仏壇作法と感情について
先日父が81歳でなくなりました。私は昔から父を傷つけてきたうえ5年前から3年間無視し続け父に土下座をさせる程の親不孝をし父は認知症になり2年前からやっと少しずつ話ができるようになりましたが素直になれずやっと素直に一緒にいたいと思い仕事をやめ話をしたり笑ったりこれから何年もできると思っていたところ検査入院で胃がんがみつかり2週間でなくなってしまいました。生きてる間にごめんなさい。ありがとう。がいえずどうしても仏壇に向かってお父さんごめん。ありがとうをいいたい感情になります。浄土真宗の仏壇作法と感情に混乱してしまいます。長々と申し訳ありません。生きてる間傷つけ続けてきておいていまさらですがなくなった父に今からできることを教えて頂きたくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お父さんが気付かせてくれた思い、大切にしてください。
この度はお悔やみ申し上げます。
お父さんの死を通じて、もりかさんに沸き起こってきた「思い」「感情」は、言い方を変えますと、
お父さんが、自らの身をもって、もりかさんに与えてくれた「思い」「感情」です。
お父さんが、自らの死をもって、もりかさんに授けてくれた「思い」「感情」です。
浄土真宗のお念仏(南無阿弥陀仏)は、仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)の念仏と言われています。
仏の願いが私に届いていた(与えてくれた)こと、授かっていたことに気づき、その恩に報いて、そして感謝する、お念仏です。
寂しく辛い現実ではありますが、この娑婆の縁が尽き、新たにお浄土へと往き生まれたお父さんの願いが、確実にもりかさんに届き、もりかさんはその願いに気付かれたという事だと思います。
ぜひお仏壇の前で、素直に「ごめんね」「ありがとう」との思いを込めて、「南無阿弥陀仏」とお念仏してください。
そして、お父さんの「死」をきっかけにして、ぜひご自身の「死」を想像してみてください。
残していく家族、大切な方へ、もりかさんなら、何を願いますか?
「もっと迷え!」「もっと悲しめ!」「もっと苦しめ!」と願うでしょうか?
亡くなったお父さんに対して、もりかさんがこれから出来ること・・・。
それは、それぞれのご縁の中で、それぞれの分野で、もりかさんが、輝いて精一杯生きること、もりかさんが「しあわせ」に生きることではないでしょうか?
ぜひ、仏壇で手を合わせ、お念仏申しながら、お父さんのためにも、もりかさんのこれからの日常を精一杯お過ごしください。
まずはご縁のあるお寺さんで四十九日法要をすること、仏壇の作法をお聞きになることをお勧めいたします。
非作法なことである❝自分❞をやらないこと
作法の「法」とは、さんずいに去ると記します。
無限の水が流れてさっていく。
熱せられれば蒸気になり雲になる。
冷えれば雨になり、雪、みぞれ、あられになる。
器に入れば、水は器に従うもの。
それが法であり、そのように「あるべきようを」なすことが作法です。
人が作った作法は、人が作った作法。
法を知った人が定めた作法は、おのずから「あるべきよう」にかなった作法です。
仏教は、自分の作法をやるものではありません。
たとえば、最近では戒名はいらない、自分で戒名を考える、など人の作ることがありますが、それは法にかなっていません。自分をやっているから、死んでまで自分であり続けようとする姿勢です。
あなたは自分の作法(自分のやりたいようにやろうとすること)をやっていませんか?
お父さんを苦しめてきたのは自分の作法、自分のルールを押し付けてきたからでしょう?
死しても尚、それをやってはいけませんよ。
仏法にかなった生き方、すなわち心が安楽で居られるように処する事。そういう生き方をすることが、穏やかな生き方になります。
そうすればお母さんも安心され、お父さんもきっと喜ばれるでしょう。
供養することです
もりかさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺、觀音寺 中村太釈です。
お父さんを亡くされて寂しくなりましたね。お悔やみ申し上げます。
もりかさんにできること、それは供養することです。お父さまの冥福を祈り、一心に供養することです。
ただひたすら、もりかさんはお父さんに手を合わせてあげてください。
それだけで十分だと思います。もりかさんが懺悔している心で罪は消えているのです。
質問者からのお礼
ありがとうございました。父の子であったことに感謝し朝晩にお念仏を唱えさせていただきます。