亡くなった幼なじみ
私は今36歳の主婦です。中学2年の時に幼なじみを亡くしました。それから毎年命日近くになると夢に出てくるためその近くに実家の方へおじゃましに行っていました。夢に出てくることもまわりは笑い話にされ誰も信じてくれなく反対に毎年行くなんて良い人ぶってるぐらいまで言われるようになっていました。亡くなってから本当の友達もできず私は今でも心から話せる友達はいません。
ここ6〜7年ぱったりと出て来なくなり、私も結婚→離婚→再婚とし、子どもも今年幼なじみが亡くなった同じぐらいの年齢になったため、母が胸騒ぎなのか行ってみない?と声をかけてくれたのでご無沙汰してしまっていましたが先日行ってきました。その2〜3日前に久しぶりに夢に出てきて亡くなる前にもらった人形まだある?と聞かれました。思わず自分の実家の家中探したのですがなぜか見つかりません。2年前ぐらいに再婚のため実家を離れましたが、それまでは確実にあったものがなくなるものでしょうか?というより見つからずなぜかすごく不安というか変な気分の毎日になってしまいました。彼女は何を言いたいのでしょうか?なぜ夢に出てきていたのでしょうか?私は霊感など全くないのですが、幼なじみだけは何となくそばにいることを感じたことがありました。私を連れて行こうとしているのか守ってくれているのか急に体調が悪くなってきたような気分で私も長くはないのかな?などこの2〜3日で急に考えてしまうようになってしまいました。
でもまだ生きられるのであれば夢に出てこなくても御線香ぐらいはあげに行かなければという気持ちでいます。最近テレビでもまわりでも死と隣り合わせのような気がして怖いです。とにかく人形を見つけた方がいいのでしょうか?ちなみに人形といっても私が好きなゾウの小さめのぬいぐるみでした。彼女になぜ私がゾウが好きと知っていたのかなど聞きたいことがたくさんです。
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亡き人に遇う
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行なったりするならば、苦しみはその人につき従う。――車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。 (ダンマパダ)
これはお釈迦様の教えです。実際に有るか無いかよりも心でどう感じるかということに人間は左右される傾向があります。
幼馴染の彼女はもうこの世にはいません。それでもいるように「感じる」のはYuさんの心であって、彼女が実際にいるわけではありません。ですから彼女に連れていかれたり、彼女によって体調が悪くさせられるということはありません。ただし彼女のことをネガティブに感じるYuさんの心によって体調が悪くなるということはあるかもしれません。
つまり、彼女が成仏できず迷っているのではないのです、そう感じる時は今生きている私たちの心が迷っているのです。
成仏とは彼女が金ぴかの仏様にでもなることではなく、彼女の死をあきらかに見て、彼女の生死から私たちが真理を学ぶところにあるのでしょう。
二年も前の記憶と、Yuさんが今、不安から色々なものごとをネガティブにつなぎ合わせて考えてしまっているということと、どちらが確実でしょうか?
目の前の事実をあきらかに見る時、再び彼女に遇うことができるでしょう。それは彼女の霊に実体的にあうということではありません。
彼女の思いや願いにYuさんの心が触れるという形で遇うのです。それが大切な故人に守ってもらうということです。良いことを呼び、悪い事を避けてもらうのが守ってもらう事ではありません。大切な事を学ばせていただき、どんな事が起ころうと受け入れることができる歩みをいただくのです。
大切な友人であった彼女とこれからも人生を歩んでください。
南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
ありがとうございました。涙がなぜか止まりません。いろんな感情が溢れてくる感じでどのようにお伝えすればいいかわかりませんが、私自身まっすぐ立って歩き始めたいと思います。