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お釈迦様って実在したの?について

回答数回答 3
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お釈迦様って本当にいたんですか。という問いについて、お坊さんはどうお答えしますか。

自己完結している問題なため、わざわざ投稿すると同調を求めているみたいでいやらしい……と思い控え、しかしやはりお坊さんのお考えが気になる……とうろうろしているうちにこんな時間に。
短く内容をまとめるのが苦手なため、事の発端から書かせて頂きます。

私は友人から相談をされると、自分の意見を伝えながら過去にとても納得した誰かの意見を交えて返答することがあります。
「いい考えだね」と言われたりすると、正直に「これはお釈迦様の言葉だよ」と伝えるわけです。
すると、「でもお釈迦様って本当にいた人?」と聞かれることがあります。
実在したかどうかもわからない人の言葉など信用ならないのだと。

私はその言葉にとても疑問を感じるのです。
自分がいい考えだと思ったのなら、お釈迦様がいるいないって関係なくない?と。
そんなことはいいから事実を答えろと言われても困ります。
だって大昔の人の存在をどうやって確認するんでしょう。
お釈迦様はいつでもあなたの心の中に……と哲学的な意味で考えたら、あなたも私も会ったことがあるでしょう。

キリストでは「本当に血を飲めば病気が治るの?」と言われたことがあります。
実は、私はキリストの血を飲んだことがないので、病気が治るかわかりません。
今度飲んだら教えます。

誰の言葉か、誰の作品か、それが説得力という重要な要素であることはわかります。
私もモップはダイソンのものを買います。
しかしその言葉が自分にとって解決策となるなら出所は関係ないと思うのです。
私はお釈迦様関連、哲学、聖書などの本を持っていますが、彼らの生い立ちなど知りません。
数分前までマリアの夫をヨハネという名前だと思っていました。本当の名前はヨ……忘れました。ヨハネでなかったことは確かです。
生い立ちを知らないと言いましたが、お釈迦様の映画は見たことがあります。お釈迦様が生まれた時、木々は喜び、草花は歌っていました。
私にとってマリアの夫の名前がヨ……であったか、お釈迦様が生まれた時本当に草木が歌っていたかなど何でもいいことです。
彼らの残した言葉には力があり、私を救うことには変わりありません。

お坊さんは「お釈迦様っていたの?」に、どうお答えになるのでしょうか。普通にいるよってお答えしますか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

質問を受けるのは勉強するチャンス

お釈迦さまの実在は考古学的に裏付けが取れています。ネパールのルンビニーという場所でアショーカ王が立てた「ここがブッダが誕生した聖地だ。ここでは税を免除してやるぞ!」という石碑が出土しています。だから科学的に確定しています。

お釈迦さまの見た目がエライことになっているのは、文字ではなくレリーフで伝記を広めたからです。こういうの↓
http://officemaki.exblog.jp/20314936/

文字を使うなら頭の近くにブッダって書けばオッケーなのですが、完全に図形だけで表現するならシルエットだけで分かる特徴が必要です。マンガの主人公と同じでキャラが立ってないと伝わらないわけです。
特に持ち運び布教用のレリーフは、小さい石板にたくさんのコマ割りをしないと一生がおさまりません。じゃないと重くて運べませんからね。すると小さい人を彫らないといけません。石を細かく掘ると強度が足りなくなります。だから細かい特徴はダメです。大雑把な特徴が必要です。

さらに、あの辺の地域には仏教以前にも大きな宗教がありました。そっちのレリーフで聖人を描く時はこう描け!みたいなセオリーがあったようです。それがなかなかブッ飛んでたわけですね。なんせインド文化圏はこんな神々を生み出したセンスです(笑
http://www.k5.dion.ne.jp/~dakini/tenjiku/zukan/ganesa.html

さらに指の間に水かきがあるようなのは、細い指の強度を保つため浅く彫ったという事情もあるでしょう。

そんな諸々の事情や背景があり、伝来したレリーフや仏像を『中国で』研究・整理しました。輸入品の真贋を見極めるための特徴、そして中国で新しく作る上で押さえるべき特徴、それらを列挙したわけですね。

ただ、お釈迦さまを釈迦牟尼仏という人間として伝える場合と、釈迦如来という宇宙を比喩的に表現した象徴として描く場合とあります。するとお経に「長い舌で三千大千世界を覆う」と書いてあるのが単純な顔の特徴ではなくなり、さらに「顔を舐めまわす」の顔って何を象徴しているのかな?という話になってきます。なかなか奥が深いんですよねー。

本家本元の思想哲学も素晴らしいですが、こういったサイドストーリーも面白いんです。さぁ、勉強しましょ。学校の勉強は世界中の面白いことを識るための準備なのですから。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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おはようございます。

 お釈迦さま(ゴータマ・シッダールタ)は歴史上の実在の人物です。世界史の教科書にも出てきます。確かに大昔の人なので本当にいたかどうか今さら確認はできませんね。でもそれは「徳川家康は本当に実在したのか」という疑問に等しいと思います。伝記についても残っています。歴史的な伝記と宗教的な伝記があり、宗教的な方は確かに脚色がありますが、これも「なぜこのような脚色がなされたか」の意味がきちんとあります。

 「お釈迦さまの言葉」についてですが、「お釈迦さまの言葉だと思ったらそうではなかった」という事があります。ご自分の心にしまったり、他人に話す時はきちんと調べておく必要があります。※お釈迦さまの話ではない話がお釈迦さまの話としてネットに上がっている例がありました。ネットもその出所に注意です。
 お釈迦さまの言葉かどうか確認するには、中村元の「ブッダの真理のことば 感興のことば」(岩波文庫)という本がオススメです。(確認のためではなく、素直に読むのがいいですね(笑))

 「キリストの血」とはワインの事でしょうか?未成年者の飲酒は法律で禁止されています。また「ホンモノのキリストの血を飲ませてあげる」と言っている人がいたとしたら、だまされています。気をつけましょう。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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「釈尊は今でもおられます」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「釈尊は今でもおられます」

と唐突に述べますと、「そんなバカな」となりますが、仏陀・如来の御身体には、代表的に三つありまして、一つは、真理そのものである仏法としての御身体としての「法身」。二つ目は、仏法のはたらきとしての御身体としての「報身」。そして、三つ目は、我々凡夫においても知覚認識できるお姿としての「応身」とございます。

その中で、史実上のご存在とは、「応身」として我々にご教化頂きましたお釈迦様のことを申すことになります。

簡単には、有り難くにも私たちと同様の肉体を持たれて、私たちが直接に教えを頂くことができるお姿に変化されて現れ出でられておられたということになります。

実は、「応身」以外の二身であれば、私たち凡夫が直接に知覚認識できるお姿ではないため、教えを頂くことができないのであります。

現在、この世界(一つの三千大千世界・十万億土・仏国土)では、残念ながら釈尊が入滅なさられて以降、仏陀・如来の「応身」の存在はいらっしゃいませんが、ではその応身の釈尊はどこへ行かれたのかと申せば、肉体が滅んだ段階で、その「応身」は無くなってしまわれたと考えてよいものであるかと存じます。

だからと言って、法身と報身までもが無くなってしまったわけではなく、更に、別の三千大千世界・十万億土・仏国土にて、応身として現れ出でられて教化をなさられておられることも十分に考えられるものとなります。

まあ、応身としては、この世界ではいなくなられてしまわれているものの、法身と報身は、住されたままにして存在なされているということであります。

そういう意味では、釈尊の法身と報身はこの世界にもまだいらっしゃられる、というか、分かりやすく申せば、電波が届いてあるという感じでございますかね。私たち凡夫では、その電波は受信できないのですが。。

とにかく、「応身」としての釈尊はおられなくなりましたが、まだこの世界でには、「応身」の釈尊がお説きになられました尊い仏法が残されてございます。釈尊が最期にご遺言なさられましたように、「自灯明 法灯明」として、それぞれ自分自身を拠りどころとして、仏法を拠りどころとして、しっかりと仏道修行に励んで参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

光禪 様
ご回答ありがとうございます!
お釈迦様、教科書にのっていらっしゃるんですか……歴史の授業はやすらかに全寝をいたしておりましたので知りませんでした。くっそー!
しっかり実在の証拠(?)が残っている人なんですね。勉強不足です。伝えられているお言葉が素晴らしいので、もう聖徳太子みたいな創作・架空の人物でもいいや。と思っていました。聖徳太子が架空の人物なのが本当かはわかりませんが。
話が装飾されているには訳がある……そうだったんですね。弟子が尊敬しすぎて話を盛りに持ったのだと思っていました。なぜ草木が歌うことになったのか、とても知りたいです。特に、「賢者は舌が長くて……」とどこかの誰かが話していると、仏陀が舌をべろんと出して顔中舐め回す話は衝撃的でした。あれも訳が知りたい。
ご紹介頂いた本は持っていませんが、中村元さんのブッタのことばを読んでいて、友人に伝えるのはこの本から得た情報のみです。ご安心下さい!
おすすめして頂いた本、さっそくアマゾンのカートにつっこみます。
キリストの血は成人してから飲めということですね(そうじゃない)
光禪さまのお教え、ありがたくパクらせて頂きます。そして、今日さっそくドヤ顔で友人に話します。
ありがとうございました!

大慈 様
ご回答ありがとうございます!
出生場所に石碑まで立っているんですね……
瞑想していた場所?というか悟りを開いた場所はテレビで紹介されていたんですが出生場所の石碑は知りませんでした。
レリーフで貼っていただいたリンク先の大仏とっても気になります(>_<)めっちゃリラックスしてる(>_<)昔に作られたはずなのに結構完成度高いんですね。しかし石板にことこまかに文字を書くというのは確かに至難の技です……。
聖人をかくセオリー、なるほど!!やっぱり人に知ってもらい興味をもってもらうには勢いのある、目覚めるようなエピソードが必要だったんでしょうか。それにしてもパンチきかせすぎでしょう。ガネーシャさんのお話、これに痺れる憧れる~~となる人がいるんでしょうか。少なくとも私はそうなりませんが、読んでいると次々と他のエピソードも読んでしまいます。うーんやっぱりこのエピソードたちにパワーがあるということだろうか。これがただの「いい人」エピソードだとひとつ読んでお腹一杯なんですけれど、ガネーシャさんのドタバタコメディは読んでしまう~。
お釈迦様の見た目の特徴はそんな風に色々なわけが積み重なって言い伝えられた結果なのですね……。
顔舐めまわしてました……舌ではなほじってました。うーん、どんな意味が込められているんだろう。まとはずれになるかもしれないけれど、自分で考えてみます。
大慈様、とても面白いエピソードやお話を教えてくださりありがとうございました!

川口 英俊 様
「釈尊は今でもおられます」思わぬ所からの切り口、ありがとうございます。仏法と共に生きていらっしゃるお坊さんの多くが、お釈迦様を感じたことがあるのかもしれませんね……。
ちょっとお話がずれてしまいますが、お釈迦様の応身というのは私たちと同じもので、仏法(真理)としての「法身」、仏法のはたらきとしての「報身」はやはりお釈迦様だけのもの、ということでよろしいでしょうか。
私たちが感じられないだけでお釈迦様が法身、報身としてこの瞬間にもいらっしゃるなら、普通の人間もまた法身、報身とは違った形で残る(幽霊になることではなく)のでしょうか?
川口様がして下さったお話、とても素敵に思いました。そしてとても神秘的に思いました。
私たちが存在し続けるとしたら、とても不思議で面白いですね。

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