謝らなければいけないのか、どう生きていったらいいのか
13年前、幼稚園の近所の店舗の駐車場に駐車させていただき、送迎をしていました。迷惑なので停めないようにと運動をしていた頃で、しかし、記憶も飛ぶほど疲れていたので必ず買い物をして停めさせて頂きました。知り合いだった人にそのことを咎められて、勿論いい事では無いが、その駐車のひと時だけが息抜きの時間になっていた友だちがいたのと、他にも停めさせて頂いてる人もいたし、自分も疲れが酷くどうしようもなかった状態でしたので、その友人の気持をも考えて、停めさせてもらってる。と答えた。相手は訳も聞かず急に、どなりつけた。
後日、人のプライベートなので細かい事を話す訳にもいかず、どなった人をまだ友人と思っていた気安さから、そんなに悪意を持ってしていたわけじゃないから理解して欲しい気持を、私はいい人だと冗談めかして言った。その後、学年中のPTA、近所、様々な所で誹謗中傷され、知り合いは関係無いのにヘイトされ、対人関係もズタズタにされ、外で知り合いに会えば顔を背けられ、人間が嫌いで信じられなくなりました。死のうと思いましたが、家族を考えるとそれもできず、今は生きる喜びも無く、心を殺された状態です。私は昔から人の嫌な所は見ずに良い所を見て慈しみあいながら生きて行こうと決めて生きて来ました。誰にもひどい事は言ってもしてもいない。何故、子育ても終え、自由にお友達と老後を楽しみたいとしてる矢先に、真反対の孤独に苦しめられなければいけないのか。相手は色々とひどい事をしている。全くの誤解から。でも、13年も他人を巻き込んで誹謗中傷した人に、今更言っても余計また酷い中傷されるのでは無いかと思う。公的機関に相談したらそれは明らかにいじめだと言われた。辛い毎日から救って下さい。
お坊さんからの回答 7件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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子どもの成長で保護者同士の付き合いもなくなる。新たな楽しみを
私の息子が通っている小学校でも、送迎の際 近所のスーパーの駐車場を利用したり、待ち合わせ等で使う保護者もいるようですが。。。やはり近隣で利用する買い物客や企業側からのクレームがあるようです。みんなもやってる!では、なんの解決にもなりませんものね。
だからといって、その人の人権を否定するような、誹謗中傷はやりすぎですから、あなたも、辛い思いをされたでしょう。そこまでのことをするのも、労力がいります。駐車の一件だけで、そんな行為にでるのでしょうか。。。他に心当たりはありませんか?
話が大きく膨れあがり、あの人はこんな人!と勝手な見方をされてしまっているのですから、これからも お付き合いを続けていきたいと思われるのであれば、誤解を解いていくしかないでしょうね〜もともとの種は自分だったのですから。
子どもの保護者繋がりなのであれば、もう 子どもさんも成長され、保護者同士のお付き合いもあまりないでしょうから、趣味等を通じて 新たなお友達を作っていかれたり、夫と旅行などを楽しまれる生活に切り替えてみては。あまり、気にならなくなってきますよ。
曇りなきマナコ(眼)
コシバさま
はじめまして
仏教は「曇りなきマナコで観」て(正見)、「執着」をはなれることが「苦しみ」から離れる最善の道とされています。
そこで、「曇りなきマナコ」で観たときに、コシバさまに非がないわけではないことが気になります。
どんなに言い訳を重ねても13年前の駐車の件は、悪いとはわかっているけれど。。。と素直に謝り相談すべきだったかもしれません。
そのうえで、その後の相手の対応で「死のうと思いました」と思うほど追い込まれたことは、悲しいことだと思います。
その相手や周りの関係者から、離れることはできない人間関係なのでしょうか。
離れられるのであれば、離れて新しい人間関係を築いたほうが楽だと思います。
しかし、離れられないのであれば、せめてまわりの知り合いの方に素直に思いをぶつけてはいかがでしょうか。
そこでしてはいけないのは、自己弁護の言い訳です。
悪いことは、どんな理由があれ悪いと認めたうえで、あのときは精神的に余裕がなかったと謝罪すればいいのではと思います。
厳しいことを言うようですが。
自分に自己弁護しているうちは、どのような謝罪も言い訳も、だれにも聞いてはもらえません。
自分の悪かったことは認めて、関係を改善したいことを、知り合いの方などの関係を取り戻したい第三者に訴えてみてはいかがでしょうか。
これは、コシバさまの期待した答えではないと思いますが。
「曇りなきマナコ」の先にしか、苦しみをこえた世界は難しいと思います。
南無阿弥陀仏
仏さまに謝り、自信を持ってお過ごしください
13年間、本当にお辛い日々だったことでしょう。記憶がとぶくらい疲れていた日々のことですから、仕方が無かったと私は思いますよ。それですのに、心を殺さた状態、公的機関に相談せねばいけないほどの苦しみ、、、これまでご家族の事を考え、よく耐えて来られたと思います。
どなった本人に謝るというのも、気が重くお辛いのではないかと想像します。
そもそも、その方に謝るのは変な話で、どちらかといえば謝るのはお店の人に対してではありませんか?お店の人にとっても13年前のことを、という感じでしょうから、ここはぜひご近所のお寺にお参りいただき、仏様に対してコシバ様が心の奥からの懺悔(さんげ)をなさってみてはいかがでしょうか。
そして、「心の一番奥底から自分自身を反省する事ができた」という事を確かな支えとして、自信をもって日々を歩まれてください。大人になってから、自分自身を見つめなおすことはとても難しいです。それをできたのは素晴らしい方だという証拠ですから、ぜひ顔をあげて毎日をお過ごしください。
いつしか、コシバ様をどなった方や、周囲の方たちとは違う人生のステージにたっていることと思います。
新しいコミュニティ
コシバさま
13年もの間、苦しみの中にいらしたのですね。
もし自分だったら、その苦しみに耐えられるだろうかと想像し、悲しい気持ちになってしまいました。
買い物以外の目的で、近所のお店に駐車をしていた。
もちろん良いこととは言えませんが、買い物もしていたとの事ですし、そこまで責められる事柄なのかと考え込みました。
コシバさんのお住まいの地域がどんな様子か分かりかねますが、車社会なのではないでしょうか。もしそういった地域であれば、幼稚園が駐車場を用意したり、近隣店舗と交渉したり、方法はあったのではないかと思います。
車で来るしかない保護者が多いのに「近隣の迷惑ですので車で迎えに来ないで下さい」と言い放つのは、どうなのかな、と思いました。
…でも、今さら言っても仕方のないことですね。
今後どうしていくか、それが大事だと思います。
ひとつは、その相手と徹底抗戦して、共通の知り合いの信頼を取り戻す方法です。
でもこれは、精神的にも肉体的にも大変なことだと思います。
「争いからは何も生まれない」と説く仏教の立場からも、あまり勧められないような気がします。
もうひとつは、新しいコミュニティを作り、その「相手」を相手にしないことです。
趣味のサークルでも良いですし、菩提寺の婦人会とか、ケア施設のボランティアとか…
私の浅い知恵では大したことは思いつきません。
それでも辛いお気持ちをお聞きすることぐらいは出来そうです。
何かありましたら、hasunohaでも直接でも、またご相談下さい。
コシバさんは忍辱の力を持った方ですね。
13年間人から誹謗中傷や無視もされたことでしょう。家族や親せき、近所の方も多少ながら巻き込まれたと思いますが、そのことに耐え忍んできたことは、仏教の『六波羅密』の「忍辱」(耐え忍ぶ心、実践)があったからではないでしょうか。
まだそのようなことでいう人とは距離をおいて、「嫌な所は見ずに良い所を見て慈しみあいながら生きて行こうと決めて生きて来ました。」と思うなら、何を言われようと続けるべきです。武田信玄の格言に「百人のうち九十九人に誉めらるるは、善き者にあらず。」とありますが、好かれるか、嫌われるかにこだわり過ぎては自分の信念が貫けないですよ。コシバさんは本当に自分でいうほど周りの人から嫌われているのでしょうか。
実際のところはわかりませんがそんなに13年間もそんなことで言われた本人以外の人が気にしているのか?というのが私の疑問です。自分の生活もあるのにそんなことかまってられない。ましてや幼稚園の駐車場のことで・・・。それは幼稚園側にも責任があるのでそれは改善されたのでしょうか。
老後は隣町、都心にコミュニティを広げて離れたところに仲間を求めることも1つの方法と思います。
善徳行の実践
コシバ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。
この度は、おつらい心の内の程、誠にお察し申し上げます。
些細なこと、取るに足らないと思われていたことが、後々に思いも寄らない結果となって苦しむことになってしまう・・
煩悩による悪い行為の積み重ねもこのようなものであり、できる限りその都度に対処していくことが必要となります。
草取りも、芽が出始めの頃であれば、簡単に手で抜いて取り除くことができますが、サボってしまっていると、伸びて、大きくなってしまい、やがて手では抜けずに草刈り機を使わないといけなくなるように、取り除くのに多大な労力、時間を要することになってしまいます。
もちろん、コシバ様の行為が悪い行為かどうかは別として、この度は相手が悪くて、初期の対応がまずかったところによる誤解や偏見も重なって、以降の苦しみに繋がってしまったのではないかとも思われます。
しかし、今更そのことを後悔しても、もはや過ぎ去った過去のことですから、現実の今、実際にどうすればよいのかが大切となります。
近隣周囲の人間関係の改善へと向けては、なかなか誤解や偏見が解けない現実をコシバ様自身が努力することで変えていくことが望ましいのではないかとは存じております。
そこで一つの提案として、例えば地域活動・自治会活動に積極的に関わっていくことで、地域でのお手伝い・ボランティア・奉仕活動を実践なさられていくことなどはいかがでありますでしょうか。
コシバ様は、「人の嫌なところは見ずに良いところだけを見て、慈しみあいながら生きてこられた」と述べられております。このことは非常に大切なことでございます。
そのお心がおありでありましたら、きっと人のために役立つことを今まで以上になさられることもできるのではないかと存じております。
時間は掛かるかもしれませんが、地域の人々のために善徳の行いを積まれて参りますことで、きっと周囲のコシバ様を見る目も変わっていき、そうしますと誤解や偏見も自ずと解けていくのではないかと存じております。
もちろん、仏教においても当然に善徳の行いのありようが、迷い苦しみを超克していくためにも大切となります。是非、この機会にお考えを頂けましたらと存じます。
無事安穏、平穏に日々を地域にて暮らせて参れますことを祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
こうなってしまったら
コシバ様へ
13年もの間、お疲れ様です。
こうなってしまった以上
まず場所を変えるのはいかがでしょうか。
それが無理なようであれば
自分のことをわかってくれる理解者をつくるのはどうでしょう。
きっとどこか、そして間近にいるのではありませんか。
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございました。人の心が恐ろしく、積極的に関わることがまだ出来ません。しかし、少しだけ前が向けたように感じました。
ありがとうございます。冗談めかして言った事が、相手の怒りを買ったのだと思います。元々私は反モラルを良しとする人間性ではありません。それが、相手の悪意によって真反対の人間性として誹謗中傷されている事実。地域も狭いです。時間と共に、相手も穏やかになり話しが出来るかとも思っていましたが、状況は変わらず。自分は、他の人と何も変わってない、本当の自分を否定されたまま、悪意にまみれたこの土地で生きていかなければならない。私のまいた種はそんなにひどいものだったのでしょうか。お詫びをしながら、理解を得ながら、少しずつ刈り取らなければならないのでしようね。
ありがとうございます。狭い地域で悪意の蔓延している中、顔を上げて生きて行く事はとても大変な事ですが、それだけ反省しなければいけない事なのでしょうね。きっと、その先に救いの意識は待っていてくれるのでしょうね。少しずつ変えていかないといけないのでしょうね、、、。
ありがとうございます。皆様のお話しをじっくりと読み返しますと、心があたためられていくような気がします。色々と辛い思いをしましたが、少しずつでも前向きな気持で、自分の人生に用意されていた宿題をこなして行かなければならないのだと理解しました。仏様の手のひらはとても広くて参りました。
ありがとうございます。確かに、私の愚かさに反省を促しつつ、それでも不憫と思って下さったり、人なんて皆未熟なんだから、とおおらかに寄り添ってくださったり、人を思いやっての事だからと暖かく考えてくださり、受け入れて下さる方がいらっゃいます。本当にありがたく、自分が生きている意味は、きっとここにあるのだろうとおもいます。 駐車の件は、あの怒鳴られた後、しっかり反省したつもりです。同じような事をしている方にもご注意しました。私自身はモラルに敏感になり、後は普通の人だと自分では思うのですが、やはり誹謗中傷されてしまってはその場所で以前の様に暮らすのは辛いです。かといって引越しが出来る状態ではないのです。