hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

疲れたとき

回答数回答 2
有り難し有り難し 23

私はコールセンターのようなお仕事をしています。
といっても今まで研修期間で
今日やっと一人で電話に出ました。
様々な案件と気が短い人にせかされたり
してクタクタでした。

最後の方は電話に出るのが億劫になってしまい、
メール業務をしていると
電話に出て今混んでいるからと
怒られてしまいました。

私も混んでいるのに気付きませんでしたが
とても疲れてしまっていて悲しくなりました。

他の人も電話に出ろよって思ってたのかな
申し訳なかったな。
疲れていても仕事なんだから回りにもっと
気を配らないとなと思いました。

疲れたときの解消法を教えてください。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「ちゃんとした今」にであう。

( ..)📞シモシモ。
おまたせいたしました。
ホトケのコールセンターお客様係、シモシモ(下下)丹下と申します。
まず、クレームや苦情の多い電話応対、おつかれさまでし丹下。
私もお悩み相談を電話でも受け付けておりますので、スンゲー人から時々かかってきます。
困るのは、延々と文句や愚痴をこぼす方です。
ですが、趣旨はたった一つと覚えておくと、ケッコー問題は単純だったりします。
前ふりは前ふりで本題は一つなのですから。
逆に現場が騒がしいときは、電話対応の方に救われていることもあると思いますので、上手にバランスよく心を切り替えましょう。
疲れちゃうことはあるでしょうが、大切なのは「疲れないように」仕事することです。もちろん疲れちゃいけないわけではありません。なるべく心のサンクチュアリを汚さないように、あなたのご神体・ご本尊を前面に出しすぎないことです。
気持ちを注ぎすぎると人間、他国のニュース、他人様のニュースでもノイローゼになってしまうものです。あまりシンクロ率、シンパシー、共感力を高めすぎても危険ということはあるのです。私もシニタイ電話が結構かかってきますが、深く心を入れすぎますと、こちらも病みます。上手な距離感というものがあります。電話の方は、電話ゆえに横柄な方もおられます。単に自分の「こうしてほしい」ということを早めに聞き出せれば、もうほぼ問題解決です。
仕事は、その仕事をするという目線よりも、あえて自分の中の相手の問題解決スキルを高めている、人生スキルを高めているのだと、チョイななめ角度でこなすとスムーズにこなせるでしょう。
疲れるということは、脳内がPLAY状態が続いていたからこそ、疲れているのです。
熱を冷ますためにも、再生、リプレイ、↻repeatは厳禁です。
一日を振り返ることは、今目の前でお迎えに来てくださっている出来事をないがしろにしてしまう面があるからです。今はいまのことをやる。過去のrepeat、リプレイをする癖を無くせば自然に疲れは「その時点で消滅」します。我々は無自覚の内に今日一日の事や過去を振り返ったりしているものです。それをしている自分に気づいて、それをしなくなることで「疲れから離れている自分」「さっきの事をもう終わらせている自分」「本当の自分」「ちゃんとした今」に出会ってみてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

私の場合は寝るが一番

疲れたときは寝るのが一番^_^
これです!

コールセンターのお仕事大変だと思います。全部の話に思いを馳せていると体がもたないと思います。
慣れて来たら、一つ一つのお話をうまくさばけるようになるでしょう。大切なことはお客様の話を聞いて、なるべく要望に応えるということだけでしょ^ ^必要以上に気を使う必要も無いし、セッカチがいても、そのままに落ち着いて対応した方がいいと思います。相手の気持ちまで考えず、要望に誠実に応えることが大切でしょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

煩悩スッキリコラムまとめ