周りを羨ましく思います
会社に入ってから周りの方に彼氏はできないのかとか、どんな男性が好みなのかなど良く言われます。
結婚願望も交際したい気持ちもないわけではありませんが、人と付き合っても共有できない部分(哲学的に考えてしまう、自己批判がある、おどけられない、など)が多くあるように感じ、そうしたい意欲があまり湧いてはきません。
またそうした人間がいると思わない口振りに少なからず怒りを感じます。
交際の話やどこに行った、何を買ったなど自分のことを話せる人を少し羨ましく思いますし、そうじゃない自分が惨めに思います。
人生に目的もありません。自由に生き、綺麗な景色だけ見たい。夢の中(作り話)の中に生きたいなどとも感じます。
なのでしっかり現実に生きる方が本当に羨ましいです。
どうしたらこういった自分と折り合いをつけ、しっかりと自分の人生を歩いていけると思いますか?
支離滅裂で申し訳ありません。
アドバイス、よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生まれた時から自由な存在
人前で自分にブレーキをかけるようなことがあるのではないですか?人は生まれながらに自由な存在です。何をしても良いわけです。
頭に浮かんだことを口にしてコミュニケーションをとるのです。
ほとんど頭は使いません。考えていたらかいわなんてできないですから。
「きのうこんなことがあってね、、、」みたいなことをお話しするのでしょう。
話したいとも思わないならそれもいいし、お付き合いすることに興味ないならそれも周りに言わせておけばいい話です。
つまりあんまり考えすぎて、自分というキャラを作らないこと。そのまんま自由な存在のままがいちばんいいのです。
現実の人生設計を。思考の堂々巡りより情報入手を。
現実的に目の前にやらなきゃならないことが見えてくれば良いのかもしれませんね。
昔だったら年金も介護保険もありませんでしたから、結婚して子供を産まなければ、老後は孤独死しかありませんでした。
しかし、現代の日本なら、孤独な老人でも生きていけます。
まずは、どのような老後、どのような40代、どのような30代を送りたいのか、あるいは送ることになりそうか、考えてみてください。
そして、例えば何歳で結婚したいか、何歳で子供を産みたいか考えてみてください。
特に出産については、後で「子供が欲しかった」と後悔しても年齢的に難しい場合がありますしね。
そうしてタイムリミットが見えると、それから逆算して今何をすべきか、あるいはまだやらなくてよいとか、見えてくるでしょう。
昔の人は、結婚しないと住むところもないとか切実だったから、迷う余裕はなかったのかも。
現代は生活が恵まれていて色んな人生を選べるからこそ、迷ったり、他人の人生と比べたりできるのでしょう。
仏教では、他人と自分を比較して評価したがるプライドの煩悩は、悩み苦しみの原因だと考えます。
他人と比べても苦しむだけ。
現実的に、今年、今月、今週に、やるべきことをやればよいのです。
どうせ人間、できることしかできないんだから、できることをできる範囲で。
一歩進めば景色は変わります。
頭の中で思考が堂々巡りになるときは、行動して新しい情報を入手し、脳内データを更新しましょう。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
頭ではわかっているのですが、いざそう言われてしまうと、そうは思わない自分が可笑しいのだと考えてしまって苦しくなります。
あまり周りの目を気にせず、思ったことを口にするように頑張ります。