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後輩に忠告したいのですが、どう伝えるべきか悩みます。

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私の職場で最近結婚した後輩が、仕事を休みがちで、何かにつけてしんどいと言って、1日は休まずに昼から出勤されます。
昼からの出勤は欠勤扱いにならないため、ルーズに出勤されているようです。

私も非常に心配し、一年くらいかけて、メールをしたり、励ましたりしておりましたが、あまりに体調を理由に職場に来ないし、最終的には今妊活中なので、と話す彼女に大きく失望してしまいました。

今の会社は非常に良い会社で、働きがいもある職場なのに、一生懸命仕事してその態度ならまだしも、仕事にも出す、他の後輩たちに悪影響ばかり与えている彼女に苛立ちを覚えます。

先日、別の後輩が妊娠しましたが、流産してしまいました。私は悲しくて悲して、その子を励まし、また赤ちゃんが来てくれるよ、と話していた矢先、妊活していると話していた後輩が妊娠したと知りました。

世の中どうして一生懸命頑張ってる人が苦しみ、世間を甘く生きている人が人生思い通りなのかとても憤りと悲しみを覚え、純粋に新たな命の誕生を祝福出来ませんでした。

上司もマタハラが怖くて何も手をつけない状況。
マタハラやパワハラ、あってはいけないですが、何事もほどほど、程々です。自分の事ばかり考える人が増えている現代が嫌です。

私も妊娠、出産、子育てをしながら働いています。未熟なりに、会社には働かせていただいている、という思いが強い方なので、後輩の甘い考えに何か伝えなければと感じております。

仏教の教えや考え方で彼女の心に響かせる言葉があれば、と思って相談してみましたが何かいい教えやお考えはありませんか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悪く言っても人はかわらないものにて

相手にズバッと言いたい気持ちはわかりますが、こういう場合に限らず、そもそも人というものは強く言っても自分のプライドを壊されたと腹を立てたり嫌われることが多いものです。
それはみんなそれぞれ自分ルールがあるからです。
アナタが彼女に言ってやりたくなるのも自分ルール。
彼女がホワンホワンしているのも自分ルール。
自分ルールを無くす、薄めるには「公共性」を用いることです。
公共性を浸透させるには、自分と周りとのかかわりを意識させることです。
自分一人では人間何もできません。
その人が自分一人で与えられた責務を完全に全うしているならば、あなたも文句はないのでしょう。
新婚さんでニンカツ中ということで、優先順位が仕事よりそちらになってしまっているのでしょう。
ですが、会社に居ながらニンカツは出来ませんし、オノロケされても周りとしては温度差があるというもの。
よって、仕事の振り分けで彼女のノルマをこなしてほしいぐらいにして、公共ワーク、チームワークではないものにしたらどうでしょうか。
アナタも彼女がいなければ負担が増えます。
今回は、ああ人間というものは私も含めて、みんな自分の事にしか目が向かないということを、反省材料としてまず、自分の相手に対する要求や自分のルール、自分の正義に目を向けることをお勧めします。
そういう目線を朝のミーティングや反省会などで、自分の事として発言するのが良いでしょう。
そうするとみな自分にも思い当るところがあるので、少しずつ改善されていくと思います。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご助言ありがとうございます。
個人情報なのでこちらに書ききれていない点がございますが、彼女はホワンホワンしているのではない、悪意を持っていらっしゃる点がとても問題だと思っています。そうでなければおのろけも可愛く感じ、私の性格では許してしまいます。
ある人に対する嫌がらせで彼女は行動しており、それが周りに負担がかかっている状況です。彼女が会社に居ても居なくても私たちが彼女の仕事を負担しております。ですので、どんな仕事でも相手があるものなのでチームワークが必要だとは思います。チームワークにしないと考えても現状残業が増えるのは現実です。

今回忠告したいというのは、私の一人のルールではなく、全員が伝えたいと思っても伝えれない状況、社会制度を違反でない範囲を最大限に利用する人が居ることに疑問を感じた次第です。
何か伝える方が悪だと思われるのはおかしいです。無論、今までの経験上、人と過去は変えれないことは存じています。
みんなそうだから言わない。自分ルールだから自分を変えるしかない。そちらはもう既に理解して来ているつもりです。
すみません、うまく伝えれませんが、何か変えれれば、とこちらに相談させていただきました。

すみません、向けようのない悩みをこちらにしてしまいました。解決できるように自分で考えてみます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ