許すことについて
たいていのことは飲み込んで、許してきたとしても、どうしても許せないことってあると思います。
今回は人間関係。
子供が0歳の頃から「泣くから」といって、なにもせずにいた(=拒否)にも関わらず、いざ意思疎通ができるようになった3歳過ぎ。
遊ぼうと誘っても、子どもが拒否をする。
それは、大人が拒否をしてきて、信頼関係を結んでこなかったからでしょう。
それを「じゃあもう一生遊ばない!!」というのはおかしいと思いました。
例えば、大人でも上司だからと言って無条件に受け入れるでしょうか。違うと思うのです。
信頼関係を結んで初めて受け入れると思います。
それをした様子を見て、許せない、私の逆鱗に触れました。
どうしたら許すことができるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
因果応報!
<因果応報>
良いことをすれば、必ず良い結果が生まれ、悪いことをすれば、必ず悪い結果が生まれる。
行いの善悪に応じて、必ずその報いがあるということ。
例えば、「金のオノ、銀のオノ 」
正直に自分のオノを答えた男が、金のオノと銀のオノをもらえたのに対し、ウソをついた男は、何ももらえず、自分のオノすら失う という話。
正直に自分のオノを申し出た(原因)人には、良いことが起きる(結果)
逆に、ウソをついて金のオノをもらおうとした(原因)人には、悪い事が起きる(結果)
まさに、因果応報です!
そんな人は「ほっとけ」です!
心は「気に入らぬ風もあろう柳かな」で緩やかな柔軟性を持って生きる事です!
なぜ許せなくなるか、飲み込むからです
人の腹はブラックホールではありません。
飲み込む量にも限度があります。
ちゃんと噛み砕いて、消化しておかなければ飲み込んだ怒りで消化不良を起こします。
だからお釈迦様は
『何事も原因と結果があるんだよ』
とおっしゃるのです。
我慢は『私が耐えてやってる』という驕り高ぶりを生みます。
なぜそんなことをしたのか、しっかりと咀嚼し、理解し、自身に重ねるということが、本当の許すということです。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
因果応報、だけどこちらが柳の様にとのお話、大変ありがたく思いました。
自分も良い事を出来るだけするような心持を持てるようにしていきたいと思います。
自身が耐えてやってるという驕りはなかったつもりでした。理解をしがたい事も咀嚼するのは難だなぁと思いました。その悪い行いをした人はいつ反省するのだろうかと疑問にも思いました。自分だけが成長すればいいというのはまた違うのかなとも。難しいですね。