反省について
はじめまして。唯と申します。
私はクリスチャンの両親に育てられ、
形ばかりですが、洗礼も受けました。
今は、教会に行くことも殆どありませんが、
子供の頃は、
クリスチャンとしての躾を受けました。
何か悪い事をすれば、お説教され、
どんなに悪い子だったかお祈りをさせられて、
それからお仕置きを受けました。
好きな物を食べる事を禁じられたり、
外出禁止や、時にはとても痛い思いもしました。
事の善悪を教えて頂いた事には感謝しています。
年齢的に、自分で自分を律する立場になった時、
気が付いた事がありました。
それは、
自分が犯した罪を告白し赦しを乞う事はしても、
十分な『反省』が出来ない、しない、と言う事です。
お仕置きされて、お仕置き嫌さに悪い事をしていなかっただけだと、気付きました。
牧師様に尋ねても『祈りなさい』と言われただけでした。
機会があり、ほんの少しですが仏教の教えに触れる事がありました。
『慚愧』について聞いた時、
益々、反省の出来ない自分に落胆し、それから、
どうしたら反省の出来る自分に変われるかを、
考え続けています。
仏教における『罪』の意味や、『反省』するための考え方など、教えて頂けないでしょうか?
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教には罪と罰の概念がありません
私の文章を受け止めていただきましてありがとうございます。このHasunohaで本当に救われているのは私たち僧侶だと感じています。
トマトを食べるのに過去は関係ありません。ただ、今、食べるか食べないかの問題です。またいつでもご質問ください。
思いついた本をご紹介ます。どの入口からでもO.K.です。全て読んでくださいという意図はありません。アマゾンはURLが長いので他の所から集めます。ご了承ください。
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生まれながらに救われている
悟りから離れた行為がつまりは「戒」から離れた行為となるのでしょう。しかし、罪となるかどうかと言えば、それはないかもしれません。
例えば悟った人は、感情的に人を殴ったりしません。それは自分と他人を分けて考えず慈悲の心で接しているからです。別の存在としては捉えていないからです。
別の存在でなければ、人のモノを盗もうなって気はおきませんよね。
それを我見でとらえるから人のモノを自分のモノにしたくなり「盗み」という行為になるわけです。とても愚かなことです。
しかし、罰があるわけではありません(法律的にはありますが)仏教は罪人であっても誰もが救われる(救われていることに気付く)宗教ではないかと思います。
自分の愚かさ(煩悩)に気付く
懺悔(浄土宗ではサンゲと読みます)は、過去の罪をリセットするようなもので、重要です。
自分の愚かさ、心にある煩悩(悩み苦しみの原因)に気付くことが第一でしょう。
「能常念仏者能常懺悔人」(常に念仏する者は常に懺悔する人である)という言葉があります。
罪深い我々でも念仏すれば救われる、という教えが前提にあります。
罪深さをを自覚して仏様に救いを求め念仏(仏様の名前を呼ぶ)するとき、そこには懺悔が伴います。
念仏し懺悔する度に、名号(仏様の名前)という剣で、過去の罪をスパスパ斬ってリセットするのです。
私なんか、毎日、身体と言葉と心で悪いことを行っていますから、毎日懺悔しないといけませんが。
救いを求めることと、自分の愚かさを痛感することは、連動します。
牧師さんの「祈りなさい」も、もしかしたらそういう意味もあるのかも。
質問者からのお礼
御回答を賜り、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
また、御礼が遅くなり申し訳ございません。仏教について無知でしかも宗教の違う私に、とても解り易く諭す様なお言葉。自らの心の奥と対話する素晴らしいきっかけを頂きました。
願誉浄史 さま
>自分の愚かさ、心にある煩悩(悩み苦しみの原因)に気付くことが第一でしょう。
本当にその通りだと思います。
煩悩に気付くこと。同じ煩悩を何度も何度も抱いてしまう事が少なからずあります。それでも、諦めず向かい合い続け、少しずつでも悪行から遠ざかる事が出来るよう努力したいと思いました。ありがとうございました。
邦元 さま
>生まれながらに救われている
目から鱗、と申しましょうか、とても不思議な、安らかな気持ちになりました。大慈さまも書いて下さいましたが、キリスト教では原罪(生まれながらして罪を持っている)と教えられてきましたので、常に苦痛の中、善き行いを続けなければならなかったからです。
>自分と他人を分けて考えず慈悲の心で接しているからです
悟りとは何かについて、正直何もわかりません。それでも慈悲の心を培いたいと思いました。仏教について、もっと多くを知りたいと思います。ありがとうございました。
大慈 さま
まず、仏教とキリスト教の違いについて、解り易く教えて下さり、ありがとうございました。
>戒は「守る」べき法律ではなく「持つ」(たもつ)べき生活習慣
正直に申します。この言葉を読んだ時、涙が止まりませんでした。これまで自分に何が足りなかったのか、何に囚われ、何故に苦しんでいたのかを、遠回しにではなく毅然と教えられました。
>「あらゆる現象には原因と結果がある」
これまでの自分は、結果しか見ていなかった事を教えて頂きました。原因が分からなければ反省など出来ない。そのまま進めば『悪でみたす』人生を送ってしまった事でしょう。人生も半ばを過ぎてしまった者でも、これから『心ある人』になれるでしょうか?新鮮なうちに、トマトを食べる事が出来るでしょうか?
>友松円諦『法句経』
その他のお釈迦様の言葉に触れ、知ってみたいと思い買い求めました(Amazonは偉大でした)。時間を忘れ、何度も読みました。聖書よりも真剣に読んだ気がします。基礎知識すらない私には、解らないところも沢山ありましたが、序の最後に友松円諦師が書かれたように、『甘露味を二、三滴すいとることができるであろう。』の言葉は真実でした。
他人の邪曲を
観るなかれ
他人のこれを作し
かれの何を作さざるを
観るなかれ
ただおのれの
何を作し
何を作さざりしを
想うべし
誠実に生きたいと思います。
トマトを腐らせないように。
仏教を、もっと識りたい、触れてみたいと思います。まずはhasunohaさまの中で色々と読んでみます。
分からないときには、また質問させて下さい。宜しくお願い致します。
大慈 様
もし、これを読んでみては?と思われる書物がありましたら、教えて頂けませんでしょうか?
今回は本当にありがとうございました。