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なぜ?

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

生きています今日も
そして、死ぬことはそう簡単ではありません
その中で21歳の今ですが
高校三年の時から
なぜ生きるのかなぜ死ぬのかなぜ時々死にたくなるのか
鬱ではありません 時々全てが苦しくなるのです
でも、友と過ごすと忘れる日々ですが
やっぱり
なぜ?って考えてしまいます
社会人ですがそんなものに縛られたくないし
そもそも人の下で働きたくないです
僕は、どうすればいいかわかりませんもう
でも、目の前のことをやらねば食べていけません

どうか教えてください
この世を


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

❝仏に成るため❞です。

〈なぜ?って考えてしまいます 〉・・・素晴らしい!
誰でも一度は〈なぜ生きるのかなぜ死ぬのか・・・〉と考えます。しかし、大抵の人は「考えてもしょうがない」と思い、その疑問に「ふたをして」考えるのを止めてしまいます。
そんな中で、お釈迦様は《その問》に真剣に向かわれ、色々とご修行して、❝悟り❞を開かれたのです。
結論として❝仏に成るため生き、死んでいく❞という事です。
では「仏」とは何でしょう。「真理に目覚めた人」という意味です。もっと具体的に言うと、❝利他行(りたぎょう)=他人が喜んでくれる様な行動❞をする人と成る、という事です。難しいですが、「チョットづつでもいいから、精進しなさい」とおっしゃるのです。
あなたの周りにいる人が、喜んでくれる様、精進(=努力)して下さい。その内、必ず〈なぜ生きるのかなぜ死ぬのか・・・〉の答えが、段々はっきりしてきます。人生の先輩として、確信を持って断言できます。
ちなみに「働く」とは、昔の人は「傍(はた)楽=そばにいる人を楽にさせる」と言っていました。「人の下であろうが、上であろうが、一人立ちであろうが」そのことを常に考えて下さい。キット「幸せ=仕合わせ(=仕える事や人に出合える)」になれます。合掌

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「なぜ?(意味や理由)」からの解放

なぜ生きるのか?なぜ死ぬのか?

意味や理由がわからなくたって生きられますし、わからないままでもいつかは死んでいかねばなりません。

今わからなくたって生きているでしょう?今わからないってことはこれまでもわかっていなかったのに生きてきたってことでしょう?

高校三年生の時にわからないことに気づき、「なぜ?」と苦しくなったということは、それまでは「わからないことににすら気づいていなかった」ということ、あるいは「本当の意味や理由ではないものを本物だと思っていた」ということです。

わからないことに気づき、それを求めている今の方が実は苦しくても充実しているのかもしれません。
何もわからず、何にも気づかない時の方が楽だったかもしれませんが、本当ではないものを本当だと思っているということは実は虚しいもの、満たされないものであったのかもしれません。

そしてサスケさんの本当の満足、そして虚しさの解消は意味や理由が見つかって解決するものではなく、「意味や理由から解放」されてこそ達成されるものかもしれません。

だれかから意味や理由を与えられたいのちではないのです。固定・実体的な意味や理由なんてないのです。正解や不正解はないのです。

意味や理由があるからではなく、今・ここにこうして存在するための数えきれないほどの条件がととのって生きているのです。生かされているのです。そして死んでいくのです。

でも、意味や理由からの解放された視点からいのちを見てみると、もはや生まれたから生きているわけでもなく、死んですべてが奪われるようないのちでもないという様に、生死の概念自体からも解放されるかもしれませんよ。

是非とも安易に答えや正解を求めず、サスケさんなりの気づきを得てください。とりあえず書店の仏教書コーナーで気になった1冊を立ち読みするところから、「真理の探究」を始めてみませんか?

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おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

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