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どちらも修行ですか?

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有り難し有り難し 25

つい先日、闘病中でした義父が残念な事に亡くなりました。とても辛い闘病だったと思います。本当によくがんばりました。生き抜いてくれました。私の子供達には初めての人間の死の姿でした。義父が身をもって人間の死を勉強させてくれたのだと感謝しきれない思いでございます。
そして、先週の金曜日に初七日を迎え、ふと初七日頃からはあの世ではどうなるのだろうと思い調べてみました。そこには、初七日で最初の修行が伝えられ(三途の川云々と)そこから7日毎に修行が与えられると書いておりました。
確か私が記憶していたのは、この世が実は修行だという事でした。欲のあるこの世の中でたくさん修行し、そして修行が終わり、あの世に行くと。
なので、義父が亡くなった時には「お義父さん、この世の修行大変お疲れ様でした。あの世で楽しく暮らしていただきたいです」とお送りしたのですが…
あの世も修行、この世も修行なのでしょうか?
どちらにせよ、優しかったお義父さんが病気の苦しみから開放され、お元気にあの世に逝かれたと信じたい思いです。
よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

中陰のことですね。

こんにちは。義理のお父様が往生されますように、私からもお念仏お唱えさせていただきます。南無阿弥陀仏。
さて、中陰(ちゅういん。亡くなった後の時期)については色んな示しかたがありますが、「7回の裁判が行われ、最終的に次の生を選ぶ(輪廻する)」という考えにて「七日ごとのお勤め=初七日、ふた七日、み七日…」というお勤めが設定されています。つまり、それぞれの裁判にあたり、「残る家族たちも、ちゃんと仏事を行なっていますよ。だから悪いところに生まれませんように」という訳です。
そして、中陰が終わると(終わるのです!)四十九日のお勤めで納骨…というパターンがあります(納骨の時期も、地域などにより様々です)。だから、お勤めがあるなら「満中陰」というお塔婆をあげる(宗派もあります)。
今のストーリーでいうなら、「修行する」のは、この世に残る私たちが、「法要するという修行」という文脈になります。
最も、私たち浄土宗(系)の場合は、「亡くなったら極楽へ行きます。そして仏様になるために、阿弥陀様からお説教をいただくのです」とお説きします。この「お説教をいただく」も修行ですが、これ、貴女がイメージする「辛いもの」ではありません。あえていうなら「ありがたいもの」でしょう。
ということで、「修行=辛いもの、辛いこと」という定義を、少し捉え直す方が良いでしょう。「修行=価値あるものを得るための行動」ですから、「辛いか否か」は本質ではないのです。
いずれにせよ、とても良い投げかけを頂いたと存じます。この素直でストレートなお気持ち、どうぞ大切になさってください。菩提寺があるなら、その和尚さんにお聞きになるのも良いと思います。ネットは(なるべく)万人向けに書かれていますから、「いま目の前にいる貴女とのやりとり」で話されることが一番です。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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どちらも修行です

お悔やみ申し上げます。
南無阿弥陀仏

初七日などについては宗派によって違いますので、菩提寺のお坊さんにたずねるのが良いと思います。
例えば浄土宗であれば、命が尽きた時にすぐに阿弥陀仏によって極楽浄土に連れていかれます。極楽浄土では仏様になるための修行をするのです。この世に生きている時も修行であり、極楽浄土でもさらに修行をするのです。そして仏様になるのです。
ただ、現世での修行はさぞ苦しかったであろうと思います。特に病との戦いは忍耐の苦行であったことでしょう。お釈迦様は、忍耐の功徳は布施や持戒よりも尊いものであると言われました。また、この世での1日の修行は極楽浄土での100年の修行に等しいとも言われました。義父様は多くの功徳を積んだことと思います。
しかし、極楽浄土での修行には病に犯される肉体はありませんから身体的な痛みや苦しみはありません。どうか安心してください。
たくさんのご先祖様達と、仏様や菩薩様達と共に楽しく修行されておられるのです。
その修行を完成させ仏様になって、私たち並びに生きとし生けるもの全てを正しき道へ導いてくだいと祈りましょう。

南無阿弥陀仏

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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これからも修行です

拝読させて頂きました。
お父様を皆さんでしっかりと送り出されたのですね。悲しみは尽きないでしょうがあなたやお子様に対してお父様が身をもって生きることを教えてくださったことと思います。お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

人は亡くなった後どうなるかは諸説あります。よく言われるのは七日七日ごとに仏様の前でその人の生前のことについてお裁きをお受けになると言われ来世の行先が定められていくということです。49日まで七日ごとのお裁きを受けそれが中陰といわれる期間となります。
そこでは極悪人は地獄行きです。その人の心がけや行いによってきまっていくと言われます。

お父様はご生前中に様々な行いをなり善を積まれたことでしょう。きっと仏様のお導きを正しくお受けなさり仏様のもとにお生まれなさることでしょう。
そしてそれから仏様のもとで安心して修行なさるのです。そうして修行を進めていかれて完全円満な仏様となっていかれるのです。つまりご成仏なさっていかれることです。
ですからこれからもお父様は修業があるんです。

あなたも皆さんもどうかお父様が仏様のもとに正しくお生まれなさってくださいます様心から仏様にお願いしてお念仏おとなえなさってくださいね。
南無阿弥陀仏

そしてお父様はいつの日は必ずやご成仏なさいます。そしてあなたや皆さんを片時も忘れることなくお見守りなさってくださいます。
ご供養頂きながらお父様にどうかこらからも宜しくお願いします、私達をこれからも見守っていてくださいとお願いなさってくださいね。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

まず最初に、ご回答頂きまして本当にありがとうございます。感謝いたします。何だか涙が止まらない自分がいます。有り難い教えを頂き勉強し、ホッといたしました。
とてもとても、分かりやすくお義父さんの笑顔が頭から離れないひと時でした。仏様になる為あの世でも頑張っているんだなと。元気に過ごしているんだなと。肉体は存在いたしませんが、私や子供達の心には永遠に生きているので、これからは教えを思い出し空を見上げながら、お念仏を唱えていきたいと改めて実感しました。
成仏する事を願って。
ありがとうございました。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

夫の死 心が平穏になる時がきますか

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