宗教家と臨床心理士(ユング派)の共通点、相違点
宗教家と臨床心理士の共通点と違いはどんなことが考えられますか?
ユングの分析心理学の勉強をしているなかで、宗教的な考えがでてくることもありますが、宗教の実践者からみた意見をいただけましたら幸いです。
表面的に仏教を学んだ私から感じる共通点は、禅の「公案」が心理療法でいう夢分析、仏性というのが、ユングでいう、意識と無意識の全体性の中心にあるとした自己(セルフ)。などなど
単に依頼者に相談にのるという単純な共通点ではなく、宗教家も臨床心理士も無意識的なことが深く関わっている印象を持ちました。
また、お坊さんで臨床心理士の資格を取られる方がいらっしゃいますが、反対に臨床心理士が悟りの修行をすることの意義など考えられることがありましたらお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
考えかたから離れた道
私は臨床心理士ではありませんが、心理療法は悩みを考えかたや捉え方で解決しようとすることが多いのでしょう。何かに集中するとかして、解決しようとする。心理士さんの中にも患者さんの話をたくさん聞いて、心理士さん本人が悩み、病気になる方がいると聞きます。
仏教は考えかたをやめること、それすらも手放し本当に何にもしないことで救われる道です。生まれながらの姿、今の姿の様子に救いがあることを示すのでしょう。
問題意識
ざっくりですみません。共通するのは「心」や「内面」について扱われるところ、違いがあるのは「聖」「俗」両方扱うか扱わないか、といえませんか?
私自身も気になるテーマのひとつなのですが正直わからないことも多く、、ご質問に添えるようなお二方のご紹介だけさせていただきます。申し訳ありません。
曹洞宗の藤田一照老師という方は
「人生上の諸問題」
「人生そのものの問題」
というふうに明解な示し方をされています。二つの問題意識の違いについて詳しくは近著でお確かめいただければ幸いです。
私個人的には
前者をもって心理面にアプローチするのが臨床心理士のお仕事で、
後者をもって全体面的にアプローチするのが宗教家かななどと思っておりました。
最近は『サンガジャパンVol26特集「無我」』に石川勇一氏という方が、「二つの河を渡って」というタイトル記事を寄稿されています。
まだご存じなければぜひお読みください。心理学の過程と「悟りの修行」としての仏教との関連性についてなど ゆうさんのご質問に近い内容だなと感じましたので、ご参考になるかと思われます。