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嬉しいことなのに、地に足がつかないです。

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先日は、錯乱状態で質問してしまい申し訳ありません。
6月末に発達障害だと検査結果が出ました。障害宣告前はこちらの利用で救われていた部分あり、今自分が前に進めることを回答くださったお坊さんにご報告したい部分もありましたが先日は失礼いたしました。

今日相談したいことは
障害診断が嬉しいのに未だに地に足がつかない自分がいることが苦しい、何かお言葉をいただきたいと思います。

診断は私にとっては泣くほど嬉しいことでした。今までの対人関係のつらさが親や精神科医すらも伝わらず誤解され、傷つく言葉を山ほど言われました。原因の解明の嬉しさが一つ。原因の解明で具合が悪くならず生きられる方法がわかることが2つ目の嬉しさ。自分の進路(医師になりたい・理由ありある大学に行きたい)ということを周りが否定しなくなったどころか、強く肯定し始めました。私が進学希望の大学・職業は発達障害者が多いからです。発達障害者の中で生きれば、生きやすくなるという説明でした。そのために治療と特性生かした勉強法などの指導全ていただけることが3つ目の嬉しさ。今まで周りに溶け込むための努力をしてきたことがはっきりと明示され、その努力ができる知能を持ち合わせること故に障害発見が遅れた。悪化させるための治療を受けていた。治らない原因、傷つく原因もきちんと説明されたことが4つ目のうれしさです。普通ではないという観点で悲しさはなかったです。見える希望があまりにも多すぎたからです。

両親も、その他の医療関係者も、教育関係者も、友人にも、理解してくれて、支えてくれている、そんな毎日が私には今も信じられないです。親や医者すらも理解してくれなかった、ひどい言葉を浴びせそれがトラウマになっていた。
貶されて、ゴミ屑以下の扱い受けて当たり前だったはずの人間が、ある日を境にしっかりと理解され、守られ、支えられ始めた…まるでVIP待遇受けている気分です。10冊以上の本を読んでも、何しても発達障害だとわかっている。だからこそ、この急激な変化について行かれていない自分がいます。希望していた医療を受けられる、サポートが周囲から受けられる、そしてそれをしっかりし初めてくれているのに、周りがしてくれていることに私がビックリし続けていたら、なんとなく、周りに失礼な気がして、どう感謝してよいのかわからないです


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

良かったですね

 こんにちは。先日は、あて推量で回答したりして、済みませんでした。その後、以前の問答を拝見したり、コメントを読ませていただいて、「あの時はよっぽどだったのだ」と感じました。また、今回の投稿内容を拝見しても、「良かったなぁ」と思います。
 6月に診断があって、まだ3ヶ月ですから、学校で言えば一年生の1学期でしょう。まだ地に足がつかない、と感じるのも無理からぬことだと思います。どうぞこれから、存分にご活躍されることと思います。
 また、改めて知ったのですが、「診断がつく」ということがものすごく大きな影響を及ぼすのですね。実際のサポート面でも、気持ちの面でも。それこそ人生の方向転換になると。
 医師を希望されているということは、きっと多くの方の人生に関わることになる(研究者の道だとしても)でしょう。その重みを知っている方にこそ、その立場にはついて欲しいと個人的に思います。

追伸
さっそく、私の回答を読んでくださったのですね。ありがとうございます。この時間ですと、お彼岸のお参りの方もほぼお帰りになりました。
さて返信をお読みして、「あて推量でも返答してよかったな」と思いました。「私は、あなたの言いたいことを汲み取れていますか?」という最後の一文を、あなたに贈りたかったのです。しかも、その直前の「理解して欲しい」というのは、貴女の問いかけ(原文)にはなかったこと。私が付け加えた空想です。「そこは違うよ」と教えてくださいました。ありがとうございます。
私は改めて、「アナタの言いたいこと、私は汲み取れてる?」という言葉を、あなたが使いこなせるようになって欲しいなぁと思います。人と関わる以上、とても大切な言葉(つまり態度)です。
あなたの世界が広がり・深まりますように。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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周りに失礼」なんてことはありません

ご自分の個性について理解できたことでスッキリされたことは良かったのではないですか。ご自分を受け入れる第一歩だと思います。周囲の方のサポートに感謝の気持ちを持ちつつ、良い意味で図々しくなれることも大切だと思います。
しかし、一方でご自分の「障がい」という名に甘え、できることすらやらないで逃げるようなことがないよう、謙虚さも忘れずに生活なされてください。
まずは、はっきりとご自分の様子が見えるようになって良かったですね。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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質問者からのお礼

邦元様

お言葉いただき、ありがとうございます。
「障害」ということには絶対に甘えないように、精進したいと思います。できるだけ早く、社会適応したいと思います。
「障害」というのも、他の身体障害や知的障害とは違い、社会適応すれば障害ではなくなるというものです。ですから世の中、活躍されている方もいらっしゃる。医師や研究者の中にはたくさんの私と同じ障害を持つ人がいます。発達障害は脳構造の違いがあるだけなので、その特性を生かせば、電気を発明したり、iPhone発明したりした方のようになれる可能性もあります。
普通ではできないような発明や発見、上記の彼らのような偉大なことではなくても、どんな小さいことでも社会の役に立てるような人間になるために試練があったと思ってこのつらい経験すらも糧にして成長していきたいと思います。

佐藤様

こちらこそ、先日は大変失礼いたしました。本当に悲しくてパニックになってしまい、それが原因でこちらへの投稿すらも上手くできなくなってしまったのです。語弊・誤解を与えてしまうことはこの障害の1つの問題点ですので、つらい時などでパニックになってもきちんと上手に伝える練習は絶対にしなければならないです。パニックになって上手く伝えられなくなることで周りに誤解を山ほど与えてしまっていました。特に会話だと、大錯乱状態ではなくても難しくなってしまうことがあるのです。
治療でも最終段階になれば、そのような練習することも出てきます。それまでは家庭内や予備校などの環境調整から入りトラウマ治療がメインです。最終段階前にトラブルが起こったときは困る気もいたしますが、やらなければならないかなり精神的負担のある治療が多すぎてしまい、それを同時並行でやることがまず難しいです。

佐藤様のお言葉しっかりと胸に刻みました。先日は両親すらも「あやちゃんよりも倍以上長く生きてきた俺たち親よりも、あやちゃんはつらい経験しているんだ。今だってまだ無意識のうちにとてもひどい言葉を言ってしまっているかもしれない」と発言があり、その発言にはあまりにも嬉しいビックリ、という感じでしたのでその日は朝5時まで眠れなかったです。

私自身は本当につらいことばかりでしたし、特にトラウマ治療はかなりの精神的負担があるそうです。時々は辛すぎてくじけそうになることもあると思います。ですが今はしっかりとした周りの受け皿もあります。受験勉強の前にその試練に近いものを再び越えなければならないですが、専門家の指導を仰ぎながら、頑張り続けたいと思います。

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