私が今取り組んでる仏教修行はハードル高い
三年くらい前に仏教に出会ってから、その考え方に感動し自分なりにかなり努力してきたと思います。
(とは言え日常生活に取り入れるくらいですから、お坊さんに対しこの程度を「仏教修行」と言うにはおこがましいかもしれません。)
他者は己をうつす鏡と言うのは本当で、誰かに対し怒りや悪感情を覚えたならそれはその人ではなく、自分の内面の未熟な箇所が露になっているのだということを、仏教はわたしに教えてくれました。
そんな考え方を持ってから、自然と友達が多くなったと思います。
同時にちょっと辛いことも多くなりました。
頼られすぎていると言えばいいんでしょうか。
相談を長く受けているうちに、相手が多分甘えているのだと思いますが、攻撃的になる人も中にはいます。
相談をしながら何だかこちらに向けて嫌みをおりまぜてくるというか。
社会的に見ると身勝手、というような行為を受けることもあります。
「辛いことがあったから家に来て聞いてほしい」と言われ一時間半かけて向かったら、「彼氏が家に来ることになったからやっぱり帰って」と帰されたりとか、そういうことがままあります。
内心ぎょっとしますが、それすら優しく迎えられるような人間になりたいと思っていたので「そっか、じゃあ彼氏とゆっくりね!後日のろけを聞かせてもらうんだからな☆」と笑って終えます。表面だけではなくて、優しい感情を持ってそう言います。
私には二つ障害がありまして、また診断を下すほどではないけどかなりその傾向があるよ、とお医者さんに言われている障害がもう一つあります。
友人には特に隠しているわけではありませんが話していないので、友人が嫌味をわたしに言うときに障害の症状にあたる面をなじられたりすると、結構こたえます。これは私自身が私の欠点に感じているからでもありますが、やはりきついものはきつくて、一時期ある友人とは距離をおいたことがありました。
するとその友人の母らしき人が電話をかけてきて、「あの子の支えはあなただけなので支えてあげてほしい」みたいなことを言われました。
もうなんか全部きっついな。自分でもサイズの合わないタイトなジーンズにねじ込んでるな、と思います。
こころざしのレベルを少し落とした方がいいのでしょうか。
障害のこともあり頑張ってきましたが、今までの努力が間違っていたとしたらなかなか悲しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの努力は間違っていません
あなたの努力は間違っていません。
読んでいて心から感服しました。
素晴らしい志だと思いましたし、利他行を実践されていると思いました。
人は、与えられるばかりだと依存し始めます。
与え合う関係でなく、一方的な「依存」は、一種の利用ですから、
与える一方の側(あなた)はしんどくなります。
また人は、与えられるばかりだと、
やがて攻撃的になる、ということは社会学で言われています。
あなたが攻撃を受けるのは、そのような心理構造からではないか、と思います。
あるいは相手の方の、両親に対する無意識的な怒りの投影を受けている場合もあります。
対等な人間関係を持つにはのエネルギーバランスが重要です。
しかし、利他に徹する人は少ない。
このため、あなたが、ご自分と同じような利他的な人に出会うまでは、大変かも知れません。
あなたのされていることはカウンセリング的なことですから、臨床心理の本などを学ばれると、良いと思います。またそのような勉強会に行かれたら、あなたのような「聞き役」に徹する方に会えるかも知れません。
せっかくの志を下げず、ぜひ生かしてくださいね。
あなたに素晴らしい出会いがありますように!
<追記>
すでに回答を読まれているので、あなたが読まれるかは不明ですが、一応追記しておきます。^ ^
実を言うと、ただ一方的に与えることが利他ではないのです。
なぜなら、「人間は、利他する人になることでしか幸せにはなれない」からです。
真の利他とは、利他する人を育てることに他ならないのです。
また、そこまで考えた上で「利他」でしないと、ボランティア活動する人にありがちな、いわゆる燃え尽き症候群になってしまい、あなたの悩みはそこにあるのではないか、と思った次第です。
「一方的に利他するだけでは、あなたがしんどくなる」と書いたのは、まだ利他の本質に気がついていないのでは? と思ったからなんです。
最後に手前味噌で恐縮ですが、拙著「気の幸福力」(法蔵館)には、カウンセリング的なこと利他についてなどを記述しています。また和田寺タオサンガ道場ではそのようなワークショップもやっています。万が一興味があれば、タオサンガで検索してみてください。
まずは自分自身の修行です
友達の相談はならないほうがいいかもしれませんね^ ^
あなた自身がまだ救われきってないのに、人の話を聞いていたら辛くなるのは当たり前です。あなた自身に無理、我慢があるのですから、演じなければならないですからね〜。
仏教とはとことん分別をしないことです。無分別でいることです。あなたの中でどこか嫌だなとか、キツイなと感じている部分があり、そこを握りしめているのなら、しばらく友達の相談は聞かないほうがいいですね。
まずは自分自身の修行でしょ^ ^
質問者からのお礼
邦元 様
ご回答ありがとうございます。
実は今日、ずっと距離をおいていた友人と久しぶりに会うことになり、会ってきました。
正直、会う前には憂鬱な面はありました。
が、今日会ってみたところ、友人は特に変化はありませんでしたが、とても楽?というか、しんどくなるようなことはありませんでした。
会わないでいた3ヶ月、自分のなにが未熟なのか、なにが足りなくてしんどくなるのか、ずっと考えていましたが、答えが出ないままで会うことになったので不安でした。しかし今日会ってみてわかったのは、私にはとにかく休息が足りなかったのだということです。私は疲労していたようです。
ただ、本当に辛くない、友人に会うダメージがゼロならば疲労なんてしないし休息なんていらないはずですから、やはり邦元様のおっしゃるように誰かの負担をするには私はまだまだ未熟だったのかもしれません。また、友人の相談内容が、自分とは立場が違いすぎたり価値観のズレが起きたりしていると、友人にとって参考になるような返答がまともにできないため、他者へアドバイスを送るには私の考えの浅さが問題になっていることも今回友人ち会ったことで理解しました。
当然、自分の悩み(友人のこと)も解決できていないのだから、人様の悩みの解決の助力なんてとんでもないことだったのかもしれません。このあたりの発見、普通もっと早くわかっていてもいいのにわからなかったのは、やはり余裕のなさが原因でした。
しかし、解決できようとできまいと、聞いてもらうだけで荷が軽くなる、ということはあると思います。私も邦元様にこの質問を見ていただいたということだけでも、とても気持ちの傷が癒えました。
なので自分の余裕の保てる範囲で、友人と会う、そうしながら思慮を深める、そして修行(自己の成長)につとめる、このようにしてゆこうと思います。
長くなってしまい申し訳ありません。自分自身の修行、がんばります。
ご回答ありがとうございました!
遠藤喨及 様
たくさんのお優しいお言葉、ありがとうございます。うまくは言えませんが、暗く湿っていた心が溶けるような心地になりました。
依存、とても見に覚えのある言葉です。攻撃的な面を見せることのある友人の数人は、私は最初「ちょっと嫌われているから攻撃的な対応をされるのかな。」と思っていたけれど、私が友人と会ったとき「あなたと会う前、○○ちゃんと会ってたんだけど……」と他の子の話をしたりすると、その夜Twitterなどで「本当はあの子と遊びたかったんでしょ」「そうやって離れていくんでしょ」と、不安がっていることが多かったです。(この現象が起きたのは一人だけではない)
遠藤様のおっしゃる通り、依存されていると思います。
「与え合う関係でなく、一方的な「依存」は、一種の利用ですから、
与える一方の側(あなた)はしんどくなります。 」
私の状況にとても当てはまっていると思います。しかし、遠藤様も、hasunohaのお坊さんたちもそうであるように、与える行為を進んでされていらっしゃる、(恐らくですが)それを苦としていない・しんどくならない方もいらっしゃる。
それは利他に生きることができ、通常は他者の利益であって自分の利益にはならない、与えるだけの行為から、何かをえることができるからだ、と私は思っています。例えば、質問者の問題解決に向けて本心から取り組むことができ、問題解決の助力となることに、喜びをえることができる、など。(私は回答者でありながら読者でもある、私も回答しながら学ばせて頂いている、とおっしゃっているお坊さん方がこちらにいらっしゃいました。)
そのすばらしい精神に私もなりたいのです。私は傷害の影響で人よりストレス耐性が極端に弱い(心が弱い)ので、やはり、私が皆さんのようになるには無理のあることなのでしょうか。
与えられ続けると攻撃的になる、これはもう誰が悪いとかではなく、そういう現象なんですね。
たしかに、両親含め周囲の友達、先生など、色々な方面に強い恨みを持っている感じがあります。
カウンセリング、言われてみるとたしかにそんなふしがありました。臨床心理の本、さっそく検索をかけてみます。そのようなものに勉強会があることは全く知りませんでしたが、お坊さんがお話をする会?(テレビで瀬戸内寂聴さんがされていました)は一度行ってみたいと思っています。
お友だちにできる限り協力しながら、自分の修行に励んで行きたいです。
ご回答ありがとうございました!
遠藤喨及 様
追記まで下さり、本当にありがとうございます。
「人間は、利他する人になることでしか幸せにはなれない」仏教の本を読んでいるとき、このようなことを差す文に数度出会いましたが、やはりこれが本当に難しいですね。私が利他についてまだわかっていないことも原因だと思いますが、実践するには本当に困難です。
ただ、遠藤様のご回答を読みながら利他について調べていると、ただただ相手に尽くすだけのことが利他ではない、ということはよくわかりました。また、自身の成長を導くものであることも。
ああ~~!お教え頂いた本、アマゾンにありました!良かったです。ありがとうございます!教えて頂いたようにワークショップをされている上に、他にもたくさん本を書かれているんですね。じっくり読ませて頂きます。遠藤さまの教えをしっかり吸収したいです。
余談ではありますが、ご回答をされたお坊さんが回答を編集する(追記を足すなど)すると、質問者に「回答の編集が行われました」と通知のメールが来るので、お礼の返信をして頂くと、質問者が必ず気づけるようになっています。