正負
いつも、アドバイザーありがとうございました。
相変わらず、毎日死にたくてしょうがないでも、生活しなくてはと過ごしています。
依然、とある本を読みまして。
必ずや良いこととあって悪いことがあると。
良いことが無いとおもっていても、本当は、小さな良いことが重なっていると。
私の人生って。どうやら良くないことが大きい過ぎて、
良いことがあったことが気づかないみたいです。
5年おきに職場で、辛いことあり、このまま我慢すると、人生を辞めてしまうから、防御策で転職していました。
今はちょうどその時期になりましたが、大きな職場でない分、人間関係より、迷惑な事柄に巻き込まれてばかりかと。
毎回、そうなるのは、運命なのでしょうか。自律神経が久々におかしいので、生活に支障をきたしています。
どうしたら、良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ものに良い悪いが生じるのはいつか
それがよいか悪いか。
そのもの、そのことの人間的評価・価値判断しているのはご自身の一時的なラベルなのです。
もし仏教を学ぶのであれば良し悪しを超えた心に目覚めることです。
良し悪しの心に支配されているうちは人間界の苦しみの呪縛から解脱できません。
何をもって良いと思ってしまうのでしょう。
何をもって悪いと思ってしまうのでしょう。
いつそれがよい悪いになるのでしょう。
kkkkkkkkkkkkkkkkkkkkk
例えば、このkの連発は私がちょっと席を話している間に1歳の子供が入力していたのですが、ここにはよいとか悪いはあるでしょうか。
その良し悪しのラベル貼り、シール貼りをやっているのはいつも自分の勝手な思い込みなのです。物事が起こった後に自己流の評価・判断しているだけなのです。他人に様にとっては価値も異なるし、仏の心に目覚めればTHIS IS ITでよいも悪いもないままのそれなのです。
だから、そういう思考を卒業することがお勧めです。
禅に関心があれば当山の坐禅会でそういう、ものの本質、根源を学んでみることで人生はとても有意義になります。
小さな正負、小さな損得、勝ち負け、好き嫌いが無くなるからです。
どうしてなくなるかは坐禅会でのお楽しみに。
坐禅は思考以前の世界に生きることです。
人間があれこれ良しあしの判断を下さす前のそのままの事実を生きることが人間にはできるのです。
するとそこには良い悪いが無くなって何があっても平気になります。
自律神経がどうであっても、ただそういう様子、浮き沈みがあるだけで、そのあとでとやかく問題にするでしゃばりな自分がおとなしくなるので、さほど問題にならなくなるのです。
物事には良し悪しはない
物事の良い悪いは、自分で決めた価値判断の中で基準を決めて、そこを基準に良し悪しを言っているのです。
物事には良いも悪いもないのです。
だから感じなくて当然です。あなたが基準を低くすれば良いことばかり、高くすれば悪いことばかりの人生です。
読んでいる本が正しいかどうかはわかりませんが、事実には良し悪しがないということを知らなければなりませんね。
質問者からのお礼
大変、参考になりました。
スミマセン、ありがとうございました。