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人間は平等なのか?

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私は昔から親に悪いことや人を恨むとバチが当たると言われて来ました。ですが社会に出ると自慢するかのように弱い人をいじめている人もいるし、真面目に生きてる方が損してるように感じます。私もいいことばかりしているわけではないと思いますが、理不尽と感じることが多々あります。私は消極的で世渡りもうまくなく、人に嫌われたり目の敵にされやすいです。でも世渡りがうまい人は私を見て病んでそうだねといいます。本当に因果応報なのでしょうか?弱い人間にばかりバチが来て、そうでない人はのうのうと生きてるように見えます。
それとも気が強くなかったり器量が悪い方が賢くないから悪いのでしょうか?教えてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

平等とは何か

「良い・悪い」という思考・判断・分別・ルール・執着がある限りは人間は不平等であり、この世も不平等です。
仏教はその「良い・悪い」という視点を超えるもの、あるいは「良い・悪い」という視点でものを見てしまう自分の在り方に目覚めるものです。

その時初めて人間もこの世も平等になります。いや、すでに平等であったことに気がつくのです。

釈尊が説いた平等ないのちというのは、どんな人も縁において生まれ、縁において去っていくということです。
様々な縁(条件・対象・環境)によってどんな物事も誰の元にも起り得るということです。
つまり良い事と、悪い事があるのではないのです。起きた物事に「良い・悪い」の判断をする「私」がいるから不平等だと考えるのです。

こう言うと、何が起ころうが何も感じない廃人のようなものを目指すのが仏教のように感じるかもしれませんがそうではありません。
何が起ころうと、今私がここにこうして生かされている事実にそれだけで尊さを見出せるようになるのが仏教です。
もちろん、人間が人間である限りどうにもならない現実を前にに打ちひしがれることもあるでしょう。しかし仏様の教えによって平等ないのちという真理に目覚めるならば、悩み苦しみがなくなることはなくとも、悩み苦しみを引き受けて、それすらもいただいたご縁として生きていけるのです。
私たちの感覚による平等と仏様の目から見た平等はこのように違うのです。

長く生きる人もいれば、病気に多くかかる人もいる。生まれながらにお金持ちもいるし、生まれながらに運動神経抜群でオリンピックメダリストになる人もいる。
どれもその人がいただいた縁ですが、それは運命とは違います。運命とは何をしようがその先も全部決まってしまっているということ。縁とは今ここにこうしている事実を引き受けて、それに対して私はどういう願いをもって何を為すか態度を決めていくことができるものです。
その願いと態度によってそれから先は変わっていくでしょう。

縁の内容は良い悪いという人間ルールに照らせば不平等ですが、その縁が「たまたまである」という点は平等です。そしてそのたまたまの縁に私がどういう態度を示すか考えることができるという点も平等なのです。

追記
因果応報とは原因があって結果があるという事。逆に言えば因果関係が結びつかないものはきちんと分けて考えましょうという事です。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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本当の世渡りとは全ての方の円満です

拝読させて頂きました。
確かにあなたのおしゃる通り世渡り上手い人や声の大きい人の方がうまく生きている場合もありますし、目先の損得勘定で考えれば得している様に見えますね。
生きていく為には自分が沢山お金や資産を持っている方が社会的にも優位でしょう生活するのも楽ですからね。
今の世の中何でもお金勘定でモノサシにしている傾向がありますからね。

ただそれだけで全てが回っているわけではありません。
私達はお金で生かされているのではありませんし、お金や社会は私達が生きていく為の道具や器です。
そして世渡りするというのはどのように人や社会と関わっていくかです。

ホントの世渡り上手とは自分の為にするものではありません。共に生きる皆さんがいかにお互いを尊重し合い、許し合いながらものごとを円満に進めていくかです。

自分ばかりが得をするのでは周りの方々は不満に思うでしょう。
そして自分の事ばかりを優先するのでは真の人との信頼関係を築くことはできません。皆さんが共に少しずつでも譲り合いながら人を助けて円満に生きていき事ができるかです。

目先の利害だけを優先して生きているならばその利害関係が崩れれば自ずと人は離れていき、お金や財産が残るかもしれませんがその他何も残りません。

まして自分の利害やエゴや欲望ばかり求めて得る人生では何のためにこの世に生まれてきたのかもわかりません。

私達の人生はしっかりと目的があってこの世に生まれてきたのです。
この世に生まれてきて育てられながら、かけがいのない大切のものや大切なつながりを持ち、正しく生きる道や教えを学び成長する為に生まれてきたのです。
人それぞれに確かに大切なことも違えば正しいと思う考えや教えも違いうかもしれません。

ただ人の一生を全うする時に本当に持っていけるもの、価値あるものは目先にとらわれたようなものではありません。
毎日生きていれば多少の損得勘定やラッキーアンラッキーもあります。とはいえそれが自分の人生の尺度で考えたときに本当に大切な事かどうか改めて見つめなおしてみて頂きたいと思います。

栄枯盛衰は世の習いです、目先の繁栄や利権のみにとらわれていては必ず大切なものごとを見失います。
どうか合間合間に自分の人生を見直して頂いて、あなたにとって正しい道や生き方を志して素直なお気持ちで生きてくださいね。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

ありがとうございました。目先の物事だけにとらわれず、視野を広げて日々を生きたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ