 3
有り難し有り難し 37

自分の自意識過剰さに悩んでいます。

最近、部活のチームメートからなんだかそっけないというか避けられているような気がしています。
完全に避けられているわけではないのですが、前より
あきらかに目をあわせてくれなくなったんじゃないか?っていうレベルです。

なんかしたかな?と思って
最近の自分の言動を思い返してみても、避けられる原因が特に見当たりません。

一度避けられていると思い込みはじめたら、その子の私への態度がいちいち気に障ってしまい頭の中がそのことだけしか考えられなくなりました。

そんなことはないはずだと自分には言い聞かせているものの、
やっぱり気になってしまいます。

こんなくだらないことでいちいち悩んでしまう自分の自意識過剰さがとても嫌です。
こういうことを考えずに生きるにはどうしたらいいですか?
教えてください。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自意識過剰の本質 キャラメルは口にするまでキャラ

自意識過剰の本質は、自分の脳内ストーリーの一人歩きです。
現実と脳内想定が混同されちゃってるだけなのです。
それはホントに自意識過剰でしょうか。本当のところはどうでしょうか。
私の結論は自意識過剰なんて、無い、です。
もう少し包みを開けてみてください。
それがキャラメルであるとするならまだビニールをとった段階。
箱も開けてみましょう。
いくつキャラメルが入っているでしょう。
実物を見るまではあなたの「ストーリー」なのです。
「あの子、きっと私の事こう思っているに違いない。」
「私、あの子からきっと嫌われているのかもしれない。」
と、思い込んでおられても、
バッサリ言えば、自分を守る意識が強く働いて勝手にありもしないことを思い込んでいるだけなのです。
キャラメルの包みもとってみましょう。
ツナピコじゃん。なんてこともあります。
真実は情報でも脳内想定情報でもない。
人間は自分が失われるのが怖くて、必死に自分を守ろうと妄想が働く。
でも、それはあなたの脳内ストーリー。ディズニー映画のような仮想世界。
仮想現実も脳内想定現実も絶対に現実ではありません。
ちゃんとその人と出会っている時の今の真実だけが本物で、キャラメルも口にするまではキャラです。
ココを見極めるのが大切です。
「あ、私は脳内ストーリーに勝手に現実のシナリオを書き換えられてた」と気づいてください。真実の友達も悪キャラ化され濁ってしまう事があるのです。
「あの子、きっと、違いない…」
キャラメルがいくつ入っているか。どんな味か。
イメージが確実なものにみえても味がするまでそれは幻。
仮に思った事が真実であっても自分のストーリーが壊れただけの事。
それは同時に別の真実が手に入ったという事。
年頃になると、自分の接する世界に意味を添えていってしまうものです。
一本でも人参~ ぷぷぷp
本当はそこにはそんな意味も、色もついていないのに、脚本家、編集者、監督、視聴者、主演女優のすべてをやっているのが人間サマです。
現実の世界が脚色されて不安に感じられてしまうのです。
でも本当の姿を見極めることで、自意識過剰も、過剰な反応も、思い込みも一瞬にしてなくなります。自分がそうに違いないと思う前の「それ」が何だかわかるまで、ちゃんとよくみてみましょう。
DIS‐COVER 発見はカバーをDISする、取り除くのです。思いの覆いを。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

自分が思うほど他人はあなたを見ていない

あなたは、他人から自分がどう見られているのかという事が気になっているのだと思います。他人の目を気にするというのは、逆に言えば自分をよく見せたいという気持ちがあるからだと思います。この気持ちが行き過ぎると、自分の価値観ではなく他人の価値観を大事にするようになり、自分の意見が無くなってしまいます。
これを避けるには、まず自分はどうしたいのかということを考えて下さい。他人の目を気にするのではなく、自分の心はどうなのかということを尋ねて下さい。そして完璧な人間などどこにもいない、誰にも欠点があるということを思い出して下さい。誰にも得意な分野と苦手な分野があります。得意な分野については、他人の欠点もよくわかりますが、苦手な分野は自信がなく適当に済ませてしまいます。苦手な分野にまで手を伸ばして、無理に得意になろうとする必要はないのです。
そして自分が思うほど他人はあなたを見ていないという事に気付いて下さい。みんな自分の事や好きな人のことで手一杯なのです。そうであることが分かると、他人の目が気にならなくなります。時間があるときは、自分の好きなことに集中したり、将来の目標に向かって全力投球して下さい。遠くからですが、あなたを応援します。

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鳥取市にある浄土真宗のお寺の住職です。36年間のサラリーマン生活を経て2008年より専従住職をしています。金融・保険、ホテル、冠婚葬祭互助会などの勤務経験があります。営業、広告宣伝、総務、経理、ITなどの職種を経験しています。今年73歳になる年男ですが、比較的若い回答僧侶が多い中、老僧としてhasunohaにかかわりたいと思っています。
基本的に午前中はお受け出来ません。午後2時から午後8時に対応させていただきます。お寺ですので、急な法務が入りお約束の時間を変更させていただく場合がありますことをご了解下さい。

観察しましょう

拝読させて頂きました。
おそらくそういうことはみんなあることでしょうね。

世界は自分を中心に回ってはいません、まして世界中の人々が自分を見ているわけではありません。
自分は世界や自然や宇宙のほんの一部でしかありません。

本当にチリのようなものです。

そう考えたらばいかに自分が自意識過剰なのかわかります。

自分にとっては自分が中心です。
がしかし周りはみんなそうかもしれませんからカン違いもママありますからね。

仮に自分が中心と思うならば仮想です、幻想です。

極論ですが、気にしないことです。

逆にそうであるならばじっくりと周りの方々に観察して参考にしてくださいね。

きっとこれからのあなたの人生に沢山役立つことでしょうからね。

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おきもち

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脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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