輩(やから)にからまれてしまいました
自分にも悪い点があったのですが。
先日、少し早めに出勤しようといつもより少し早く家を出て、最寄駅の近くにある駐輪場にいつも通り自転車を止めようとしたときのことです。早朝5時台のことです。
駐輪場の手前で前に男性が歩いており、足元の鳥を追い回していたのでベルをならしてどいてもらおうとしたところ、こちらを向いて薄笑いをうかべて「なに?」と言って寄ってきました。その時点でまずい相手だと思ったのですが、なぜかここで怯んでしまうと相手の思うつぼだと思ってしまい、自転車を降りて相手と対峙してしまいました。
相手が体を押し当ててきて「で、何?」と言ってきたので、こちらもつい体で押し返してしまったら、「お?押すんだぁ」と言ってきて、「いいよ。とことんやろうよ」「こじれるところまでこじらせようよ」と楽しそうに言ってきました。
そこに来てようやく「すみません。自転車を留めたいんです」と私が言ったところ、「自転車を当てた」といいがかりをつけてきて、「名前を教えろ」、「年はいくつだ」、「お前がどれほど頭がいいんだ」と言われ、私が余計なことをしゃべらないように黙っていると、「俺は何でも言えるぞ、俺は40歳で、中卒で・・・」としゃべり続け、「いいよ、警察呼べよ。ここでなにがあったか監視カメラで全部録画してるからな」といってきました。(実際カメラがあったかどうかは定かではないし、撮られて困るようなことはしてないと思います)
埒が明かないので、私が110番通報して事情を話している間、「電話を貸せ」と携帯を奪おうとして来たり、頭をつかんだりしてきました。
しばらくして警察の方が到着して、別々に事情を聴かれたのですが、警察の方に「自分からトラブルを引き起こすようなことをしたのではないか」「彼をどかさなくても他に留めるところはいくらでもあるのに」と指摘され、そこで初めて自分の不用心さに気が付きました。
どういう解決を望んでいるかと聞かれ、和解をしたいと伝えて、私が相手方に謝ることになったのですが、相手は取り付く島もなく「終わらせねえからな」と警察の仲裁を遮って同じことを言い続けていました。最終的に警官の1人が「もういいでしょう」と言って私を開放してくれたのですが、その後、なぜ避けなかったのか、なぜ対抗してしまったのか、なぜもっと注意しなかったのかと後悔し、今でもそのことが頭から離れません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
この経験を活かしてください。
たかがベル。
たかが車のクラクションを鳴らしただけでも、言いがかりをつけてくるお兄さんは、かなりいます。
あなたは偶然トラブルに巻き込まれたのではなく、必然だったわけです。
今後、気をつけて下さいね。
本当に危ない思考のお兄さん(お姉さん)は少なくありませんよ。
私は車に乗りますが、クラクションは鳴らしません。
そんなややこしい人にからまれたところで、膨大なエネルギーを使うだけで面倒くさいからです。
また、警察を頼りにしすぎる思考もよくありません。
最終的には自分だと考えることが護身です。
あなたは怯まなかったとお考えですが、結局謝っています。
それは、引いたという事。
相手が調子づくのは当然の事です。
何もされなくてよかったと、私は思っております。
ケンカの8割は最初の心理戦で決まります。
殴りあうことに発展するのは稀な事。
もう、謝るくらいなら、朝の5時から鳥を追いかけているような方を相手するのはやめましょう。
それが護身です。
あなたはhasunohaにご縁のある方です。
どうぞ仏の心であり続けて下さい。
もう終わったこと
もう終わったことなのでしょう?
後悔も煩悩です。
過去は変えられないのに、無駄な後悔は、自分で自分のストレスを増やすだけですし、考える時間ももったいないです。
普通は、自転車でベルを鳴らしたくらいでからまれるとは思わないですよね。
次から気をつければ良いのです。