親との将来が怖い
50代後半の父母が認知症や病気になるのがとても恐ろしいです。
実際父母にそういった症状がでているわけではないのですが、
もし認知症になってしまったら…と考えると何もできなくなってしまい、その考えが頭から離れなくなってしまいます。
おそらく、認知症になって私や家族の事がわからなくなってしまうのが怖いのだと思うし、介護が出来る自信が全くありません。
親にこの不安を話して、気分を悪くさせてしまいました。
誰にもわからない将来の事を不安に思って、自分でもバカバカしいし、この歳になって何をやっているんだと呆れを感じています。
でも、どうしても不安で仕方がなく困っています。
どうか不安を軽減させるお力を貸していただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
対処すればよい
そうなったとき考えればいい。
そうなったとき悩めばいい。
そうなったとき対処すればいい。
先の事は頭の中で思い起こされていることです。
現実にまだ起こっていないことです。
現実に起こっていない物事を相手にしているから、脳が矛盾を起こして不安になっているのです。本当相手にするべきは、ただ今なのです。
それが分かれば不安は無くなります。
介護は一人でしなくていい
介護が必要になった場合には、介護保険のサービスなど、福祉サービスを利用できます。
ですから、何もかも一人で背負い込む必要はありません。
少子化社会ですから、国レベルで、あなたのような人を助けるシステムが構築されています。
ですから、あまり心配しないで、
今は、何かわからないことがあったら地域の役所に相談すればいい、とだけ覚えておけばよいです。
私の祖父も晩年は認知症で、調子の悪い時は自分が住職したお寺を見ながら「早くウチのお寺に帰ろう」と言ったそうです。
最後の半年間は特に辛かったですね。その頃になると祖父は認知症を通り過ぎて寝たきり状態でした。そして私は寮に入っていまして、数週間おきにお寺に帰る生活でした。それが辛くてですねぇ〜…毎日見ていればまた違ったのでしょう。しかし数週間おきに祖父の顔を見ると、目に見えてやつれていくのですよ…
私は迫り来る別れを感じ、気が重くなり、帰りたくなくなりました。ある日、祖母はそれを見越したかのように私にこう言いました。「大慈ちゃん(←ここでは仮に)を見ると、おじいちゃん、元気が出るみたいなんよ。できるだけ顔を見せてあげて。」私はそんなわけあるかと思い、言い返します。「おじいちゃん、もう父さんのことも分かってるかどうかアヤシイんでしょ?僕が話しかけたって少し目を開けるだけで、ほとんど反応ないじゃない。分かってないんじゃないの?」「うん、分かっとらんのかもしれんね…でも、大慈ちゃんが来た日は、おじいちゃんよく動くんよ。」
私はその言葉がとても嬉しかったのです。涙が止まらないほど嬉しかった。それ以来、私は祖父が亡くなるまで週末には必ずお寺に帰り、笑顔で祖父に挨拶をするようにしました。一緒に生きた時間は決して無くなりはしませんし、無駄にもなりません。このことをよくよく心得て下さい。
やよい様のご心配はよくよく分かるつもりです。ですが、認知症の中にも喜びはあるのですよ?老いは人生の1つのステージであり、長生できれば誰もが通る道です。今から悪いことばかりだと決めつけたら、老いの中の楽しいこと嬉しいことを受け入れられなくなってしまうじゃないですか。それじゃあ将来、そういう時が来たとしてご両親が浮かばれない。よくよく覚えておいてください。たとえ認知症の中でも嬉しい時は喜んでいいし、楽しい時は楽しんでいいのです。