自分に甘くて何も続かない
私は8月に新しいバイトを始めたのですが8月いっぱいでやめてしまいました。理由としては、
・やりがい、モチベーションがない
・先輩バイトが苦手
・仕事のやり方がきっちりしていて細かく指摘されるのがウザい。
・マニュアル通りの仕事が合わない
と言ったような感じです。
自分でもこんなことで辞めるなんて甘いと思っています。辞める時にも店長に「責任感持って働いて」と怒られました。
さらには後日給料を頂きに行くと交通費が含まれておらず、再度頂きに行くと「こっちは制服代も払ってんだからふざけんなよこの野郎」と交通費を放ってキレられました。
私は1ヶ月でやめて迷惑もかけてるし怒られて当然と反省しています。
しかしこのことを友達に話すと「最初に制服代も交通費も出すって言ってるからそんなの当たり前でしょ!なんでそんな言い方!?」と怒ってくれました(;_;)
友達の言ってくれたことはとても嬉しいのですが、この発想がゆとりなのでしょうか?どちらが悪いか決めて欲しいわけではないですが、みなさんはどういう風に思うのかが気になります。ご意見聞かせてください。
そして、私は今まで習い事や部活も長く続かず継続力がありません。その上忍耐力や我慢もできません。楽しくない、辛いと感じるとすぐやめてしまいます。
次のバイトを始めるにもまたすぐ辞めてしまうかも…と考えると働く気になれず、また迷惑かけるかもしれないと思うと怖いです。怒られたこともあってか、完全に自分に自信をなくしました。
働く気にもなれませんが、お金も必要なので働きたいです。どうしたら次に踏み出せますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
厳しいことを言います。余裕のあるときに読んでください
私は店員100人規模の小売店で、20人の加工場のリーダーをしていました。店長に近い視点から書きます。
そもそも本当にお金が必要なのですか?バイトしないと家賃が払えないとか、学費が払えない、食っていけないという人はそんな理由で簡単に辞められません。辞めるにしても、次のバイト探しに手間取ってもある程度は食っていける貯えができるまでは我慢します。収入への認識が甘いから続かないし、先輩に我慢できないのです。世の中に「あぁ、楽しい楽しい」と思いながら働いてる人なんてほっとんどいませんよ。みんなそれぞれに理由があって我慢しています。あなたにはその理由が無い、もしくは理由をしっかり受け止めていないのでは?
人事生産性という言葉があります。職場で1人あたりいくらの売上を生産しているかという数値ですが、研修期間も終わっていないド新人の人事生産性は0円でさえありません。マイナスです。制服は上下なら1着1万円前後しますし、面接や採用の手続きにかかる人件費や事務費が発生し、研修に関わる先輩の生産性も半分以下になります。それらに賃金を加えれば、あなたが一ヶ月たたずに辞めただけで職場は数十万円の赤字を出してるのですよ?そんな人間が10人も集まればたいていのお店は潰れます。あなたは「迷惑もかけてるし」とおっしゃっていますが、これだけの迷惑をかけたことを分かっていますか?部活や習い事とは次元が違いますよ?交通費を支給しないのは契約違反ではありますが、店長がキレて当たり前です。
ただ、ここでつまづいたのはあなたがゆとりだからではありません。子供だからです。実際に辞めるかどうかは別として、認識が甘いという意味で、昔から誰もが通る道ではあるのです。そしてみんな誰かに叱られて、大人になっていきます。
お金が必要な理由は高尚である必要はありません。私には遊ぶ金欲しさでハングリーに働く頼もしい仲間がたくさんいました。しかし、あくまで「本当にお金が必要なのか?」という点をしっかり受け止めてください。本当に必要なら誰に説教されずとも、優しくされずとも次に踏み出せます。踏み出さずにいられなくなります。
自分をやりに行っているからいけない
あなたは仕事の時も完全に自分モードだから仕事にならないだけなのです。
職場なのに、オフィシャルな場所なのに、自分の家にいるような感覚として働いているのではないでしょうか。
これをセルフモード、プライベートモードと致します。
職場ではオフィシャルモードに切り替えるべきなのです。
公私混同はいけません。
公私混同をしないことこそ修行です。
完全な公を生きるという事をあなたはまだやったことが無いだけなのです。
わたくしというプライベート目線であるから、良し悪しが生まれる。
「自分にとって」の「良い悪い」が生まれる。
究極の「おおやけ 公」になってください。
公 は たてに読むとハムです。
ハムづくりも私情がそこに加われば、やれ残酷だ、殺生だ、可哀想、私情がそこに介入されハムづくりどころではありません。
あなたが感じる感情は真実です。
ですが、そこに気持ちを強く注ぎ過ぎるからこそプライベート心情に足を引っ張られるようになってしまうのです。
「自分をやりに行って」いませんか?
そこで為すべき事を「公」に行うのが、プロへの道です。
楽しくないからお金をもらえる、プロのわざを盗める
楽しいことなら、お金を払ってでもやりたい。
バイトは、逆にお金をもらう仕事であり、楽しくないこと、辛いことをやるからこそ、お金をもらえる価値が発生するのです。
楽しくないこと、辛いことがあるときこそ「私はお金をもらえる値打ちのあることをしている」と思ってください。
仕事は、楽しくなくて辛くてもよいのです。
仕事以外の余暇で楽しみをみつければよいのです。
もちろん、仕事仲間や上司と楽しく仕事できる場合もありますが、そのためには長く続けてかわいがってもらえる仲間になる必要があります。
辛い時期を乗り越えて継続すると、余裕もでてきて楽しく仕事できる可能性があります。
続けた者しにか見られない景色、長く続けないと到達できないポジションもあるので、それを期待して挑戦してみてください。
バイト経験は、将来の就職や、家事にも役立つことがありますしね。
架空でよいので、自分の夢をイメージするのもよいです。
たとえば、飲食店でバイトするとき、将来は自分の店を出し社長になると想定して、バイト先から色んなノウハウを盗むつもりで仕事すると、面白いです。
せっかく、プロの仕事を毎日見るチャンスがあるんですから。
高橋是清、酒井雄哉大阿闍梨も
いろいろ経験を積まれたらよいのではないですか。そんなに悩むことはありません。
お坊さんの世界では酒井雄哉大阿闍梨、歴史上の偉人では高橋是清などなど、確固たる立場を築くまでに辛酸をなめ続けた人は数多くいらっしゃいます。
大きな、致命的なミスさえなければ、「やめてくれ」と言われるまでのことです。真面目に取り組む必要はあるでしょうが、結果がついてこないことは誰しもあるものです。結果として駄目でも経験は残るのではないですか。
仏教は因果(原因があって結果があるという考え)を説くのですが、因果だけを説くのではありません。もう一つ縁もがあるので、頑張ったから、能力があるから、必ずよい結果が出るとはいえないと考えます(逆もまた真なりです。棚から牡丹餅が縁があれば落ちてくるわけです)。
縁という偶発的な条件にどうしても左右されるのが結果なのだから、仏教は、結果についてあまり問わないところがあります。では何が大事かというと、動機です。何をしたかではなく、何をしようとしたかということを大切にします。この部分さえしっかりしていたら、いつか必ずよかったと思える日がきます。それまではうまくいかなくても、努力してください。