生きていていいのでしょうか
私は2ヶ月ほど付き合っていた彼に
DVを受けていました。
殴られるたびに過呼吸になり多くて1日4回も
なることがありました。
そしてやっと別れられたとき妊娠している事が
分かりました。
私は産みたいと母に伝えました。
ですが母は泣きながら反対しました。
結局 私は中絶することになりました。
1週間ほどして病院へ行きエコーを見せてもらった
のですが涙が止まりませんでした。
実際に目で見て改めてこの子は今必死に生きてる
と痛感したからです。
そして看護師さんによると手術中も麻酔で
眠っている私は泣いていたそうです。
手術後も麻酔が切れた瞬間に涙が止まらず
過呼吸になり精神安定剤を打たれました。
その後も自分は人殺しなんだ
生きてちゃいけないんだ
早くあの子の所へ行って謝らなくてはと思うように
なりました。
頑張ること前向きになることでさえ
申し訳ないのではないかと。
私は生きていていいのでしょうか?
赤ちゃんの気持ちが聞きたいです。
私はどうしたらいいのでしょうか。
彼からのDVでその時と似た状況に遭遇すると
今でも過呼吸になります。
両親も不仲で家の空気はいつも最悪。
居場所なんてありません。
中絶やDVとなると友達に話せるような内容
ではないですし両親に相談できる環境でも
ないのでいつもひとりで泣くことしかできません。
くっきり残っているリストカットの跡を
見るたびにあの時 死ねてたらなんて思います。
どうしたらいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「殺した」という言葉に深い意味を持ちすぎて殺されてはいけない
人間は男性ならば放っておいても体の中に存在している精子たちを知らずのうちに死滅させています。
女性にも卵子の排卵等で同様の事が言えると思います。
それにだって命はある訳です。
それは生理的な現象です。
わたくしがありませんから、自然に排出されてゆくものです。
命の授かりも、わたくしがありません。
授かれるという事は、無私の命の営みです。
もちろんそこに個人的感情があなたのように注がれることが深まれば深まる程、命への情愛が深まり、悲しくなったり、罪深さを感じるものです。
人は「殺す」という言葉に、陥ることがあります。
お米を食べる事、草を引き抜くこと、蚊をしとめる事。
これだって、悪しざまに言えば「殺す」事でしょう。
言葉を捨てて、事実を振りかえってみてください。
残酷なようでも、命の営みが、なるべくしてなるべく様な形になっていったのであります。
命を授かっても不幸になる人がいる。
命を授かれなくても不幸になる人がいる。
命を授かれても幸福になれる生き方がある。
命を授かれなくても幸福になれる生き方がある。
あなたは、今、物事や、自分のしたことを、責めたり、追認したり、悪しざまな、悪く言う思いを吹き付けているのです。
中絶は日本で一番多い死亡例でもあります。
それでも前を向いて生きている女性たちは沢山います。
命の重みは十分に受け止められました。
今日一日手を合わせて、新たな気持ちで生きていってください。
どうしても拭い去れなければ、地蔵様の縁日に水子供養をされるなどして、共に生きる道を選択してください。
人間は無私なる存在、すべての命は無私なる存在なのです。
そこにあまりにもわたくし的な意識を注ぎ過ぎることで、それがかえって苦しみの種となる場合があります。
あなたのお子さんでありながらも、無私なる命として、見送って供養してあげてください。
※これは質問者さま限定の救いの為のメッセージであり、他の方には適切な内容ではない場合がありますので、ご了承を願いたいと思います。
私たちは生かされてます
思いを過去にとどめず、生きてください。過去に辛い経験がありました。中絶したことも事実です。しかし、あなたの思いとは関係なく、あなたも含め、身の回りのものは善悪無く、存在しています。それでいいのです。
ご自分を責めないでください。精神的に不安定な時期もあると思いますが、そこから抜け出し、幸せな未来を築くこともできるはずです。
すべてのことに善悪をつけず、生活してください。何かしようとしなくてもいのです。そのままの自分に気づいてください。
安心して生活できる存在であるのとに気づけます。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
私達の日常の生活の中には
たくさんの命があるということ。
もっと感謝して生きていこうと思いました。
そして私に大切なことをたくさん
教えてくれた赤ちゃんにも謝罪するだけでなく
感謝もしなくてはと思いました。
ありがとうございます。