悪口を言ってしまう自分が嫌です
昔からお喋りが大好きで、人と話していて誰かの悪口になると自分も言ってしまう事があります。
先日も同僚が上司と仕事の話で話し込んでいて、たまたまその話の前に私と上司が話してるのを同僚が見ていて。納得いかなかったようで。
「さっきなんて二人で話していたの?」と聞かれ、私は上司と話していた話をしました。
その話を聞いて同僚は、
「だから、私にそういう風な言い方をしたんだ」
と、私が話さなければ知らなくても良かった情報を与えてしまいました。そのせいで同僚も嫌な思いをしたと思います。
そして、いつもその後は思い切り落ち込みます。
自己嫌悪に陥るとともに、この話が本人に伝わってしまったらどうしようと不安になる事もあります。
余計な話や人の悪口を言わない、そんな人になりたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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悪口は嫌ですよねー。
悪口とは、自分勝手な価値観から出てくることが多いですよね。自分の考えに合うかどうかで、人を判断しているわけです。
それは良い気分になるわけないです。
その人が悪いのではない、その行為、言動があなたにとって不都合なだけです。ですから、それをそのままに受け入れ、評価しないことです。
評価をするくせに気づき、評価以前の様子、にいることが救いの道です。
しかし、言ってしまった後に後悔するのもさらに嫌なものです。言った言葉はすでに跡形もなく消えています。残り物ゼロ安心してください。ですからもうあきらめるのです。^^
言ったことで何か周りの環境が変わることもあるかもしれませんが、ほとんどないでしょう。大丈夫です、これから言わなきゃいいのです。言っても後悔しなくていいですよ。仏様は赦しっぱなしですよ。
私も身に染みる話しです
ねこむらさんこんばんは、私も身に染みる話しです。人との会話の中である方の悪口を言う気はなくても相手の話に引きずられてつい言ってしまったり、悪く言う気はなくても結果的には悪口を言ったようにとられたりと注意していても言葉を選んでもなかなかうまく伝わらないことありますよね。またそんなつもりで話したわけではないけれどその話が別の誰かを傷つけることになることありますよね。私も気をつけていてもそうなることがあります、今でも。でもだからといって何も言わないのも自分が誤解されるし、真意も伝わらないですよね。黙っていることにより、別の誰かを傷つけることもありますよね、本当に人に伝えること、コミュニケーションをとることは難しいです。それでも話さなければ伝わらないから人は話しをします。そして誤解を招いたことを自分で気がついたときは真意が伝わってないなら説明します、何度でも諦めずに。悪口になってしまったり、そのことで誰かを傷つけたなら謝罪します。それしかないでしょう。一番悪いのはそのことに自分が気づいたときにごまかしたり、そのまま黙りこんで逃げ出すことではないでしょうか。そして逆に自分の悪口が聞こえたとき、間違った情報で傷ついた時はもちろん怒りが心に涌くのはしかたない自然なことですが、もしかしたら自分と同じようにその人が誤解させるいい方をしてしまったのかも知れないなと少し思って頂けたらと思うものです。あなたが自分を嫌になるより、そういう風に考えてみてくださいませんか。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
心の支えが取れました。