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「感情を感じること」と「物事を評価しないこと」

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以前にも質問にお答え頂き、その節はありがとうございました。
hasunohaで日々仏教の教えを学ぶ中で、どう考えて良いものかわからない点がありますので、質問させてください。

私は今、うつ症状等ため精神科に通院しています。
その治療の一環として、カウンセリングも受けています。
その中で、臨床心理士より「感情を抑制していることが無気力や不安感に繋がっている」とのことを言われました。
感情を感じて表に現すことが、治療方法のひとつであると言われました。

私は確かに、自己犠牲的な考えや自分に自信がない部分があり、素直に自分の感情を出せるようになれたらいいなと思いました。
と同時に、仏教では、物事を評価しないでありのままを見ることが大事だと学び、それも確かにそうだなと思いました。

私にはどちらの考え方もとても納得のいくものなのですが、
自分の感情を感じることと、物事を評価しないことは両立し得るのでしょうか。

例えば、私が今寂しいと感じることは、評価していることになるのでしょうか。
仏教の教えでは、寂しいと感じてはいけないのでしょうか。

どのように考え、どう自分の心を扱えば良いのか、お教え頂ければ有難く存じます。

2015年9月11日 22:39

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自身に気づくこと

たいへん興味深いご質問を頂いたと思い、有り難く感じています。
自分の感情を感じる(抑圧しない)ということですが、仏教では、基本的にそれを勧めていると思います。
つまり、例えば「ああ、私は彼女が近くにいないと寂しいと感じるんだなぁ」ということが、「ありのままの自分を認める」ということでしょう。もちろん、「現実に起きていることは何か」と問えば、「彼女がいないこと」であります。そこから例えば「彼女は私を憎んでいるんだ、嫌いなんだ」と理屈付けをすれば、それは「彼女を評価した」ことになります。これは仏教では「勝手なストーリーを付けなさんな」と戒められます。

一方、自分について掘り下げた場合はどうでしょう?
自身が寂しいことについて、「私は根暗だからだ」と考えるのは、評価したことになります。
一方、「私はそんなにも、彼女のことが大事なんだと知った」のであれば、これは気づきです。
これ、ちょっとした違いなのですが、どこに差があるか分かりますでしょうか。
「根暗」というのは、自分が昔からそうであり、今もそうであり、恐らく将来もそうであろう、という前提があります。一方後者は、「今の私」から離れていません。ここが仏教の押すところです。
もちろん、あなたがどちらの方向へ進むかは自由です。しかし、もし選べるならば、後者の方が幸せに繋がりそうに思いませんか?

ですから、まとめるならば、「自分の中に生起する感情を殺さず、しかし飽くまで現在の自分の姿として捉える」のが統合された答えではないでしょうか。
自分がそんなにも彼女のことを大事にしている、と自ら気づくことで、「では今度会った時は、とびきりの笑顔で迎えよう」といった、次の行動へ向かえるのではないかと思います。
一方、根暗路線はどうなるでしょうか。「昔、あんなことがあったから、私は何でも悲観的に捉えてしまうんだ。でも過去は変えられないし、性格だからなぁ」と、妄想の闇にさまようばかりです。
どちらを選ぶかは自分次第です。でもこれ、「考え方のクセ」ですから、お手軽に一回、試してはいかがですか?

2015年9月12日 2:18
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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...

感情と評価は別物でごんす

こんにちは。
「心が傷つかなくなるために善し悪しの判断を起こして感情的になって傷つく前に、私的判断・評価を加えず、その通りに物事を感受したままでいる(禅・坐)ことで、判断が介入されず、感情にも振り回されず苦しまずにすむので、そういう生き方するために仏教を学んで悟りを開きましょう会」の主催者の丹下ともうします。
毎週日曜3時から人類総成仏化計画として坐禅会を開いています。
「ものを見聞きして、感受する。」
これは万人の法則です。
見える聞こえる香る感じる…。
今も、あなたは、これをその通りに感受しています。判断は二の次、感情はその次。
感情というのは、瞬間沸騰ポットや笛付きケトルのようなもので普段は鎮まっています。
沸騰している時だけ、ぴー。
例 お天気 晴れ せっかくお出かけしようと思ったのに、
「哀ぴ~!」「あー!イライラぴ~!」
雨の日セールで安かった。
「超うれッぴー!」「楽ピー!」
それ以外は別に沸騰していません、笛もなっていません。(最近じゃ専ら電気ポット?)
今もあなたも感情が出ていない時は、ただ純粋に、感受、観る聴く、思う、分別、判断されていると思います。四六時中感情ばっかじゃ疲れます。
喜怒哀楽はあってよいのです。
仏教は感情否定論ではありません。
感情に支配されたり苦しんだりしないほうが良いというものです。
ですが感情は、瞬間沸騰的なものですから、思考や判断にそれが伴うと【危険】な面もあるという事です。
ああ寂しい…、会いたい…!も、西野カナレベルに到達すると「会いたくて震える!」レベルになります。
おそらく西野さんは実際にそうであってほしいのに現実が違うため思いとのギャップがあって震えるのです。(推測)
私もこんな回答ばかりしていますから、質問者から「会いたくて震える(殺意で・怒りで)」と熱烈ラブコールを受けており、写真を変え、本部からも言葉を慎むようにと厳重注意を受けて凹んでフトンの中でもっとパンチの効いた回答したくて震えています。(嘘)
機会が有れば、坐禅会にお越し頂き、どうぞこの和尚をタコ殴りにする勢いで、感情なり、クレームをぶつけてスッキリしてください。
「テメー、治らネーじゃねーかよー!」どうぞ、感情を抑圧せずに、うち明かしてスッキリして「さっさと帰りたくて震える」くらいになってください。

2015年9月13日 9:34
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おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

何も問題にしない生き方

寂しいと感じた時に寂しいと口にしたときに、楽になったり、解決できたりするのであれば、それも一つの方法かもしれません。

思いが出てきたときにその思いに手をつけず、そのままそっとしておく、というのが評価をしないということになります。こんなこと思ってはいけない。とか何も思わないようにしよう。なんてことはしません。そのままです。

ですから、楽に生きられるのです。我慢をすることとも違います。もっと根本的に問題にしない生き方をすることが仏道と言えるでしょう。

思いが出てきたときに、全て言葉にしていくと、時にその思いに苦しんだり、人を気づ付けたりすることもあるでしょう。「この人嫌いだなー」と思ったときに「あなた嫌い」なんて言えないでしょう。仏道は、この人嫌いとも思わない生き方です。それ以前のその人がそこにただいるだけです。

2015年9月11日 23:32
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おきもち

宇宙の実相は融合です

私たち僧侶が礼拝する大曼荼羅御本尊は宇宙といいますか、この世の中の真実の相を表します。
宇宙の相とは、世の中は常にそのままで完璧であり、もう既に全てが整っているという真理です。

他の言い方をしますと、宇宙の神仏の愛、無限の安らぎと豊かさが溢れているところであるということです。これを専門用語で輪円具足(りんねんぐそく)といいます。

私たちは五感、即ち視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚という小さな窓からしか世界を感識することができません。故にこの世界は様々な矛盾や葛藤、相剋や対立が充満する不調和な処です。

これが「感情を感じること」です。

しかし一度仏眼を開くことができれば、この宇宙はそのままでが完璧であり、調和していることに気づきます。

火と水、善と悪、生と死、理と智など対立の相を示しますが、その意味するところは宇宙の真実の相という観点に立てばこれらのものは対立などしていなくて、融合している。

これが「物事を評価しないこと」です。

寂しいと感じてはいけないではなくて、寂しいもうっとおしいも表裏一体の融合物であるとご理解ください。

2015年9月12日 17:28
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おきもち

サラリーマン家庭で育った私が作った小さなお寺。目指すは「アットホームテンプ...

質問者からのお礼

ご回答頂きまして、ありがとうございました。

感情を感じることと、評価することは違うということが良くわかりました。

邦元さま、赤澤さまがおっしゃるような、感情を超越したような状態こそが「悟った」ということなのでしょうか。

わたしのような凡人にはなかなか難しいですが、そういう状態を目指しつつも、佐藤さまがご教授してくださったような「考え方のクセ」を変えていくことから始めてみたいと思います。

「評価しない」ことは難しいことのように思っていましたが、丹下さまがおっしゃるように『感情が出ていない時は、ただ純粋に、感受、観る聴く、思う、分別、判断』しているのですね。

難しいことでも、できる時に、できる事から意識して心の平安を保てるようになれればいいなと思いました。
いつも有難い教えを頂けて、心から感謝しております。

「感情のコントロール・抑え方」問答一覧

感情の処理の仕方

私には一年程前からどうしても許せない出来事があります。 旦那、旦那の知り合いAとBが関与しています。 旦那からは謝ってもらったり、話し合ったのでまだ許せるのですが、AとBは私が怒ったこと、どういう気持ちになったかは伝えておらず知らないままです。 そして私は今後、一切AとBには関わらないことにしました。 ですが時々旦那はAとBの話をします。話さないといけないこともあるので、私が我慢すればいいのですが… 正直名前さえも聞きたくありません。 その当時のことを思い出したり、思い出して腹が立ってる自分が嫌、そんな時間が無駄だと思うからです。 思い出してしまう時、どのように感情を処理すればいいのでしょうか。 自分が自分でいられなくなります、辛くなります。 旦那はこんな気持ちになっていることを伝えていないので、態度で示しているつもりでも分かっていないかもしれません。 本当に性格が悪いと思うのですが… AとBのように、忘れられないほど人に嫌な思いをさせても幸せになれるということが受け入れられません。 不幸になればいいなんて思いませんが、完全にシャットアウトできれば私も楽なのに、そういう話をされるので色々思ってしまいます。 私も今まで人に嫌なことをしてしまったことはあります。 もしかしたら気付かず人を傷付けていたこともあるかもしれません。 それなのに何を言ってるんだ…と思ってしまったり。 どうかこんな色々と思ってしまう私にアドバイス頂けないでしょうか。 感情って難しいです。 よろしくお願いします。

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回答数回答 1

感情のやり場がなく焦げ付いて辛いです。

お読み頂き有り難うございます。 とある事で友人に何も言われず距離を置かれ、それを心配したもう1人の友人のアドバイスがキッカケで連絡を取り話をして謝罪し受け入れて貰いました。 ですが、心の中では相手も似た様な事をしてアドバイスをくれた友人もそれを知っているのに今回私に謝る様に言った事。 何も言われずに距離を置かれる様な友人関係だったのかとショックだった事。 距離は置かなかったが嫌われるのが怖くて何も言わなかったのは自分も同じなのに勝手にショックを受けた事に自己嫌悪し、私のアクションをただ待った相手をずるいと思い、でもやっぱり好きでその好きが相手より強く表現もオーバーで、好きだと思ってるのは私だけなのではと不信に、不公平に思い、好きだから嫌われたく無いと思う感情が渦巻く事。 事のキッカケは、嫌な事を第三者に言われて嫌だと言っただけなのにと不満に思い、好きな友人を恨み、その感情に疲れた事。 自分勝手に相手に同じだけ好きを返して欲しいと見返りを望み、自己保身で嫌われたく無いから顔色を見て、でも納得出来ないずるいと妬みそんな感情が醜いと悩み堂々巡り。 次回何か相手にとって嫌な事があった時に、気をつけたいから言って欲しいのは本心なのに何か言われるのが怖いとビクビクする。 考えているうちに涙が出てきて、でも我慢していたらフライパンのタレの焦げの様にガザガザにこびりついて何が何だか分からなくなってしまいました。 感情の整理も出来ず、そのままにしておく事も出来ず迷子の子供の様な気分です。 自分自身の扱いが面倒で悲しく、でも大事にしてあげたいのに出来ないのです。価値が無いのだと思ってしまうのです。それは甘えなのではと。 迷走したかなり長い文で申し訳ありません。 何か、少しでも変われる様なアドバイスを頂けますと幸いです。

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「負の感情」の対処法(コツ)についてお教え願います

いつもお世話になりありがとうございます 私がずっと執着し依存しようとしていた心理カウンセラーのメルマガ配信を年明けに解除しました PCやスマホの”お気に入り”に入れていたブログやサイトも消去しました 心理カウンセラーの高額な「じぶん開発プログラム」なるモノは期限付きで特典を付けて、「自分が変わるのは今ですよ!」と購入を煽っていて、年末3日間は日に3度もメールが配信されてきました 特典付きの期限は、12月31日23時59分59秒… 前回質問した後よく考えて、このプログラムについては「受けない」と決めました 主人やhasunohaのお坊様方のお蔭です この案内については、期限が切れたら相手はどう出てくるのかなと思って解除せずいた処、購入を勧める文面の中に、 「迷っている人は連絡ください、私がどうにかします!(笑)」 という一文があり、とても違和感を持ちました hasunohaでたくさんのお坊様のお言葉を頂き、「あなたはあなたのままで良い」と言い切ってくださった方がお一人ではなかった事や、現実に目の前に居る主人や友人が客観的に「それはおかしいよ」と言い続けてくれた事により、なんとか抜け出せたのだと思います 混乱の真っ只中に居た9ヶ月間は、身体にも変調を来し頭の中は「潜在意識」という言葉でいっぱいになって、他の事は考えられないような状態になってしまっていました そこから引っ張り出してくださったお坊様方、主人、友人には心から感謝しております あとは、長期間ネガティブにどっぷり浸かっていたので、過去の”ネガ”も含めてこびり付いた”負の記憶”を「過去のモノ」として受け流すコツがあれば教えて頂きたいです 過去のQ&Aを拝見すると、「あるがままを受け入れる」事なんだろうと思いましたが、どのように心掛けると「あるがまま」を受け入れる事が出来るのでしょうか? 「善と悪」とか「100と0」というような偏った見方をしない事、というお言葉も頂きました 私は、「白か黒か」というタイプのようで、「こうだ!」と決め付け易く、更に「負の感情」が出易い性質だと思いますので、それを改めて心穏やかに過ごしたいと思っています 今の自分の性格ではとても疲れるので… 「あるがままを受け入れるコツ」「出来事や人物の見方のコツ」「俯瞰的に見るコツ」等を教えて頂けないでしょうか?

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自分の感情がうまく出せません

人からどう思われるかが気になって、自分の感情を出すことができません。 そもそもの根源は、親の教育方法にあったのかな、と思います。(あまり人のせいにはしたくないですが…あくまでキッカケとしてであって、その後の努力をしなかった自分が9割9分悪いと思っています。) 小さい頃から、自分の意見を言っても頭ごなしに否定され、はっきりした自分の思いや意見を持てなくなってしまいました。 今では「これが好き」「こういうのは苦手」ということは自分で何となく分かりますが、人に伝えることが怖いと思っています。 人に嫌われたくないという思いから、八方美人になってしまいます。 また、自分はどうせ…と卑下してしまう癖があります。私は幸せになれない、とどこか思っている節があります。 人にどう思われるかがものさしになってしまい、自分を守りたくて、色々あることないこと考えすぎてキャパオーバーになってしまいました。 自分でもバカらしい考えだと思っていても、思考が止められずに泣いてしまったことも何度もあります。 結果的にそれで人を傷つけてしまったんです。相手と向き合いたかったはずなのに、自分が傷付くのが怖くて、逃げてしまったんです。 自分の思いに正直に生きる、正直に人に伝えよう!と思って少しずつ実践しているつもりですが、なかなか難しくうまくいきません。 とにかくトライアンドエラーだ!と思っていても、どこか心にストッパーがかかっていてうまくいきません。 たまに「人生楽しいの?」と人に聞かれますが、楽しいと胸を張って言えません。 また、私のことを「行動力ある」という人もいるので、ひとりに対して向き合うことができないのかもしれません。 自分で自分の首をしめて生きていることはよくわかっています。 私はどうすれば生きやすくなるんですか? また、逃げてしまった人と今からでも戻ることはできるんでしょうか? うまくまとめられず、長くなってしまい申し訳ございません。 どうかアドバイスを頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 4
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自分の感情との向き合い方を教えて欲しいです。

世の中、努力という言葉で簡単に片付ける方が多いです。 世の中の結果のその背後にある生物学や行動遺伝学だといったものや、格差社会などを研究している社会学などは実在します。 それは統計データによる根拠があるものです。 しかしそれらの学問を全てを無視して成功しなかったのは努力不足だったから、とか思考や考えが幼稚で野蛮だからお前は成功しないと言われたら悲しくなります。 その思考だって環境や生まれつきの脳の特性で変化します。 その思考をいくら他人から説教された所で変わらないと思うのです。 だったらもっとその感情や思考との向き合い方を教わった方がいい気がします。考えは変わらないし、世の中の運が良い人がいるのは事実です。 だから私は嫉妬心や後悔や人生の苦しみや強烈に自殺したい欲求を治すんではなく、どうすればこれらの考えを持ちながら苦を減らしていけるのでしょうか? 仏教的には何をどうすれば、こんな感情や運の悪さを持ったまま苦しみを減らせるのでしょうか??? 煩悩とは違うと思うのです、無念です。 家族を全員滅多刺しにされた後の心は煩悩ではなく無念です、一生傷口が残ります、一生死にたい自殺欲求は消えません、嫌な思考パターンになると思います。 私は無念と共に過ごす方法を知りたい。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

感情の置き場がわからない

義弟が従姉妹に性的な悪戯をする、といった事件がおきました。 父と母は妹に義弟との離婚を迫り、離婚をしないのなら勘当する、という話をしたそうです。 結果、妹は結婚生活を選び、義弟にはカウンセリングを受けさせる、勘当でかまわないということをLINEで伝えてきました。 理由は、息子(妹夫婦には1歳の子どもがいます)にとっては、良い父親であり、今までも良い夫であったから、それを奪うことはできないということだそうです。 私はその話を聞いて、怒りが収まりません。 それはそうした性的悪戯を実際に受けた過去があること、そうした行為を行う人間が「良い父親、良い夫である」とはどうしても思えないことに対する価値感の相違から来るものだと自分では考えています。 結婚生活を続けるにしろ、シングルマザーとして子どもを育てていくにしろ、すべての責任は妹が負うわけですから、外野が口だししていいことではない。妹が自分で決めて、自分で責任を持たなければいけない。 冷静な部分ではそう思います。 でも、実際に性的悪戯を受けたほうは一生忘れず苦しんでいくのにもかかわらず、やったほうはカウンセリングだけ通って、妻子も仕事もそのままで生きていくのが我慢できない。 実際一週間もたたないうちに、彼は遊びにいったりしています。(SNSを観て知りました) 反省なんてしているはずない、そう思ってしまいます。 そしてそれを受け入れる妹に対する怒りもあるのだと思います。 私がどんなに怒りを抱えても、何も解決しない。 でもこのまま何もなかったことにするのか、という気持ちが強く、ずっと引きずってしまいます。 この感情に対処する方法はないのでしょうか。

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