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どうすれば私は楽になれますか

回答数回答 3
有り難し有り難し 21

はじめまして。眠れなくてここにたどり着きました。

私は4年前くらいからずっと仲良くしていた年下の好きな人がいました。
2人でよく出かけ、朝まで一緒だったことも何回かありました。

けれど、体の関係はありません。そんな雰囲気になっても一歩進めることが出来なかった。それは私が結婚しているから。

もちろん、不倫もよくある話だしそこまで純情なわけでもありません。もちろん迷いながら会っていました。

そんな彼と一年近く前に喧嘩をしてそれでもなんとなく仲良しに戻っていたのですが、俗にいう既読スルーばかり。

速攻呼んでるのに返事はありませんでした。
フェイスブックやインスタグラムもお互いやっていますが、いつも彼を監視してるようなのも嫌なので、フォローも特にしていませんでした。

マヌケですね。ふと、先日思い立ってみたところもうおつきあいしている人がいました。

今までそんなことがあっても私には言ってくれていたのに今回はなかったことがショックでした。
そして、相手が私の知ってる人だという事も。

前に付き合うなら私の知らない人とにしてね、それだけはいやといっていて、分かったと言っていたからかもしれません。

それも私の勝手な要望だし、守る義務は彼にはないということもわかっています。

ただ、静かに去っていくだけ…。恨んでも憎んでもない、感謝してることもある、それも本心。

でも、この心の持ちようが私を苦しめています。
憎めば楽になるか、相手の不幸を願えば楽になるか、そして私のことを警戒して奪っていった彼女の不幸を願えば楽になるか、そんなことばかり考えてしまいます。人のことより自分のことが一番って言ってた彼女に負けたんです。

私は自分のことも人のことも同じくらい大事、そう思っています。

若いころなら、泣いて叫んでそして新しい人を見つけて、と先に進んだのだと思います。
でも、今は違う。正しい道も方法もわかる、だからこそしんしんとした長く緩やかな苦しみが消えていかないんです。

悲しいというのが一番ピッタリなんだと思います。
どうすれば救われますか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

恋愛への依存から卒業しては?

年齢的にも、そろそろ恋愛以外の楽しみをみつけないとしんどいですよ。
あなたみたいなオバサンを世間の男性がいつまでも相手にしてくれないのです。
旦那さんとの関係がわかりませんが、結婚しているんなら、旦那さん以外の男性はあなたと真剣にお付き合いしてくれなくて当然ですし。

どうすれば救われるかですが、諸行無常(すべては変化する、壊れないものはない)という現実に目を向けるのが、一番の救いになります。
あなたが求めているような、若い頃のような恋愛は、もうできないんじゃないでしょうか。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

本当に自分に優しくできるのは自分

相手にやさしさを求めるとずれます。
人間は、他人からの愛も大切ですが、まず、自分が自分に本当に優しくすること。
あなたは今彼との関係の中で傷ついて、オマケに自分責めをしていますでしょう。
それが、自分に本当に優しくすることから外れることになっています。
自分に優しくすると言っても特別な事は要りません。
自分の呼吸や心拍音や、見えている事聞こえている事、感じていることをそのままに、自分の思いや計らい事を添えずに過ごしてみてください。
パンケーキにはメイプルシロップとバターが王道ですが、そこに不適切なソースをかけますと、別物に代わってしまいます。
自分の思いのシロップをかけずに、そのままのもふもふを味わってみてください。
そうすると自分責め、自分いじめが止みます。
会えない時も「あー、会えないなぁ(笑)」で軽くかわせます。
そこに自分エネルギーが無くなっていくからです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ご自分の思い通りに事を進めようとしすぎているのでは

夫婦であれ、親子であれ、彼氏彼女の関係であれ、人はそれぞれ一人であります。
しかしながら、結婚して夫婦の関係であったならば、一般的に人のモノとなるわけです。
人を好きになるのは構いません。しかし、結婚していたらそのように離れなければならない関係になるのはごく自然であるように思います。

その彼は、とても筋を通しているようにも感じます。

ご結婚されている現実がある以上、恋愛は置いておきたいですね。恋愛したいなら、離婚されてから思う存分すべきでしょう。しかし、恋愛感情というものは、一時的なものであるわけですし、そこを知っておかなければなりません。
恋愛をしていなくても、十分満たされた生き方があるはずです。刺激の少ない環境に慣れ、穏やかに生活することが大切だと思います。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

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