明日からどのように生きていけばよいでしょう…
何度も質問すいません。
地獄の種類など書かれてるのがありますよね。
くわしくこれをしたらこういう地獄でこういうことされるみたいな…
すごく苦しそうな罰が書かれていました。
前の質問の虫を殺すなどではありません。
しないようにとそれらをいろいろ見てたのですが1つ2つこれもうしてしまったんじゃ…といった内容のことで堕ちる地獄が書かれていたのです。
お釈迦様は知らず知らずやってしまった罪のほうが重いなどとおっしゃられたらしいですよね。
てことはもうどれだけ良い行いをしたとしてもすでに許されるすべはないってことですか?
残りの人生私はこの地獄に行ってこういう罰をうけるんだ…と思いながら希望すらなく生きていくしかないのでしょうか?
過去は変えられないことぐらいわかってます。許される方法など存在しないのでしょうか?罪が許されるのであれば出来る限りはなんでもしたいです。
お釈迦様は一度罪を犯した人間がどれだけ悔いてもけして許してはくるないのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
千手観音行
これから行うべき修行を課題として提供いたします。
まず京都にお住まいでしたら三十三間堂など、千寿観音さまがいらっしゃる御堂をお参りしてください。
そしてそこで願掛け、誓願をなさってください。
「かならずや千の良いおこないを積みます」と。
千手観音さまは、千の手がありますが、身体から手が千本生えている、というより、千の行い、千の仏行を積んだお姿である、と心得てください。人間もそういう生き方をすることでそれがオーラ、後光のように見えるのです。
あなたも百でもいい、二百でもいい、一日七回、一週間で49回でもいいです。
ちょっとしたことでいいので善き事を具体的に実践してみてください。
実はあなたはすでに、勇気を持って質問されたことで、十人以上の方から「有り難し」という評価を頂いています。
これは、あなたの質問が、同じ悩みを抱えていた方のお役に立った、功徳を積んだという事です。
社会的にもあなたの質問が役に立った、功徳を積んだ、善行を積んだという立派な事なのです。
十の功徳で十の手ですから、十手観音行を積んだことになります。
最後まで誰かの話を聞いてあげるだけでもいい。
道や席、機会を譲ってあげるだけでもいい。
優しい言葉を話すだけでもいい。
にっこり笑ってくれるだけでもいい。
それだけで、三手観音、四手観音、五手観音です。
手で行うことばかりではなく、表情、言動、態度、返事、挨拶、心をこめて行えばあれば、どんなことも功徳になります。
ちゃんと、相手のためを思って、させて頂くという気持ちで勤めるのです。
そうして功徳を積んでいけば、今の晴れない心が、必ず晴れてきます。
まずは「できた」と思う事を49までは毎日、数え記しながらやってみてください。
そして、たった今、あなたに必要な大切な一手、
それは「あなたを悩んで苦しめないであげる」事です。
自分で自分を、苦しませないことも功徳でしょうに。
ここで「これ以上、悪く考えて自分を苦しめるのは、もうやめよう」と口に出して念じてみて下さい。
それだけで、一行。実際に暗い事や悪いことを考えなければ二行、三行、性格も変われば大功徳を積んだことになります。
数にこだわる必要はありませんが、今日から千手観音行をコツコツと修してみてください。
かならず心が晴れやかになるでしょう。 あなたが行を達成され、心晴れやかになりますことを祈っています。
阿弥陀さまは、こんな私たちを一番に心配され、喚んでくださる。
先ほどは、阿弥陀さまの お話をしましたが。。。私たちは、生涯終わるまで 無くなることがない煩悩を抱え、まさに地獄へ一直線。もちろん、私もです。
阿弥陀さまは、こんな私たちを一番に心配され、どんなことがあっても救う!と、喚んでくださっています。
今まさに 届いている、その お心を疑わず、おまかせします(南無阿弥陀仏)と喜べるのなら、生きている 今この瞬間に、浄土へ往生させていただけることが決まるのです。
これは、浄土真宗 の教えで、親鸞聖人は このように受けとめられ、この世を安心して 力強く生き抜かれたのですよ◎
私は、僧侶であり、真宗門徒でありますから、阿弥陀さまの 私を喚んでくださる温かい声に、嬉しくて嬉しくて 涙が出るんですよ。ありがとうございますと、自然と お念仏が出るのですよ。ありがたいことです。私も、こうして、御恩報謝の中、生きております。親鸞さまと同じように安心の中で◎
直接、お説法を聴かれるのもいいですよ。せっかく、身近に学ばれているのだもの。学校の宗教の先生にも、聞いてごらん(*^_^*)
お釈迦様は、罪を責めたりはしませんよ。
お釈迦様は、罪を責めたりはしません。
罪を犯した事実は関係ありません。
お釈迦様は、心を問題にします。
なぜなら、仏教では心が世界を作り出すと考えているからです。
のえるさんは、罪を罪として反省してらっしゃいます。
尊い心です。
お釈迦様が知らず知らずにやった罪の方が重いと仰ったのは、
知らなければ、それを省みることが出来ないからです。
その省みることが仏道です。
お釈迦様は、全ての人の行いを許し、認めて、
のえるさんの命そのものを讃えて下さいますよ。
人は、幸せになるために生まれてきたのです。
のえるさんがしあわせを実感したとき、
過去の行いは全て、自分が幸せになるための種だったと変わります。
過去の事実は変わりませんが、
過去をどうとらえるかは、刻一刻と変わっていくものです。
負けないよ、必ず救う
のえるさん
とても不安な気持ちが強いようですね。
たしかに、罪の種類によって堕ちる地獄が分けられているようです。
そして、仏教では知らずに犯した罪の方が重いとされています。
ひとつの罪も犯さずに一生を過ごすことは不可能に近いことですから、ご覧になった記事のように誰もが地獄に堕ちる条件を満たしているのかもしれません。
けれど、仏には限りない大慈悲があります。
私たちを地獄に堕とすために、戒律があるわけではないと思います。
浄土真宗の正信偈というお経にこう書かれています。
「不断煩悩得涅槃」
『人の煩悩や罪を断たないまま、悟り・救いが得られる』
「雲霧之下明無闇」
『私たちの煩悩が厚い雲のようであっても、仏の救いの光はその雲を突き抜ける』
「大悲無倦常照我」
『仏の大慈悲は飽きることなく常に我々を照らしている』
つまり仏さまは「私は、あなたの罪や煩悩には負けないよ、必ず救う」とおっしゃっているのです。
きっと他の宗派のお坊さまも、安心できる教えを説いてくれると思います。
のえるさん。
地獄を信じるあなたになら、仏さまのお慈悲も信じられると思いますが、いかがでしょうか。
南無阿弥陀仏ですよ^^
こんにちは、浄土真宗の者です。
私たちにどうにもできないことは阿弥陀様に任せてしまいましょう。
私はお任せしています、どんな死に方をしてもいいと思っています、通り魔に刺されて死ぬかもしれないですし、病気で苦しんで死ぬかもしれません、地獄に落ちたっていいと思っています、私にはどうすることもできないことを思い悩む時間がもったいないでしょう^^
悩む時間を捨てて人生楽しみたいですからね^^
私にどうすることもできないから、阿弥陀様にすべてを頼むのです。
「頼んでのに思った通りになってなーい」って後出しジャンケンで文句言うようならそれは阿弥陀様を頼りにしていなかった証拠です^^
任せてしまえば楽になりますよ。
それに生き物を殺さずには人は生きられませんよ、私たちが口にするものは水以外、何らかの命ですから、スーパーで買ってきたものでも間接的に殺しているようなものです。
のえるさんは罪悪感を背負って生きるのではなく、食べ物になってくれた命に対して感謝するように意識してみませんか
今まで殺してしまった虫や、何か悪いことを言ってしまった事を悩むなら、仏様が「それじゃだめだよ」って地獄という表現で諭されているのだと理解できませんか
自分に素直に生きて下さい。
のえるさん、あまり人に言われたことに
惑わされないでしっかりした自分を持ち
素直な気持ちで生きて下さい。
自分で良いか悪いかを判断することも大切です。
一つ一つ人に聞いてばかりではいけません。
自分の心に問いただして下さい。
あなたのその不安になる心の原因は何なのでしょうか?
今からが大切です
のえる様へ
残念ながらその後どんな良い行いをしたとしても、その罪は許される、チャラにはなりません。
しかしそのことに気づき、今からどのように生きていくのか
ということが大切なのではないでしょうか。
あとお釈迦様が許すと決めるわけではありません。
お釈迦様はその罪を追求したり、なにかをするわけではありません。
こころを見ています。
罪を感じ、自分を改めてどのように生きていくべきか
その問いに向かって考えながら生きていくことが大切ではないでしょうか。合掌
私も僧侶の端くれですが・・・
申し訳ありませんが、のえるさんが書いた話は今まで出会ったことがありません。あなたが出会ったその書物は本当にまともな書物でしょうか?我々の宗派ではそのような極端なことが示された書物が過去に出版された経緯があり、今では差別図書として回収を進めております。ひょっとしたら、それらの書物を参考にして編集された書物かもしれませんので、思い切って捨てることをお勧めします。
仏教伝道協会から出版されている「仏教聖典」を読むことをお勧めします。