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これからの絶望予想

回答数回答 3
有り難し有り難し 37

・常態化するJアラート、危機感が薄れ切った頃に直撃弾、甚大な被害と日本列島に広がる地獄
・経済破綻、下がる生産性、増える消費、選別される生存権。破壊と略奪、犯罪、弱者切り捨てが正当化される社会
・他人に対する不信感と軽蔑が社会を支配し、一部の有能な人間しか生き残れない。諍いは当たり前となり、誰もが誰かを憎みながら生きる
・人々の無理解、「自分が苦しいのだからお前も苦しめ」が常識となる。誰もが他人の幸せを恨み、壊そうとする
・弱さへの無理解。正義を語る破壊行為
・最早遠くないであろう第三次大戦

どこを向いても絶望、絶望、絶望しかない。こんな問題だらけの世界でどうして平気でいられるのでしょうか。どうして平気なふりをしなければならないのでしょうか。
成功体験の多い人間が世界を動かすから、地獄で這い蹲っている人間は救われない。自己責任。
弱さは理解されない。自業自得。
人心は荒み、社会は乱れ、環境は汚される。人間という生き物にとことん嫌気がさしているのです。生きることことを徹底的に拒絶したい。
どうせ若輩者の偏った思考なのでしょうか。年齢を重ねればどんな形であれ生きることを肯定できるのでしょうか。
嘆きは簡単に見つかりますが、幸せを見つけるのは簡単ではありません。

もうなにもわからない。
誰もが嘆きながら仕方なく生きているのではないのでしょうか。
何度希望を持とうとしても、結局は絶望に帰ってきてしまう。
何も感じたくない。

こんな世界で何を信じて、何を希望として生きていられるのでしょうか。
一切の希望を棄てたならば楽になれるのでしょうか。

あるいは、私が何かを拒絶、排除しているのならばそれは何なのでしょうか。
絶望予想は荒唐無稽なものなのでしょうか。それとも改善に向けて動かなければならないものなのでしょうか。

希望を持ちながら生きることに疲れました。どんなに希望を持ったところで薄氷の上、砂上の楼閣でしかないからです。
何を頑張ったところで、近いうちに全て破壊されるのですから。

……本当は諦めたくないのかもしれません。絶望的な未来なんて迎えたくない。
けれど、絶望は簡単に見つかります。沢山の人々が絶望を語り、そっちの方が希望よりもずっと現実的なように思います。
野坂昭如氏は言いました。「日本にお悔やみを申し上げる」と。
諦めて地獄を生きるにしかないのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お釈迦さまも簡単にはあきらめなかった。

こんにちは。
まるでゲリラ戦のさなかのような文章ですね。

希望と絶望って、紙一重だと思いませんか。
私が何をどれだけ希望しようと、
私が何をどれだけ絶望しようと、
関係なく
勝手に世界は流れていきますし、
勝手に呼吸も心臓も動いてますし、
同じことというか。

希望が砂上の楼閣なら
絶望も砂上の楼閣です。
どうにもならんことはどうにもならん。
これが私の絶望予想。
荒唐無稽でしょうか。改善した方がいいでしょうか。

私が初めて仏教に興味を持ち始めたのは、
お釈迦さまが同じようなことを『それは「苦」というものだよ』とおっしゃったように感じたからなんですね。

お釈迦さまもあなたと同じように苦しんだ。
私もどうすればいいか今はまだ分からない。

でも、お釈迦さまはどうやらそれが分かったらしい。
後になってこうつぶやいたんです。
『世界は美しい』と。

果たして本当にそうなのか、まだ分かりません。
お釈迦さまは「希望が 苦しみを生む」としか言ってくれない。
私だったら「希望と絶望は似ている。」「絶望は いいエネルギーになりうる。」と、そのように感じます。

分かるまでは、そのままでいいですからもうちょっと見てみましょう。ご一緒に。
同じ野坂昭如氏の言葉をお借りするなら、「もっとゲリラ風に生きてみないか」でしょうか。
分かるときが来るまで。

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有り難し
おきもち

吉井浩文
Buddhism. knowing what it actually i...
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人間は他の虫や植物や動物と違って色々なことを考えることができます。それは良いことですが、かえって悩みも苦しみも多いです。
あなたも人一倍思考能力が高いために、かえって苦しんでいるのかもしれません。
お釈迦様は一切皆苦(この世の全ては苦しみ)とまで言いました。しかしお釈迦様はその後には涅槃寂静(苦しみの無い澄んだ境地)に至りました。ですから希望はあるのです。ただあなたも私達も見えていないのです。
希望を見る為には先ずはあなたのサングラス(我、思い込み、錯覚)を外さなければなりません。そのまま周りを見ても真っ黒な絶望しか見えませんからね。
サングラスを外すためには、他人とのふれあいや働くことによって現実を知ることが必要です。
もし就職先が決まっていないなら、アルバイトや派遣でもいいですが、もしそれに不安があるなら就労支援に通ってみてはどうでしょうか。ネットで調べるとたくさんあるのですが、例えば、
http://sapporo-yell.com/
など。
通えるかどうかはそれぞれ各事業所に聞いてみないと分かりませんが、「まともに社会に適応する自信がないのですが働くことができるでしょうか?」、と素直に相談してみて欲しいです。
どこかにあなたの相談にのってくれる人がいると思います。
あなたは今まで自分と向き合って十分考えてきました。これからは考えることを少し横に置いて、周りの景色をしっかり生の目で見て欲しいと思います。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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まずは妄想・雑念を手放しましょう。

絶望か希望かという2択しかないのでしょうか?
絶望も希望も、頭の中で創り上げた過去や未来に対してイメージを膨らますことは同じでしょう。
つまり、頭で創作した妄想・雑念と一人相撲をとっているのです。
脳の使い方がおかしいから、気分が落ち込んでいるのです。
世界情勢をどうこう考える前に、自分の脳を、妄想・雑念を制御することを学びましょう。
マインドフルネス、ヴィパッサナー瞑想などについて調べてみてください。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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