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お遍路の作法

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お遍路巡礼してますが、本堂と大師堂がありますが、両方とも般若心経唱えるものなのですか?大師堂には弘法大師のお姿が見えるお寺もあって、私は弘法大師の優しいお顔をじっと見て、心の中にある邪気とかお願い事をつぶやいてますが、これではダメなのでしょうか?巡礼してる人それぞれ違ってて、私はこれでいいのかな?と、思うところがあります。もちろん、ロウソクとお線香は立ててますが…。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

同行二人

※以下、以前にみいちゃんさんがご投稿された際に作っていた回答文です。今回の質問に直接は関係ないかもしれませんが(^_^;)

お遍路の旅を、貴女なりの楽しみ方でなさっておられるご様子、先ずは何よりでございます。

私は曹洞宗の僧侶で、「坐禅」という行があるのですが、これを例えばお遍路に置き換えるならば、坐禅はどこかひと所におとなしく座っているときだけが「坐禅」なのか、で、お遍路は八十八ヶ所お参りで巡っているときだけが「お遍路」なのか、という問いかけが生まれてきます。これらはどちらも「仏道修行」の一環ですので、願わくばそれを物理的に行じている時いない時の隔たり無く、日常生活の中にも自然とその感覚が浸透し、「いつの時も行じている」お気持ちが望まれるものなのです。

時間もお金も機会も使い、せっかく行くお遍路参りでございます。むしろ巡った後四国を離れ、お家に帰ってきてからの時間で、巡拝していたあの時のお気持ちをいかに保っていられるか。大師様は今も貴女を見守っておられるはず。この「旅の積徳」をご自身で再確認していただきながら、次のお遍路に臨んでいただければ、そのご修行はより良いものとなって普段の生活に還元されてゆくでしょう。

余計なお世話だったらすみません。コメントをさせていただきまして、ありがとうございました。

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有り難し
おきもち

現代は実に「背負い込んでる」人が多いと思う。 別に自分が背負い込まなくて...
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質問者からのお礼

巡礼も、私の様に女性1人もいれば、夫婦、学生等々、いろんな方にお会いします。みなさん熱心に般若心経を唱え、頭が下がる思いです。
暑い中ですが、頑張ってみたいと思います

いえいえ、ありがたいお言葉ありがとうございます。今までは、お遍路さんというより、お寺自体興味なくて、彼から誘われても断ってましたが、今回色々あってふと霊山寺行ったら、心が軽くなって落ち着いたのです。で、順番に巡りました。真夏の暑いのも忘れてお大師様に手を合わせると、心が安らいでホットします。家に帰宅したら、それが解けるのか?また元に戻って嫌な苦しみを味わってしまうのです。

「仏教全般」問答一覧

「麼吒」の梵字を教えていただけますか?

はじめて投稿させていただきます。 とある梵字が分からず苦慮しており、どなたか教えていただくことはできますでしょうか。(教理上の理由で回答が難しい場合には、そのように仰っていただければと思います。密教に関することで在家が伺って問題ないことと、伺うこと自体が失礼なことの境目が分かっておらず、もし失礼でしたら申し訳ありません) 空海筆『秘蔵宝鑰』冒頭部分にて「麼吒の恵眼は無明の昏夜を破し、日月の定光、有智の薩埵を現ず」という一文があります。吒は日の種子、麼は月の種子を表して密教行者は修行の際にこれを左右の目において修行すると辞典や註釈にあるのですが、吒の字が一体どの悉曇文字であるかが分からず困っています。 とある注釈書には「慢」を表す字義の文字が、とある辞書には字義「住處」の文字が、『青龍寺儀軌』にはまた別の文字(判別できませんでした)が書かれてあり、同じ「タ(もしくはダ?)」をふりがなとする悉曇文字の中で何が相当するものなのかの解釈が文献によってバラバラのように見受けられます。おそらく悉曇文字が音写された漢字が時代と人によって変遷しているのかもしれませんが、結局のところこの修行を行う際に観想する「麼吒」の吒の字はどれに当たるのか、もし可能でしたら教えていただくことはできますでしょうか。 また、そもそも種子に字義解釈と相応する仏尊があることは知っていましたが、月の種子とか日の種子とかいうのはどういう分類法から生まれた解釈なのでしょうか…この辺りの思想がもしわかる文献があれば教えていただけないでしょうか。 大変申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。

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仏さまは「人を殺せ」と命令しうるか?

 いつもお世話になっております。先日ツイッターを見ていたら、 「私が信仰を辞めた理由は、アメリカに住んでいたとき、宗教の 違う信者10数名に対し『もし、神が、人を殺せと命令してきたら、 あなたは人を殺すか』と尋ねたら、全員が『殺す』と答えたから」 「『もし、ここで誰かが、『神はそんな事を命令なさらない』と 答えていたら、私も信仰を続けた」 「彼らは、皆生活や対人面で問題を抱えている。宗教は、人を 救えていない」 と言っている方がいました。  それに対し、 「シューキョーなんてそんなもの。シューキョーをやってる奴ら のことは、狂人だと思って扱えばいい」 と言っている人がいて、その発言には19もの「いいね」がついて いました。  私は、あくまで、この10数名に問題があると思いたいのですが、 実際、私は色々なお寺で問題のある僧侶や信者をたくさん見てきて います。  既婚なのにヤリ目ナンパする者。友だちになるふりをして 近づいてきて、他の信者をいじめる者。宗教をオカルトと勘違い している者。境内に女がいると、後をつけたり見つめる者(お寺 を発展場と思っているのでしょうか)。  あげく、「慈悲殺生」など、荒唐無稽な論を唱える僧侶もいれば、 「他の宗派はろくでもない」などと宣ったり、大きなお寺はお守り やおみくじなど、霊感商法まがいの事を平然としています。  戦国時代には、徳川家康の軍勢が、のぼり旗に念仏を書いていたり、 今も、外国では仏教僧団が中心となってイスラム教徒さんを弾圧 しているそうです。これじゃ、誤解されるよな。と思います。  しかし、本当の仏様の教えには、 「体を切られても怒るな」 「恨みに恨みで返すな」 という平和的な教えがあることを知っています。ですが、これを 知っているのは一握りの仏教徒でしょう。  私はお寺の山門をくぐるとき、周りに人がいないことを確かめて からくぐるようになりました。また、出るときに人と鉢合わせして しまった際は、その人に頭を下げるようにしています。 「私たちはが欲の塊ではないぞ」 とアピールするためです。  仏さまは、「人を殺せ」なんて命令しませんよね?あくまで、 その人たちが愚かだっただけですよね?混乱しています。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ